木瓜
私の実家には今時珍しい床の間がある。
普段はいくつかある掛け軸を入れ替えるくらい。古そうではあるが、某鑑定番組に出てくるような数千万円の骨董品とは程遠いそれらを気にすることはめったにない。せいぜい正月のあいさつで床の間に挨拶をするからその時くらい。特に意識することなく、背景の一つとして私は認識していた。
それは私がまだ幼いころ。珍しく床の間に花が飾られていた。
細い枝に小柄な赤い花が咲いている。赤といえども、薔薇のように毒々しくもなく、桜のように弱弱しくもなく。一目で気に入った私は母に尋ねた。
「この花の名前はなんていうの?」
それから床の間に目を向けない日々がしばらく続いた……
「会長―。生徒会長、起きてくださいよー」
がはっと音が出そうな勢いで顔を上げると目の前には分厚い資料の束を持って私を見下ろす眼鏡が標準装備の副会長。
「何で?」
「何でも何も、委員会あるから呼びに来たのにぐーすか寝こけていたのは会長のほうじゃないですか」
時計を見上げてみれば時間は会議開始時間の10分前だった。いつもなら事前準備のためにも30分は前にやってくるはずの自分がなかなか来ないので他の役員から頼まれたのだろう。自分でもびっくりだ。
しかも夢の内容は自分にとってあまりよい思い出とは言い難い記憶だ。
「機嫌が悪いですね。おやつのパンを猫に取られでもしましたか?それとも鳥にお弁当を食べられましたか?」
「何で全部食べ物関係!?私はそんなに食いしん坊じゃない!!」
「猫の件で散々叫んでいたのは貴方ではないですか」
うっ、と声を詰まらせた私を見て、呆れたと言わんばかりのため息。確かにパンをちょっとちぎって野良猫に上げようとしたら、逆に手に持っていた大部分を取られたという事件はあったが……。生徒会長の威厳はどこいった。
「そんなんじゃない。ただ……夢見が悪かっただけ」
「へぇ?どのような夢でしたか」
「昔の黒歴史。それ以上聞かないで」
「ぜひともお聞きしたいです。どうぞ」
「こんなときだけやる気を出すな!」
黒歴史だと言ったのにむしろ身を乗り出して聞きだしにかかるこいつは性格が悪すぎる。
私とこいつとの戦いは話さないと猫の一件を全校生徒に暴露するぞといった内容を遠回しに伝えられ、私が肩を落とすことで決着がついた。
「私が幼稚園の頃くらいかな。家に今まで見たことのない花が飾られていた」
花と言えば茎や葉で花以外は緑色というイメージが強い。木の枝に小さく咲いたその花が少女だった自分にとって極めて物珍しく感じられたのだ。
「とても小さな花で色も好みで。その花を気に入った私は母に問いかけたんだ。『この花の名前はなんていうの?』とね」
どうということのない話だ。本来ならすぐに忘れてしまうはずの些細な出来事。
だが、しかし。
「母は『この花はボケというのよ』と言った」
「ああ。あのボケですね。それがいったい…………ひょっとして」
「そうだよ!私はそれが花の名前だと思えなかったんだ!!」
まさか罵りに使われる言葉と同じ音を持っているとは知らず、幼かった自分はその場で泣きだした。そんな名前な訳がない、と。
母に何度なだめられても、泣き声を聞きつけてやってきた父に諭されても、納得しなかった。むしろ、自分が子供だから両親はこの花の名前を教えてくれないんだ、と言いがかりをつける始末。すったもんだの末、祖父が私を抱きかかえ何度も言い聞かせてようやく私は納得したのだ。
『ほら、ごらん。ボケとはこう書くんだよ』
目の前の紙には、万年筆で「木瓜」と書かれていた。
『木瓜の実は瓜の形似ているからこう書くんだ。最初は「もけ」と呼ばれていたのがそのうちなまって「ぼけ」になった。だから、バカにしているわけではないんだよ』
『でも名前間違ってそうなっちゃったんでしょう?』
どっちにしろひどいよ。そう言った私の頭をなでながら祖父は困ったように笑った。
『お前は優しいのう……こう考えたらどうかね。お前やわしが生まれるずっと前から木瓜は人と共に在った。人に愛されていたからこそなまって名前が木瓜になったのだと』
木瓜は人に愛された花なんだよ、と祖父はもう一度繰り返した。
「会長、かわいらしいですね」
「だから言いたくなかったのに!!」
今思えば名前がひどいと泣き叫ぶなどと黒歴史もいいところだ。しかもそれを夢に見て目の前の副会長に話さなければならないとはどんな拷問だ。
「いいじゃないですか。別に木瓜じゃなくて馬鹿だと言ったわけではないんですから」
「言ってるでしょうが!!」
木瓜が飾られたのはあの日が最初で最後だ。だからもう十年以上あの赤い花を見ていないことになる。
思い出したことをいいきっかけに、今度、見に行ってみようか。
そう思ったのは迎えに行ったのに帰ってこない副会長を心配して別の役員がやってきて、平謝りして会議室に向かう途中でのことだった。
花言葉は指導者・先駆者。ということで生徒会長の女の子のお話。
我が家にも床の間があります。小さいころ床の間に入り込んで叱られた記憶が……私にも黒歴史が〈笑〉
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