シクラメン
今回はいつもより長いです。
むかしむかし。
とある少年がいた。彼はとある名家の嫡男で、幼くして母を失った。しかも、愛する母の死に嘆いていた少年にさらなる追い打ちがかかる。喪が明けるなり、父が後妻を娶ったのだ。母さんが亡くなったばかりなのに!と憤った息子と継母の中がうまくいくわけもなく、早々に少年は父が所有する別荘に追い立てられた。
無力な自分が情けなくて悔しくて、外でこっそり泣いていた少年は一人の少女に出会った。同じ年頃の二人はすぐに仲良くなった。そして少年は知る。少女もまた母を亡くしたばかりだということを。自分のようにつらい経験をしているのに笑顔を絶やさない少女に心惹かれ、恋心を抱くようになる。
だがすぐに別れの時が来てしまう。父親が迎えに来たのだ。別荘を出る前日、少女に別れを告げる少年は少女にプロポーズした。
「僕は今よりもずっと強くなる。だから僕と結婚してほしい」
「はい、いつまでもお待ちしております」
そうして十数年の時が流れ、青年となった少年は大人の女性となった少女と再会し、晴れて恋人同士になったのでした。めでたしめでたし。
だが。
「正直に言ってあげるべきかどうか……」
ピンク色の空気の中、さらに砂糖を量産しているカップルを横目で見ながら真奈美はコーヒーを口に含む。初恋をかなえたと評判の二人は胸やけしそうなほどいちゃついている。
「やめとこう。言った所でもうどうしようもないし」
一度大きくため息をつくとカップをその場において立ち上がる。料金をその場に置くと、お気に入りのカフェを立ち去った。胸やけカップルを見る羽目になるのなら、しばらく来ない方がいいな、と考えながら。
「そもそも言えるわけないよね」
もう一度だけカップルを確認し、真奈美は今度こそ歩き出す。
「初恋の相手、間違えてますよって」
真奈美がその少年に出会ったのは小学校に上がったばかりのころ。母が交通事故で亡くなり、意志消沈とした父を慰めようと祖父母が決行した旅行先でのことであった。
友達も誰もいない環境で大人たちは今にも自殺しそうな父に構ってばかりで、真奈美の相手をしてくれない。不満が溜まっていた真奈美が宿を抜け出して探検に出かけた先で、めそめそと泣く少年に出会った。
『泣いているの?』
『泣いて何かいない!!』
少年は噛みつく勢いで叫んだがすぐに顔を伏せて涙をこぼす。
肩を震わせて泣く少年の姿は、母への後悔に打ちひしがれる父のそれと重なった。
真奈美は、父が泣く姿にどうすることもできず、その背中を見つめるしかなかった。そして、少年は父と同じように悲しげである。父でもどうしていいかわからないのに、見ず知らずの少年に自分はいったい何ができるのか。
『よしよし』
考えた末、真奈美は少年のそばによると優しく頭をなでた。これは母の行動をまねたものだった。亡くなった母は真奈美が悲しんでいる時もよいことがあって喜んでいる時も娘の頭をなでてくれていたのだ。よしよし、いい子だねぇと。
『うっ……』
しばらく頭をなでていると少年は耐えきれなくなったのか、今度は本格的に泣きだした。
『うっ……うわぁーん!!かあ様~!!』
どこからそんなにあふれてくるのか不思議なくらい、少年は泣いた。泣いて、叫んで鼻水を垂らして。収まった時にはすっかり疲れ切っていた。
『ごめん……服、汚した』
『ううん。いいよ、これくらい』
しっかりしがみつかれていた真奈美の服はかなり悲惨な事になっている。だが悪い気はしなかった。少年が泣きやんだことのほうが重要だから。
その後、二人でたくさん話をした。お互いはあほ矢を亡くしたばかりだと知り、悲しみや苦しみを共有することになった二人がさらに親しくなったのは当然の成り行きだった。真奈美は、少年に会いに毎日彼の元へ通った。彼も思いがけずできた友人と過ごすことが気に入り、それが当たり前になっていた。
しかし、楽しい時間はすぐに終わるもの。少年が家に帰ることが決まり、真奈美の方も、ようやく父が立ち直り始め、この地を去る事になりそうだった。
『僕……今よりももっと強くなる。強くなって父さんを見返して、天国の母さんに僕はこんなに立派になったよって見せたい』
