遭逢
男と女の出会い、それがプロローグとなります。
男は、所謂、エンジニアであった。
朝早くに朝食を取り、駅まで歩いて電車に乗り会社に行きCADと向かい合って夜遅くに帰宅する。そんな生活を月曜から金曜まで続き、其れを何年も継続していた。
両親、肉親は居ない、保護施設で育ち、独学で設計を勉強して今の会社に就職した。
気が付けば三十二歳になっていた。
趣味は野歩きで伝説や言い伝えを地元の人に聞き、想像しながらその地を散策するのが何より好きだった。
良く理由を聞かれるが、本人にも説明出来る理由が分からない、きっと、神秘的な物への憧れがあるんだろうと本人は解釈している。
そんなに大きくない湖のほとりに休日を利用して一泊の予定で行った時の事だった。
いつもの様に男は、宿に着くと施設の人から伝説や曰くを聞いていた。
それらの伝説、言い伝えの類は、神秘的で時に残酷であったり、幸福を呼ぶ話や笑いを呼ぶ物語等、多岐に渡り、それらの話を聞き、散策しながら想像するのがとても好きだった。
男は宿で作って貰った弁当を背中のディバッグに水筒と一緒に入れ、1.5メートル程の杖を車のトランクから取り出すと宿を後にする。
湖の畔に出ると上着のポケットから取り出した双眼鏡で対岸から左右を眺めると遊歩道を歩き始めた。
途中、何人かの釣り人が浮きを浮かべていた。
その中で三人が並んで釣りをしている男達はこの湖の伝説を笑いながらしていた。
男はその男達に近づき、
「地元の方ですか?」と訪ねた すると
「あぁ、そうだよ」
怪訝な顔を三人は一様にして男を見た。
構わずににっこり笑って 男は
「此処、何が釣れるんですか」と聞くと
「ニジマスだよ。兄さん、どっから来たんだい?」
「東京から来ました」
答えると別の男が
「此処は何も無いだろ、この湖だけだ」
「だな、道路も村を通る一本だけだしな」
「何かを作ろうとすると祟られるしな」
「よそ者の居る前だぞ、滅多な事言うな」
男達は代わる代わる喋りだした。
其れを聞いて男が問う
「えっ、祟りって? 伝説の?」
「そら、見ろ、全く、お前達は」
「良いじゃねぇか。ところで兄さん、伝説を知ってるのかね」
「えぇ、宿の方に御聞きしました」
「じゃあ、まぁ、そう言う事だ」
と言うと向こうを向いてしまった。
男は取り繕う事も出来ずにその場に暫く立ちすくむが背を向けて散策の続きを始めた。
半周を周った辺りに遊歩道を挟んで左手に湖、右手に小さな池のある場所に出た。
其処には屋根の付いた休憩所が遊歩道から二メートル程上にあった。
男は、展望台を兼ねている気がし、腕時計で時間を見てから上の休憩所へ向かった。
休憩所に着き湖の方を見ると対岸の山々や木々が綺麗な扇状に望む事が出来た。
良く見ると休憩所から湖までの木々の枝が湖の景観を見せる様に歪に曲がっている。
男は、不思議な事があるもんだなと思いながらもディバッグを休憩所のベンチに置き、中から水筒を出してお茶を水筒の蓋に注ぎお茶をすすりながら景観に見入っていた。
十分程其のまま見入っていたが、ふと休憩所の上り階段のある反対側に気配を感じて気になったので下を覗いて見て あっと小さく叫び、手に持っていた蓋を落としてしまった。
コーンと言う蓋の落ちる音で正気を取り戻すと、蓋を拾い上げてベンチに置いた水筒横に置き、休憩所の階段を駆け降りて反対側に回る。腰の高さ程に成長した雑草を掻き分けて休憩所下を目指して坂を上る。
途中、何度か足を滑らせながら這いつくばりながらも登ると少し平坦な場所に出た。
上を見ると、休憩所の手すりが三メートル程向こうに見えた。
男は伸びた雑草を掻き分けながら急ぐ。
体力には少し自信があった。
学生の頃は水泳の選手であった。
布の端が見えた。
布の端を目で追うとその先に目印となった薄布を纏った髪の長い女性が倒れていた。
