少女の傷
9/29、0時前後に一部改稿をしています。大筋は変えていませんが、文章が微妙に増えています。
9/30、サブタイトルを変えました。
お見苦しいことをしてしまいまして、すみません。
「俺達も初めは上手くいっていた。少なくとも、最初の頃は、あいつは俺を好きだと言ってたし……」
ニックは告白を続ける。
その告白を、微妙に自慢話のように感じてしまうのは、わたしのひがみ根性のせいなのかしら。
それにしても、望まれて結婚するなんて、玉の輿の花嫁みたいな奴ね。
「だが、リリィが生まれて暫くして、段々すれ違いが出てきて……」
「あんた、やっぱり!」
「な、なんだよ?」
わたしが急に声を出したので、彼はびっくりしたように目を剥いた。
その彼に向かって鼻息も荒く息巻く。
「浮気したんでしょう? ダリアさんにもそう言ってたじゃない。相変わらず、酷い男ね!」
は、と言う声とも息とも分からないものを一言漏らし、ニックは呆れたようにわたしを見た。
「本当、お前は変わらんな。少しは成長してんのかよ、ガキの頃から」
「どういう意味よ?」
「あんなの、冗談に決まってるだろ。ダリアさんだってジョークを返してきたじゃないか。第一、俺は入り婿だぞ? そんなことしてあっちの家族にバレてみろ、血を見るだけじゃ済まない」
「あれ、冗談だったの?」
半分、本気にしてたじゃない。浮気が出来るほどモテるとも思ってなかったけど。
「あのな……、お前は少し表面以外にも気を配れるようにならないと駄目だと思うぞ。商売やっててそんなんじゃ、店を畳む羽目になるぜ」
わたしが口にした一言に「ハア」と大げさに肩を落とすと、ニックは呆れ返ったように忠告してきた。
「何言うのよ、ちゃんと今までやって来たわよ?」
わたしのことより、自分でしょう? 離婚までした奴に言われたくないんだけど。
じっとりと粘りつくような視線を感じて目を向ければ、分かりやすいくらい見え見えに逸らされる横顔。何だってのよ? 本当に感じ悪い。
「ともかく、俺は真面目にあの家に馴染もうと思ったわけよ。少しぐらい夫婦仲が悪くても、努力すれば上手くいくと思ってた。嫁さんと二人家業を盛り立てていこうと、婿としての役目を果たす気だった。こう見えてもな。だが、あいつは、無理だったんだろう」
「ふう……ん」
「リリィが三つになる頃には、俺達、喧嘩ばかりになっててさ。あいつは……、リリィのことだけど、仲の良い両親の姿を見たことないんだ」
「えっ?」
「リリィはいつもビクビクしてた。母親が当たり散らしていたからな。あいつはちょっとしたことでいつも叱られていたから、大人の顔色を見るような、そんな子供になっていた。俺はその状態を分かっていたが、どうしてやることも出来なかったんだ」
「何故よ?」
わたしはカッときてニックのシャツを掴んでいた。彼の言った言葉に腹立ちが治まらず、掴んだシャツを揺さぶって問い詰める。
「どうしてそんな、いい加減なことを! あんた、分かってて、見ない振りをしたってこと?」
彼は顔を歪めて下を向いた。
「仕方なかった。あいつは、女房は俺に不満があったんだ。リリィは俺への当て付けにされていた。だから俺が下手に庇うと、余計に怒りがリリィに向かう。それが分かっていたから、何も出来なかったんだ。ただ、リリィの側にいてやるしか……」
「何をしたのよ?」
項垂れていた男が顔を上げて、わたしを見た。どことなく焦点の合わないぼんやりとした瞳で、不思議なものを見るようにこちらを見ている。
「あ、なんーー?」
「ん、もうだから、何をしたのか聞いてんの! 奥さんにいったいあんた、何をしたのよ?」
ニックとの結婚を望んで、彼を婿に迎えた妻が、どうして彼を否定したのだろうか?
考えられることは夫の裏切りだ。愛が深ければ深いほど、裏切りは許せない筈だ。浮気などしていないと言っていたけど、本当は思い当たる何かがあるのではないか? でなければ妻に対して入り婿とはいえ、もう少し強く出れる筈だ。
自分を正当化した挙げ句、娘であるリリィちゃんが傷付くなんて酷い話だと思わないのだろうか。
「お前には、関係ない」
彼は再び視線を逸らした。
「これは、夫婦の問題だから……、他人のお前には言いたくない」
「そりゃ、わたしには関係ないけど……、でも、じゃあ何故、こんな話をするのよ?」
勝手な男だと思う。自分の方から話を振ってきて、いざ不利な部分が出てくると関係ないと突き放す。
不愉快だわ、えーえ、とっても不愉快だわよ。
「お前に、リリィのことを分かってもらいたかったんだ」
ニックがぼそりと呟いた。
「えっ?」
「お前が望まずとも、実際あいつは世話になるんだし。リリィがどんな子供か、知っておいて欲しかった」
「そう……」
「単純そうな子供に見えて、実は複雑なものを抱えているってこと、ちゃんと分かっておいて欲しかったんだ」
そう言って苦笑を浮かべたニックの顔は、やはり父親のものだった。わたしは奴の笑顔から顔を背ける。
「あんたの言いたいことは、何となく分かった。安心して、気をつけるから」
「ああ……、サンキュー」
苦い笑顔はホッとしたように、更に柔らかなものになっていく。
だがわたしは、その笑顔が苦手だった。わたしの中にあるこいつのイメージに、まるで合わない穏やかな笑顔が。
「ねえ、二人とも。まだなの?」
いつまで待っても現れないわたし達に、待ちきれなくなったのだろう。リリィちゃんが、店と住居を隔てている扉の側で不満げに覗いている。
