表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/30

仲良しな二人

 

「ほら、もういいだろ。どけよ」

 ニックは荒々しくわたしの肩を押した。彼から微かに煙草の香りが漂ってくる。こんなに近い距離感は初めてのものだ。

「いつまで人にすがっているんだ? 図々しい」

 押されたわたしは、背後の整理棚に背中が当たって我に返った。「いったーい!」てほどでもないけど、癪に障るから大げさに喚いてやる。

「痛いじゃないの!」

 ニックは背中を向けたまま、興味もなさそうに呟いた。

「すっ転ぶところを助けてやったんだ。感謝されることはあっても、文句を言われる道理はないぜ」

「何ですって? 元はといえば、あんたの足に躓いたんじゃないの」

「悪かったな、長い足で」

 うう……、ああ言えばこう言う。何て、腹立つ男かしら。しかも顔すら向けずに言い返してくるとか、有り得ない。

 わたしはこちらを見ようともしない、失礼な男の首根っこを掴まえた。そしてそれを、力一杯引っ張てやる。

 

「ちょっと、こっちを向きなさいよ!」

 

「うわっ!」

 完全に油断してたニックは、突然後ろから襲ってきたわたしに驚いてバランスを崩した。彼はそのまま倒れるように、わたしと一緒に整理棚に背中をぶつける。

「何をする!」

 火を吹くように怒る、奴の顔が傍にあった。

 淡い空色の瞳が怒りのために大きく見開き、その瞳の中にわたしが映っている。

「おい、泣き虫女、ふざけるな。危ないだろう」

 すぐ目の前で罵倒されているのに、何も言えなくなる。いつものわたしなら、考えられないことだった。

 何故、黙ってるって? それは、だって……。

 

「パパ……」

 

 小さな声がして、いつの間にかリリィちゃんが立っていた。

「どうした、起きたのか?」

 わたしの横から急いで飛び出ると、ニックは膝をついて娘と目線を合わせる。

「うん……」

 寝起きのうっとりとした顔で、リリィちゃんがぼんやりと答えた。

 なんて可愛い仕草なんだろう。まさに生きたお人形だ。わたしが彼女ぐらいの頃に、喉から手が出るほど欲しかったお姫さま、じゃないわね、なりたかったお姫さまだ。現実には、どう考えても無理だったけど。

 その理想のお姫さまが憎い男の娘とは、人生とはなんて無情なのかしら。本当に、今のこの現状を過去の自分が知ったら、おそらく目を回して怒るに違いないわ。何故その男と一緒にいるの、ってな具合にね。

 

 リリィちゃんはわたしのベッドで昼寝をしていて、つい今しがた目覚めたところのようである。店の方から人の気配がするので、こちらまでやって来たらしい。

 彼女はだいぶ頭がしゃんとしてきたようで、顔には、おずおずとした躊躇うような表情まで浮かんできていた。金の巻き毛に青い瞳、お話の中の天使みたいで愛らしい。

 この子の別れた母親も、きっと手離したくなかっただろうに。無理矢理ニックの奴が、拐うように連れて来たのだろう。なんて迷惑な男なんだ。母親といれば、お嬢様として贅沢に暮らせていたのに。


 

「ねえ、パパ。お姉ちゃんと何してたの?」

「何って、お話してただけだよ」

 ニックはぶっきらぼうに答えるが、リリィちゃんは納得しなかったようだ。

「本当に? 喧嘩をしてたんじゃ、ないの?」

 わたしは驚いた。子供の洞察力は侮れない。口喧嘩をしていた時の状況を知らなくても、目にした一瞬で微妙な空気を敏感に捉え、その場の雰囲気を的確に察知してしまうのだ。

「け、喧嘩なんてしてないとも!」

 ニックは大げさなほど、身振り手振りを交えた笑顔になっていた。それはもう不自然なほどだ。そんなにわざとらしいと返って怪しいと思うんだけど、いいのかそれで?