急ぎ走り寄り 大丈夫ですか?と声を掛けながら肩を揺すった。
うぅ、と短い呻きを漏らして女が目を開けた。
男はその開かれた目の大きさと美しさに肩を揺り動かしていた手を放してしまう。
女は俯せから半身以上を捻っていた為、そのまま仰向けにゴロンと転がり、したたかに後頭部を地面に打ちつけた。
ゴツンと言う音といたーいと言う声がほぼ同時に聞こえた男は、ごめんっと言いながら後頭部と土の間に手を差し込んでから
「大丈夫?他に怪我は無い?」と聞くと
「あそこから落ちて・・・あぁ、痛い、足首を捻挫したみたいです」
上を指差して言う。
「どうしようか、連れの方は? 誰かを呼んで来ようか?」
「連れはいません。肩を貸して頂ければ・・・よろしいですか」
「あ、はい、其れは良いですけど、その先からかなり急な坂で」
「じゃぁ、あの・・・宜しければ、坂を下りるまでおんぶして頂けませんか」
「えっ、あぁ、はい」
男は女に対して後ろを向くと片膝をついてしゃがみこんで
「四つん這いで後ろ向きに降りていきますから首をしっかりと持っていて下さい」
女はよろよろと立ち上がり、片足を労わる様に引き摺りながら歩み寄ると倒れる様に男の背中に身体を預け両手で首に抱き着いた。
思ったよりも柔らかな感触と人一人分の重量を背中に感じながら、しっかり首に手を回して持って と言い、四つん這いの姿勢になって坂へ向かうと後ろ向きになってゆっくりと坂を降りて行く。
降り切った男は女をおんぶしたまま立ち上がる。
背中で キャ、と短い驚きの声がする。
「すいません、このまま休憩所に向かいます。ベンチがありますから其処まで我慢して下さい」
「はい、すいません。御願いします」
男は、休憩所下をぐるりと回って階段に向かい、階段を上り休憩所のベンチに着くと女性をゆっくりとベンチに下ろす。
そばの水筒を取り、蓋にお茶を注ぐと女に向って差し出した。
女がお礼を言い、お茶の入った水筒の蓋を両手で受け取るのを見て男はタバコを取り出すと火を点けて深く肺に吸い込み吐きだしながら女性の格好を改めて見る。
驚く事に薄い絹の様な光沢のある白いスーツを身に纏い髪はロングでウェーブが掛かりベトナム旅行等の観光用パンフレットで見る様な面持ちとスタイルをした小顔でスレンダーな美人であった。
男が発見の際に見つけた布は女が今、握り締めているストールであった。スーツの上着は落下の際に付いた土が背中に付着していた。ディバッグから雨具用に用意していたオレンジ色のヨットパーカーを女に差し出すと女は上着を脱いで着替える。少し大いのか袖を折り返すと前のジッパーを押し上げて閉じた。
家はこの近くですかと尋ねると家を出て来ました、行く所も無くどうしようかと其処の手すりに腰を掛けてたら落ちてしまい、その儘、気を失ってた様ですと言う。
男は困ったな、此の儘、置いて帰る訳にも行かないと考え、一旦、宿に戻る事にした。
「今日、東京からこっちに遊びに来たもので・・・俺の泊まっている宿に一緒に行きましょうか?」
ディバッグに受け取った上着と水筒を入れながら言うと
「あっ、は、はい、すいません、肩を貸して頂けますか」
男は女の返事を聞くと片手にディバックを持つともう片側の手を女の前脇から背中の方へ差し入れて女を立ち上がらせた。
女は片足で立ち上がると男が差し出した杖を男とは逆にある手で持ち、準備が終えた事を目で合図する。
「ゆっくり行きますよ」
「はい」
二人は二人三脚の様に前進し、ゆっくりと階段を降りると遊歩道を宿に向かって歩きだした。
「すいません、御迷惑を御掛けして」
「話は、後で、宿に戻って落ち着いてからにしましょう」
男は肩を貸して歩きながら言うとそれきり二人は黙って宿へと向かった。
玄関を掃除していた宿の主人が二人を見つけ、ほうきを投げ出して走って来た。
