働く男
人は大変悲しい生き物ですね。と、私は思う。
毎日毎日学校へ行ったり職場へ行ったり、大変である。ぬくぬくの布団から出るのさえ嫌なのだから、家から出るなんて最早修行である。しかし、その修行を制した者こそ、幸せな人生を得ることができる。
そう一般人は言うのだろう。
けれども、私は自分を一般人の括りに入れていない。私は周囲の人間に『無駄に無駄な事をすることに長けている』と評される。
そう、私には才能があるのだ。一般人と一緒にされては困る。私は平均以下の人間なのだ。
けれども、よい方向に考えよう。私は逆に考えれば、誰よりも素敵な人間ではないだろうか?
私は人を見下さない。私は下の人間を探さない。テストで悪い点を取った時も、周囲の人間に「何点だったかね?」などと訊かない。常に上ばかり見ている、向上心の強い青年だ。
理由は簡単である。私が最底辺の人間だからだ。底辺の頂点なのだ。
神は人の上に人を作らないという。
神は人の下に人を作る。故に一番下の人間である私は、全人類を支える大黒柱であり、誰よりも貴い存在なのだ。まぁ、例え私が潰れてしまっても、私の一個上の人が人類を支えてしまうので、換えはいくらでもいる。
それでも私が素敵な存在であることは覆らない。私と人類の頂点は、世界で一番素晴らしい人間なのだ。人類の頂点とは仲良くできそうである。
「おや」
私が必死に自分を正当化しようとしていると、普段沈黙を貫く携帯電話が震えだした。私の携帯電話は非常に寡黙な男なのだ。しかし、稀に沈黙を破って痙攣する時がある。それが今だ。
電話の相手を確認すると、我が愛するべき後輩からだった。
「そんなに震えて、寒いのかい? そうだ、これをお使い」
私はそう携帯にやさしく話しかけて、彼のか弱い体に重い布団を五重に置いた。振動が聞こえなくなった。
これで厄介な後輩から解放され、私は自宅でぬくぬくできる。
上機嫌で鼻歌を奏でていると、電話が合唱を企んで歌いだした。私は他人と歌うことが嫌いなので、鼻歌を引っ込める。それでも電話は歌い続ける。
「ふん、音痴め。私の歌の方がすばらしいね。なぜならば、隣に住む人が壁を叩いて褒め称えてくれるほどなのだから!」
「うるせえぞ! 早く電話に出ろ!」
ドンドン、と隣人がリズムをとってくれる。何と優しいのだろうか。後でお礼の菓子折りを持っていかなくてはならない。
電話に出る。
『先輩、遅い』
「ふむ、きみか? どうしたのかね。私は今、忙しい」
『無駄な言い訳は不要。今日は、妹尾と出かける予定のはず』
妹尾とは彼女の名字である。彼女は自分の名字をよほど気に入っているのか、一人称に用いている。妹尾さんは静かに言う。
『サークルにも来ない。風邪?』
「妹尾さん、私はバカだから風邪をひかん。素晴らしいだろう。私は勉強をしないことにより、健康を保っているのだ。健康のためなら、私は人生を棒にだってふる」
私の素晴らしい言葉に聞き惚れたのだろうか、電話の声が黙った。それは通話終了を意味しているのだろう。私は黙って電話を切った。
私が電話を切って一安心していると、今度はドアがノックされた。先程騒がしくしたから、隣人が怒っているのだろうか。まだ菓子折りは用意できていない。
居留守を使おうか。いや、彼には私の存在がばれている。居留守は無意味だ。
「はい。今出ます。殴らないでください」
ドアを開けると、妹尾さんがいた。
「私はキリスト教です」
ドアを閉める。
ドアが無理やり抉じ開けられる。どうやら、今回の勧誘家はプロの勧誘家のようである。私の信じる神など無意味とばかりに、彼女はドアを一瞬のうちに開いてしまう。
「先輩、おはよう」
「どちらさま? 私の名前はエドワード。アイキャントスピーク日本語」
私が得意の英語を披露していると、妹尾さんが脛を蹴りあげてきた。どうやら、得意の格闘技を見せてくれたようである。
我々はお互いに特技を見せ合ったことにより、友情を深めた。もう知らぬ仲ではない。気楽に話そうではないか。
「で、どうしてここまで来たのかね?」
「先輩が来ないのは予期していた。だから、家の前で待機していた」
後輩に気を遣わせてしまったようである。それは私の望むところではない。