 だが、父親とわたしを交互に見つめ、リリィちゃんは不安そうに呟くのを止めない。

「嘘、……本当は喧嘩をしていたんでしょ? リリィのことで喧嘩して……」

「ち、違う、違う。何を言うんだ」

 娘の悲しげに揺れる瞳に、ニックは慌てたように立ち上がった。それからわたしの前にやって来ると、いきなり肩を抱いてきた。

『ちょ、何してんのよ?』

 小さく抗議の声を上げたわたしを、威嚇でもするかのように鋭い目付きで睨みつけ、彼は小声で囁いてくる。

『いいから、話を合わせろ。訳はあとで話す』

 ちょっと、何よ、その顔。だがムカつく男は、わたしを無視して娘に笑いかけた。

「ほら、リリィ。パパはお姉ちゃんと仲良しだろう? なあ、泣きーーじゃないサマンサ、俺達仲良くしてたよな?」

 ちっ、何だその台詞? 子供目線とはいえ気色悪いなあ。だけど、もう本当不愉快極まりないけど、……仕方ないか。他ならぬリリィちゃんのためだ。

「ええ、ニック。わたし達、喧嘩なんてしてないわよねーえ。だって仲良しさんですもの」

 ふふふふ……と引き吊った笑顔で見つめ合うわたし達に、リリィちゃんはおずおずと聞いてきた。


「本当に喧嘩じゃなかったの?」 

 

「そうだとも!」

「勿論!」

 少女の煌めく青い瞳が疑うように細くなる。

「本当に?」

「本当、本当!」

 更にピッタリと近づいて、大きく頷き合うわたし達。このままだと顔がくっつくよ、全く。

「そっか……」

 リリィちゃんはにっこりして嬉しそうに呟いた。

「二人は仲良しなんだね?」

「そうだよ」

「さっきから、そう言ってるでしょう」

「よかった〜、だからパパの顔が赤かったんだあ」

 は?

「な、何言ってるんだ、リリィ」

 ニックは煩そうにわたしの肩から腕を上げると、クスクスと笑い声を立てる娘の側に急いで行く。

「さっきリリィがパパの顔を見たとき、赤かったんだもん、ほっぺた。だから、また喧嘩してたと思ったの。でも違ったんだね、よかった〜」

 凍りついたように動かないニックの後ろ姿を、わたしはぼんやりと見つめた。

 本当に、奴の顔は赤かったのだろうか? 実は、わたしの目にもそう見えたのだ。あの、二人で整理棚にぶつかった時に。

 ニックがわたしを見て顔を赤らめているように見えたから、何も言い返せなくなったのだ。意味が分からなくて。

 

 まさか……、

 まさかこいつ、わたしを好きなのかしら? ま、まさか?

 

「リリィ、変なこと言ってないで、手を洗って居間に行くんだ。おやつがダイニングテーブルに置いてあるから」

「独りで食べるの嫌だよ。パパ達も来る?」

「ああ、お姉ちゃんと大事な話が済んだらな」

「大事な話?」

 娘の顔が陰ったのを見て、ニックは焦ったように言い直した。

「違った、仕事の話だ。とにかくすぐに行くから、先に食べていろ」

「う……ん」

 

 少しの間グズグスと渋っていたリリィちゃんが、漸く居間へと消えたあと、ニックは大きくため息を吐いてこちらの方へと顔を向けた。

 その顔は赤らんでなどいなかった。いや、寧ろ青いくらいである。

 ーーこの顔のどこが赤いって?

 ニックがわたしを好きなどと、有り得もしない妄想を働いて、ジタバタと慌てていたわたしは、稀に見る馬鹿みたいだ。

 とにかく今の一連の出来事は、わたしの記憶から抹殺するしかない。でないと、恥ずかし過ぎて生きていけない。よし、強く願ってーーハイ、消えた!

 

「さっきは悪かった」

 暫くわたしの様子を訝しんで見ていたニックが、何故か謝罪の言葉を口にする。

「何が?」

 ごめんなさい、わたし先ほどのことは記憶にありませんの。だから何のことか分かりませんわ。って、ふざけてみても、しっかり覚えているけど、ふん。

「リリィの様子がおかしかっただろう?」

 なんだ、そのことか……。娘のことよりも謝ることがあるんじゃないの? 駄目だね、わたし。どうしてもこいつを恨みがましく見てしまう。

「そう言えば、自分のことで喧嘩したとか変なことを言ってたわね。それのこと?」

「ああ……」

 ニックは苦悩の表情を浮かべ、胸ポケットを探った。そして、煙草を切らしていたことに気づくと軽く舌打ちをする。

 彼は躊躇うようにわたしを見ていたが、小さく息を吐いてゆっくりと話し始めた。


 

「リリィが、あんなふうになってしまったのは俺のせいなんだ。俺と、あいつの母親……別れた嫁さんのせいなんだよ」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ニックの感じがあまりにも悪すぎて……読むのがキツかったのでここでやめときます……。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