主人に事情を説明した男は、薬局と病院の場所を歩きながら聞き、取り敢えず女を宿のロビーへ連れて行く了解を得る。
主人は急ぎその場を立ち去ると宿に走って戻って行った。
二人が宿に到着すると女中二人が女に手を貸してロビーのソファーに連れて行き座らせた。
男は玄関先で座り込み、肩で息をしている。
暫くして呼吸を整え、ソファーに向かうと女の正面のソファーに座る。
宿の主人が救急箱を持って来たのと入れ違いに女中の一人が男の前にお茶と水を置き仕事に戻って行った。
主人から救急箱を受け取った男は、中を開けて湿布薬と包帯を取り出すと女の前へ移動して膝を立てて座り、女に挫いたほうの足を伸ばす様に促すと女が片足を伸ばす。
男は伸ばされた足のふくらはぎを片手で軽く下から持ち上げると自分の膝の上に乗せ、足首に湿布薬を貼り付けた。女が一瞬、足をビクッと引き戻し掛け、ヒャァ冷たいと小さく声を上げた。
男はその様子を見て、感覚はありそうだから骨は折れてなさそうだと微笑みながら言い、足首を丁寧に包帯で巻いて固定して行く。
主人はじっと横で忍者の様な座り方をしながら、上手いですね と言うと、男は、まぁ、昔良く捻挫して自分で巻いてましてねと笑いながら答えた。
「これで良しっと、じゃ一応、医者に見て貰いましょうか」
男が女に言うと
「いえ、こんなにして頂いたので暫くジッとしてれば、平気です・・・あっ、もしその間に腫れて来たら行きます」
女の言い方を聞いて男は、手荷物もあの辺りに無かったし、財布も持たずにっと考えを巡らせると
「じゃぁ、一寸、此処に居て、御主人、一寸、部屋一つ用意出来ますか?」
宿の主人に振り向いて聞く
「少々、御待ちを」
宿の主人はそう言い残すと急ぎ足で帳場に消えて行った。主人が行ったのを目で確認した男は女に
「手荷物も何も無かった様だから 聞き辛いんだけど・・・お金が無いんじゃないの?」
「・・・」無言で頷く
「うん、わかった。部屋の代金と少しだけど貸しておいてあげるよ。此処に居て。空き部屋を確認して来るよ」
男は座ったまま斜め後ろのディバッグから財布を取り出すと財布から三万円を抜き取り女にこっそり渡して口に指を充てて何も言うなっとゼスチャーで告げる。
女は少し頭を下げて其れに答えた。
男はゆっくりと立ち上がると帳場へと向いながら 「部屋、空いてますか」と大きな声で聞いた。
帳場の奥から はい、只今 と言う声とコーヒーを運んで来て と言う声が聞こえたので男は女の居るソファーへ取って返すとテーブルの上に先程用意された水を一気に飲み干してポケットからタバコを取り出すと火を点けてゆっくりと煙を吸い込み、吐き出した。
宿の主人が走り寄り 一人部屋が一杯で二人部屋なら用意が出来ると告げると
「困ったな」
「私と彼を二人部屋にして頂けませんか? 私は構わないんですけど・・・」
「俺は其れでも構わないけど、いいの?」
「はい、御主人、其れで構いませんか」
返答しながら男に借りた三万の内の一万円を宿の主人に渡した。
「わかりました。釣りとキーを御持ちしますので暫く御待ち下さい」
宿の主人は頭を下げると走って帳場に戻り、再び二人の元へ戻ると釣り銭とルームキー、コーヒーをテーブルに置き、男に預かっている荷物は部屋へ運んでおきますと告げ頭を下げて戻っていった。
周りに誰も居なくなったロビーで二人は向かい合い無言の時間が十分程過ぎるとその無言に耐えきれなくなった男は、ディバッグからスーツの上着を取り出して女に渡す。
「家を出たって理由は敢えて聞きませんけど・・・これからどうするつもりなんですか」
「まだ、考えてません。家が東京っておっしゃってましたよね・・・そうだ、私を帰りに東京まで連れて行ってくれませんか」
「えっ、そ、それは構わないですけど・・・一体、何故?」