「それはすまないね。さて、では!」
そう言ってドアを閉めた。本当のことを言うと、私は新人類なのである。私にとって、きれいな空気とは毒のことを言う。外に出てしまうと、死んでしまうのだ。
やがて大きな蟲と心を通じ合わせて、虫達の進撃を止めねばならない。人はその蟲のことをオ――。
「蹴破る」
「待って。分かった。分かったよう。先輩、外に出るから!」
私は何の躊躇もなく、外へと出た。そして、堂々とした雰囲気で歩き出す。
「サークルの活動だったか?」
妹尾さんはこくりと小さく頷いた。我らが所属する怪しいサークル。『人間育成会』。そこでは、日々愚かな学生たちが自分を磨くため、頑張っている。
ちなみに、私のような人間がこのようなサークルに入ったのには訳がある。私はよく『無駄に無駄な事をすることに長けている』と評される。けれども、昔の私はこの評価を不服と嘆いていた。
無駄無駄を卒業するため、私は『人間育成会』に所属した。
まぁ、無駄な足掻きだったのは言うまでもない。
「確か、きみの目標は……」
「社交性を身につけること」
「そうだったね。で、今日はどうして私を誘ったのかな?」
「暇だから」
私は暇ではない。毎日、無駄な事をするのに忙しい。昨日など、どうすれば効率よく寝坊できるか試行錯誤していたのだ。重ねて言うが、私は暇ではないのだ。
好奇心旺盛を擬人化したような存在。暇な時間などないくらい。暇している時でも、暇するのに必死である。
「私も暇ではないのだが、かわいい後輩のためだ。一肌脱ごう」
「……かわいい」
小さく小さく、妹尾さんが呟いたような気がした。心なしか、彼女の頬が朱色に染まっているような気もする。けれど、それもいつもの妄想であろう。
こんなに可愛い女の子が、私の言葉程度で頬を染めるわけがない。いや、怒っているのかもしれない。顔を真っ赤にして、怒っているのだ。
それは危険。この子は格闘術に長けている。怒らせても得はない。
「社交性を身につけるため、我々は何をするのか?」
「ボランティア」
端的に言って、妹尾さんはずんずん歩き始める。彼女に遅れないよう、私は歩調を速めた。
我々は街に出た。街に出ると、当然人がいる。人ごみの中、我々が行うボランティアとは!
簡単に言うと、ゴミ拾いであった。人ごみの中、ゴミ拾いをする男女。これはどう見ても、ボランティアである。
人ごみは苦手である。鬱陶しいことこの上ない。
だからこそ、私は妄想する。
大きなゴミ袋を持って、群衆の前に立ちはだかる私。不敵な笑みを浮かべて、袋を皆に見せつける。
『しまわれたい者から前に出よ!』
私は全てをゴミ袋に収納してしまう能力者。人呼んで、ゴミ袋の征服者。
悪者をバッタバッタと収納して、来るべき最悪と激闘の日々を繰り広げている。今回の相手は最強のライバル。黒いマントを身に纏い、謎の仮面で顔を隠した性別すらも分からない敵である。
能力は、人塵。群衆を生み出す能力である。
「私の戦いは始まったばかりである!」
あまりの興奮で、私は妄想世界から脱出して叫んでいた。人々が一斉にこちらを見つめた。私は知らないふりをして、ゴミを拾うふりをする。
すると、妹尾さんがトテトテと寄ってきた。
「恥ずかしい。黙れ」
「先輩には敬語を使いなさい」
「お黙りなさい」
「……」
と、私はここで素朴な疑問を覚えていた。この疑問を解消するため、妹尾さんに声をかける。
「これは社交性を身につける活動ではないのか? ボランティアはいいとして、ゴミ拾いで社交性が上がるのかい?」
社交性を上げるのならば、もっと他にあるだろう。恵まれない私のために募金活動の呼び込みをするなり、寝たきりの私を助けたり。
それでなくとも、ボランティア活動は色々ある。こんな私だが、『人間育成会』に入った当初は色々とやったものだ。老人たちは一様に私の将来を案じてくれ、色々と世話をしてくれた。
老人ホームにいる人々は非常に心やさしい。
「それは失念していた」
彼女はそう言うが、それはおそらく嘘であろう。彼女は私より聡明なのだ。こんな簡単なこと、彼女が気がつかない訳がない。
何か違和感を覚えつつも、私は地域のために働いた。