『君にならできるよ』
世辞でも何でもなく、心からそう思った。
『そして、立派になったら……迎えに行ってもいい?』
『え?』
少年は顔を真っ赤にして真奈美の両手を握りしめた。
『僕と、け、結婚してください!』
舌を噛み噛み、しかも早口。かっこいいとはいえない、可愛らしいプロポーズだった。
それでも、真奈美はうれしかった。泣き虫だった彼がいつか迎えに来てくれるのだと信じることができた。
『うん、待ってるね』
だから笑顔でうなずいたのだ。お互い、名前と母を亡くしたということしか知らないのに。それでも、願えばかなうと信じて。
そして笑顔で別れたのだった。しかし。
「ありがとうございました~」
店員に見送られながら、真奈美は店を出た。外は季節がらすでに暗くなり、冷たい風がふぶいている。買った品が入ったビニール袋を再び持ち直すと、真奈美は家に帰るためやや速足で歩きだす。
「寒い……」
体のことだけではなかった。昼間に見たカップルの後ろ姿がまぶたに浮かんで少しだけ泣きたくなる。
少年と別れた後、真奈美はごく普通に暮らしていた。少し変化があるとすれば少年との思い出がきっかけでカウンセラーを目指し始めたことくらいか。そして心理学を学ぶため、今在籍している大学に入学する。そして、例の少年こと葛城竜也と再会した。
とはいっても、二人は会話をしたことはない。学部は違っていたため、講義が被る事もない。ではなぜ気がついたのかというと、噂話を耳にしたからだ。葛城に彼女が出来た、しかも幼いころに出会っていたらしい、まるで物語のようね――詳細を聞くにつれ、愕然とした。幼いころの自分の体験そのままじゃないか。
噂を耳にするにつれ、それは確信となっていく。遠目に見た葛城には、確かに十数年前の面影が残っていた。大学でも一、二を争う美丈夫に成長した葛城はこれはまたトップクラスの美女を連れて幸せそうに微笑んでいた。余談だが、くだんの間違い娘は眞未という名前だ。それも勘違いの原因の一つだろうか。
どうしてそのような行き違いが発生したのかは不明だ。しかし、それでも真奈美は名乗り出ようとは考えなかった。すでに思い出は思い出。恋情も何も真奈美の中にはなかったからだ。それに、過去はあくまでもきっかけでしかなく、純粋に彼女を愛しているのかもしれない。ならば、余計な波風は起こさない方がいい。そう判断した。
「でも、意趣返しくらいは許してもらおうか」
一人暮らしの部屋に暖房をつけると、買ってきた植木鉢をテーブルの上に置いた。ラッピングした包装の中には濃いピンク色の上に強く反り返った花。誰もが一度は見たことがあるであろう鑑賞用の花、シクラメンだ。
「ロッカーあたりに忍ばせればわかるよね」
お祝いに、と匿名でこっそり送るつもりだった。不信がるかもしれないがあの甘甘カップルはお互いの記念に、などと言いながら大事にするだろう。真奈美がこっそり込めた意趣返しには気付くまい。
「花言葉は清純、思慮深い、内気、はにかみ……」
ちょっと調べればすぐわかる事なのでこれには意味はない。意趣返しはこの花の別名にある。
「別名は……豚の饅頭」
実を言うと、真奈美は旅行先で現彼女、眞未と出会っている。一緒に遊べるかと思ったが、彼女は親にべったりの人知りで、すぐにあきらめざるを得なかったが。
「あのおデブちゃんが、ね。プッ」
歩くより転がした方が早いんじゃないかと言いたくなるくらいコロコロした子供だったのだ。本人は絶対に認めないだろうが。
だから意趣返し。彼女の過去と、あっさり饅頭にされた彼へへの。
勘違いされるかもしれないが、真奈美は彼を恨んでいない。勘違いにはあきれるばかりだが、あの時の思い出のおかげで今の自分があるのだと思うから。
だからほんの少しの感謝もこめて。
「さよなら」
幸せに、そう祈ることくらいはしてもいいから。
彼が本物に気付くかどうかは――――シクラメンにもわからない。
別名使って皮肉ってるよ、という話。
元々、短編で考えていた話を組み込んだものです。続きを書くかどうかは未定です。
...next is [rosemary]