「ありがとうございます。東京、行って見たかったんです」
「聞きづらいんですけど、お金はどうするつもりですか?」
「手持ちが無いだけで」と言いながらスーツの内ポケットからカードケースを取り出して男に見せ、そして、
「平日になったら銀行に行って借りたお金を御返しします」と頭を下げた。
「良かった、お金も無く、東京なんかへ行ったら碌な目に逢いませんからね」
「え、そうなんですか」
「ええ、有象無象の輩がウヨウヨとしてますからね。若い女性は特に危険だ」
男が笑いながら言うと
(意味は違うかも)
「家にも有象無象ならいっぱい居ました」
女も笑いながら言った。
男は、きっとペットが好きな両親なんだろうと思いながら笑みを浮かべながらコーヒーを口に運ぶと一口飲み、口の中を湿らせた。
「此処へは何をしに来られたんですか?」
「伝説や言い伝えのある地を巡り散策するのが趣味で・・・」
「散策、ですか?」
「歩くだけです。良く変わった趣味だと言われます」
男は、少し、照れながら言うと
「良いじゃないですか、人と違っても。私は素敵な趣味だと思います。そのお蔭で私、救出されたんですものね、でも、散策の邪魔をしちゃった訳ですよね、ごめんなさい」
女が頭を下げて謝った。
男は、「いや、そんな、良いですよ。其れより お腹、空きませんか」と聞いた。
「此処の食堂、まだ開いてませんよね」
「散策の途中で食べるつもりだったお弁当、半分、宜しければ、食べません?」
男はディバッグから弁当を取り出してテーブルに置いて中から拳大の大きなおにぎりを一つ掴むと其れにかぶりついた。女もそれを見て同じ様におにぎりを掴みかぶりつく。
「おにぎりは、手に持ってかぶりつくのが最高でしょ」
男が笑いながら言う。
「優しい方に助けて頂けて光栄ですわ。本当にありがとうございます」
女が男の目を見て言った。
男は女の目の中に虹色の光彩を見た。
(何て綺麗な目なんだろう)心の中で思い、唾を飲み込んだ。
その光彩は、キラキラと輝き、綺麗だが、ある種の緊張感を与える光を含んでいた。
「綺麗な目ですね、まるで人じゃ無い様な・・・そう、天女?みたいな?・・・すいません、此処の伝説の受け売りで」
「人じゃなかったら」女が微笑みながら言った。
「まさか。天女様がおにぎりにかぶりつくなんて絵は似合いませんよ。それに此処にご飯粒がついてる」
男は笑いながら自分の顎を指差して言った。
女は慌てて自分の顎に指を持って行きご飯粒を拭うとそれを口に運んだ。
翌日、男は予定を繰り上げて女を連れて東京に帰る事にした。
朝、起きると女はもう起きていて部屋のソファーに座っていた。
おはようございますと挨拶してベットから起き上がった男はそのまま洗面所へ向かい顔や歯を磨くと入り口脇の洋服掛けからGパンを取り、Tシャツに着替えて机の上のタバコを取ると女の向かいに腰を掛けた。
「足は、痛まない?」
「はい、ありがとうございます。もう大丈夫みたいです」
「うん、軽傷で良かった。七時を回ったら一階の食堂に行こうか」
「はい」
「敬語、使わなくて良いからね。普通で良いよ」
女は黙って頷いた。
食堂に向かう間、女はまだ少し痛むのかして男の腕を持って歩いている。
「こうして歩くの癖になっちゃいそう」女が呟きながら男の顔を見る。
「光栄だけど、癖になったら困るな~」笑いながら女を横目で見ながら男が言った。
二人は食事を済ませると男は荷物を取ってくるよと言い残して席を立つ。
部屋に戻り、荷物を纏めて階下に降りると帳場に行ってチェックアウトを済ませて食堂の女の所へ向かうと出発しようと言って女を立たせて宿を出ると駐車場へ向かい、車の助手席に女を乗せると自分も運転席に座りイグニッションキーを回してエンジンに火を入れた。
二人を乗せた車はゆっくりと駐車場を後にして東京方面へと進路を取って行く。