表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/30

不自然な沈黙

10/3 深夜0時過ぎに、ほんの一部文章を変えました。

10/7 本文を一部改稿しました。内容に変更はありません。


 

「ハッ、お前っておかしな奴だな」

 ニックは突然笑い出した。焦ったような、戸惑ったような、とにかく酷く混乱している笑い方だ。

「俺がお前の妹達に弱味を握られている? 何だよそれ、夢でも見てんじゃねえか?」

「だって、じゃあ変じゃない。あんたがわたし達一家と関わり合うなんて、おかしいじゃないの。だってずっと、避けていたんだから」

 彼はこちらを見ながら、忌々しげに煙草を握り潰した。そしてそれを投げ捨てる。

「その件については、俺からも物申すことがあるぜ。避けていたのは、俺じゃない」

 ニックは睨むような視線を向けると、わたしを指差した。

 

「お前だ」

 

「わ、わたし? 嘘よ」

 何を急に言い出すのだろう。

「いいや、嘘なんかじゃない、いつもお前は俺を拒絶していた。だが、それがどうした? すんだことだろう。俺は気にしない」

 そう言って、彼はわたしから視線を外していく。深く息を吐くと、今の会話からも興味をなくしたように歩き始める。

「待って」

「何だよ」

「わたしが、あんたを拒絶したって……」

「何だ、その話か。もういいだろ、どうでも」

「だって、納得出来ないわよ。どうして、わたしが……」

 何故、わたしのことに話がすり替わってしまうのか。ニックは自分に都合よく過去を捉えようとしている。そうとしか思えなかった。だがそんなの、許せる筈がない。

 だってわたしはずっと、傷付いてきた。この男から発せられる言葉の数々に。この男から向けられる冷たい視線に。深い深い意識の底には、今もあの日の苦しみがあるのだ。

「前にお前に言ったよな? 目に見えているものだけでなく、見えないものも読み取れと」

 ニックは軽くため息を吐く。

「それと同じようなことだ。お前の側から見えることと、俺の側から見えること。相手の立場に立って見れば、それぞれ違った見方になるということだ」

「あら、そう」

 無性に腹が立つ。偉そうに講釈をたれる男にどうしようもなく苛立った。

 何を言っているのだろう。まるでこれが正論だとでも言うかのように、自分の言い分だけでわたしを蔑んだように見下ろしている。

 あんたにわたしの気持ちが分かると言うの? わたしの立場に立って自分を振り返れると? わたしのことをあんなに痛め付けた、他でもないあんた自身が?

 結構じゃない。

「随分、ご立派なお考えをお持ちですけど、じゃあ、あんたには分かると言うのね?」

 ニックの肩が揺れた。

「あの頃のわたしが何を思い、あんたをどう見ていたか、全て分かると言うんだ?」

 冷たく彼を見るわたしの視線を受け止めて、男はぼんやりとこちらを見つめ返してきた。

 淡い空色の瞳は、何を映しているのだろう。生気を少しも感じさせない、ぼやけた色に見えた。

 

「ガキの頃のことは、悪かったと思ってる」

 

 彼の頭が項垂れたように俯く。

 

「許して欲しいーー、なんて虫がよすぎるか?」

 

「えっ?」

 驚いた。

 こんな殊勝な態度を取るこの男を、今まで見たことがない。

「許して……欲しい?」

 

「ああ、やっぱ無理か?」

 

 ニックが頭を傾け顔を見せた。その表情に息が止まりそうになる。

 影を差したように暗い瞳と、緩く歪んだ口元。

 寂しげに虚ろう視線を、逸らすことなくこちらに向け、僅かに微笑んで見せる。そんな人が変わったような顔をする男から、目を離すことが出来なかった。

 

 な……に?

 

 わたしは言葉をなくして、ニックを見つめていた。彼もわたしに応えるように、黙って見返してくる。 

 

 

 

 

「もう! 何やってるの二人とも。遅いじゃないの!」 

 突然足元から、怒りをはらんだ大声が上がった。

 我に返るように視線を外したわたし達は、そこにいるリリィちゃんに気付く。何てこと、彼女を忘れていたのだ。

 小さな少女は、荒い息を吐いて震えていた。額や首筋には玉のような汗を掻いており、美しい金髪は乱れている。きっと、いつの間にか独りになっていることに気が付き、慌てて戻って来たのだろう。途中で転んだのか膝に擦り傷が出来ていた。

「リリィちゃん、ごめんなさい!」

 わたしが謝ると、青い瞳から涙がこぼれ落ちた。

「悪い、リリィ」

 ニックが娘を優しく抱き締める。

「悪かったな、恐かっただろう?」

「恐かったに決まってるじゃない! ……待っても待っても誰も来ないんだもん! リリィを置いて、どっか行っちゃったかと思ったよお!」

 泣きじゃくる少女の背を彼は柔らかく撫で、悪かったと何度も口にしていた。自分達の言い争いに気を取られ幼い少女を忘れていたなんて、わたし達は大馬鹿者だ。

 おとなしく泣いていたリリィちゃんも暫くすると気がすんだのか、父親の腕を逃れ歩き始める。彼女は振り返ると前方を指差した。

「ねえ、この先に湖が見えたの。リリィ、あそこに行ってみたい!」

 その顔には涙のあとが残っているのに、本人は泣いたことなど忘れてしまったように笑顔を見せていた。

 子供ってすごいなあ。ちょっと前のことまで忘れてしまうんだ。

 わたしはリリィちゃんから見捨てられ、呆然としたように座っているニックの背中に目を向けた。

 少し前の、せつなげな眼差しが目の前にちらつく。どうしよう、わたしは忘れられそうもない。

「そうだな、そこに行って傷を洗おう」

 彼が立ち上がって、行くぞとでも言うように首を振った。休戦の合図ということらしい。

「そうね、行きましょう」

 わたしも頷いて歩き出した。

 