「すぐに来るって言ったでしょう。パパ、それにお姉ちゃんも!」
ほっぺたを膨らませ唇を突き出して、少女は剥れていた。その子供らしい膨れっ面がとても愛しい。
少なくとも今は、わたし達の顔色など気にしてる様子はない。そのことを嬉しく感じるわたしがいた。
「ごめん、ごめん」
「悪かったわ」
ニックは、すねたように扉に寄りかかるリリィちゃんの側へと近寄る。笑って肩を抱く父親とすがりつく娘、その姿が少しだけ羨ましい。
子供の、いや家族もいない自分自身をやるせなく思ってしまうのは気のせいだろうか。
***
「あら、サムじゃない。久しぶり」
「こんにちは、マチルダさん」
麗らかなある日の午後、燐家の洋裁店ーーつまりニックの自宅にわたしはお邪魔していた。
「我が愚弟はどう? 少しは役にたっている?」
マチルダさんはそう質問してきたあと、女性としては豪快に笑った。
ニックの姉上でわたしの尊敬するマチルダさんは、十歳上の現在三十七歳だが、相変わらず輝くようなオーラとそれに違わない美貌の持ち主だ。
彼女は明るく陽気な性格で、しかも裁縫の腕は超一流である。ニック達の両親が息子のニックにではなく、娘であるマチルダさんを後継者にと考えたのも、当前と言えるだろう。
彼女は作っては女心を掴むドレスを披露し、店頭へ出ては陽気な話術でファンを増やしていく。まさにわたしの理想とする店主だった。
「ああ、まあ、役にはたっています」
マチルダさんに不愉快な男のことを聞かれ、白けた気分に襲われる。役にたつどころか、現在売り上げは右肩上がりだ。それもこれも功績は、全部あいつの作り出したもの。わたしの力は全くない。
悔しいことに、今やわたしの小さな雑貨屋は、他人の物へと変わりつつあった。
そう、赤の他人! わたしの天敵、ニック・バーナーの!
そのことが目に余るようになったのは、ごく最近になってだ。あの男が、忌々しいあのふざけた男が、のこのこと店頭に出るようになってからなのだ。
この町にはあと二軒、雑貨屋がある。お客は自宅に近い店を利用し、普段はそれぞれの店の儲けはほぼ均等に分けられていた。しかし、その配分に差が表れるようになった。それはニックがわたしの店で、接客をするようになってからである。
雑貨をお買い上げになるのは、どうしても女性が多い。ニックは認めたくないが、どうも女性に受けるらしい。髭もきっちり剃り、愛想のよい笑顔と嫌味でない話術。それらを備えてしまうと、奴はすっかり好男子に変身してしまうのだった。
口コミで広がった噂が人を呼び、今では小さな店内には、主婦から少女まで女性客でいつも賑わっている。わたしがたまに店に立つと、「ニックさんはどこぉ? あんたなんかお呼びじゃないのよぉ!」とばかりに睨まれる。
何でこうなってしまったんだろう。ちょっとしたサボり心が、そんなに不味かったと言うのか? いつも店番をあいつに押し付けていた、わたしが悪かったのか?
今もニックの奴は、せっせとお客の相手をしている筈だ。これは俺の天職だぜ、とでも言いたげな悦に入った顔をして。て言うか、あいつの無愛想面はわたし限定なのか? 本当にムカつく。
そしてーー、そして遂には可愛いリリィちゃんまで、女性客と仲良くなってしまっていた。
そう……、わたしは完全に居場所がなくなっていたのだ。自業自得? 違う、ニックが悪いのよ。
「ねえ、お店はいいの? 最近、お客が増えたようだけど」
「ええ、大丈夫です。ちゃんと店番がいますから」
わたしのブスッとした顔にマチルダさんは驚く。そっかと、小さく呟いてクスリと笑った。
「ところで、今日はジンさんはどうされたのですか?」
店内にはマチルダさんの旦那さま、ジンさんの姿が見当たらない。
いつも接客を担当するのは、主に婿さんのジンさんの仕事だ。マチルダさんはお客が増えてジンさん一人の手に負えなくなった時以外は、店の奥で商品の製作に当たっている。それなのにマチルダさんが店先にいて、ジンさんがいない。
「ああ、彼は出ているわ」
マチルダさんは素っ気なかった。心なしか表情が硬い。まさか、本当なのだろうか? 二人が険悪になっているのは。
「ねえ、サム。それよりも時間ある? 実はね、新作の試着をちょっとお願いしたいのよ。頼めるかしら?」
「ええっ? わたしが? いいんですか?」
「お客もいないし、丁度いいわ。あなたにピッタリだと思うのよ」
マチルダさんは店内を見回して、あっけらかんと告げてくる。それから、そうそうと思い出したように聞いてきた。
「あなたの用事はなんだったの?」
えっ、とわたしは息を飲んだ。そういえば言ってなかった。
「た、たいした用ではありません。この間、問屋さんの所に行ったら素敵なレースを見つけて、マチルダさんにプレゼントしようと思って持って来たんです」
今のわたし、店にも家にも何だか居場所がない。わたしの用事ってば、マチルダさんとおしゃべりしに来たようなもの。レースはあくまで口実だった。
「まあ、ありがとう。綺麗なレースね。ドレスのアレンジにピッタリよ」
「よかった。喜んでもらえて……」
彼女はレースを手に取ると、何事かを閃いたように輝くような笑顔になる。それから、出入口の扉に閉店の案内を出し元気な声をかけてきた。
「お店も閉めたし、これで邪魔者は来ないわ。さっ、それじゃサム、奥に一緒に来てくれる?」
そう言って、片目を瞑ってウインクをした。