 

 

  ***

 

 

 

「ねえ、お姉ちゃーん、見て見てー!」

 湖のほとりで、リリィちゃんがわたしに手を振る。その手をすぐさま水につけ、「冷たーい」とはしゃぎながら高らかに笑う。

 少女の嬉しそうな笑い声に、わたしもつられて笑い返した。 

 わたし達はリリィちゃんに連れられて、彼女が言っていた湖にやって来た。そこは子供の頃から、何度も泳ぎにきた懐かしい場所だ。

 すぐにニックが水で濡らしたナプキンで、娘の膝の上を軽く拭く。取り敢えずの応急措置を済ませると、湖の側で食事を取った。

 食事が済むと、早速湖へと走り出すリリィちゃんとニック。わたしはこの場に残り、二人の姿を見守ることにした。

 心地よい風と楽しげな歓声。小さな娘と一緒になって、水をかけ合う恋人同士のような父親。

 ニックからはもう暗い陰りはなかった。その無邪気にさえ見える笑顔を盗み見る。

 

 いったいアレは何だったのだろう? 見つめ合うようになってしまった、アレは……何だったのだろうか。

 

 大きく笑う二人の声が響いてきた。リリィちゃんのかけた水で、ニックは濡れ鼠になってしまったようだ。頭を回して水滴を振り巻きながら、嬉しそうに娘を追いかけている。

「馬鹿……」

 わたしがこんなに悩んでいるのに、あんたは何でそんなにのんきなの? 何を考えているのよ、さっぱり分からないわ!

 親子の姿に小さな痛みを感じて目を閉じた。

 二人の仲睦まじい姿が何だか辛いだなんて、それはやっぱり、わたしだけがこの中で異質の存在だからなのか?

 

 わたしも両親が亡くなる前、そう今のリリィちゃんより少し大きい頃、この湖に家族でやって来たことがある。

 あの頃ディジーはまだ赤ちゃんで、ヘレンは生まれていなかった。動けない母さんの代わりに、父さんと二人今のニック達のように遊んだ筈だ。

 そしてその場には、ニック達のバーナー家も一緒にいたのだ。

 

「お姉ちゃん!」

 

 ハッとして顔を上げると、すぐ側にリリィちゃんが立っていた。

「ど、どうしたの?」

 考え事をしていたためかうまく表情が作れない。リリィちゃんは不思議そうにわたしを見ていた。

「ねえ、遊ばないの?」

 わたしはチラリと水辺に視線を投げかけた。ニックがぼんやりと、こちらを向いて立っているのが見える。あの側に、今は行きづらい。

「う……ん。お姉ちゃんは食べすぎでお腹が苦しいから、今は無理ね」

「何でぇー、一緒に遊ぼうよう!」

 リリィちゃんが、わたしの腕を無理やり引っ張っていく。

「あ、あの、リリィちゃん……?」

「リリィ!」

 湖からきつい大声がかかり、彼女は腕を止めた。

「お姉ちゃんに無理言うんじゃない、パパと遊ぼう。こっちにおいで」

 だがリリィちゃんは、いつまでもわたしを見ていて動こうとしなかった。

「サムお姉ちゃん、どうしても駄目?」

「リリィ!」

「もう! パパは黙っていて! 今は、サムお姉ちゃんと話をしているの。ねえ、お姉ちゃん?」

 彼女の寂しそうな目を見ると辛くなってしまう。だけど……。

 わたしが少女にごめんと声をかけようとした時、目の前に逞しい腕が現れ視界を遮った。

「リリィ……」

 いつの間にか側に来ていたニックが、いきなり娘を抱き上げ木立の方へ連れて行く。

「もうパパ、止めて! お姉ちゃんと遊びたいの」

 抗議の声を上げて暴れる娘に、ニックはウインクを返した。

「そんなこと言っていいのか? いい所へ案内してやろうと思ったのにな。パパのとっておきの場所なんだが」

「えっ、本当?」

 リリィちゃんの顔に再び笑顔が戻ってくる。

「行く行く、行きたい!」 

 とっておきの場所ーーって、まさか……?

 

「お前も、来るか?」

 歩きかけた背中が、挑むように聞いてきた。

「こんな所に一人残っても、つまらないだろう? 一緒に来いよ」

 ニックが誘う場所には心当たりがあった。

 そこにはいい思い出なんてない。それも全部この男のせいなのである。

 それなのに、何故わたしが、あんたと一緒に嫌な思い出の場所に行かなきゃならないの?

 

「……行くわ」

 

 だがわたしは気持ちとは裏腹に、何故かこの時行くと答えてしまっていた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