その2
「姉さん! あれ、見て」
わたしは人並みで賑わう表通りを、姉の手を引っ張って駆け出した。
表通りの中心部には噴水広場があり、その側では派手な音楽を鳴らして、旅回りの劇団が芝居を披露していた。
人だかりと軽妙な調べに釣られ、人々が吸い寄せられていく。わたしも遅れてたまるかと、姉の手を再度強く引っ張ったのだ。
なのに、
掴んだ筈のその手からは何の手応えも伝わってこない。
訝しく思い振り向いた先には、気の抜けたサムの虚ろな顔があった。
「サム姉さん?」
「え、何?」
今にも泣きそうな顔だ。わたしは激しく後悔していた。
今日は待ちに待ったお祭りの日。
父さんに遊びに行く許しを得ていたわたしは、起きた時からソワソワしていた。
祭りには姉のサマンサと二人で出かける予定だった。ビルとの約束が潰れたサムには、その後誘ってくる友人はいなかったからだ。
だからちょうどいいと思った。沈んでいたサムを元気づけてあげられると、浅はかにも思い込んでいたのである。
妹のヘレンは小さすぎるので、父さんや母さんとお留守番になった。そのこともわたしを有頂天にさせていた。父さん達に自分は認められたんだってね。
「あーあ」
サムはつまらなさそうに呟く。通り過ぎていく人は誰も笑顔なのに、ニコリともしてない。
「わたし、何でこんなとこいるんだろ」
聞き取りにくいほど小さな声だったけど、ばっちり耳に入ってきていた。
「なによ……」
知らず知らず涙が溢れてくる。姉さんはわたしとなんか、お祭りに来たくなかったのだ。
ビルと……、ビルとだけ来たかったんだ。
「姉さんのバカ!」
「ちょっ、ディジー?」
わたしはサムの呼び止める声を無視して、走り出した。信じられないくらい大きな声で泣きじゃくりながら、人混みを掻き分けサムから逃げ出したのだ。
で、その後どうしたかと言うと……。
当然迷子になったの。
あ、でも全然平気だったわよ。だって狭い田舎の町だもの。幼いながらも地理はばっちり頭に入ってた。
わたしはブラブラと表通りの外れを歩いていた。一時の衝撃でサムを振り払って逃げたけど、絶対向こうは捜しているはず。ビルに誘いを断られ、その上妹とも喧嘩なんかしたら、サムはきっと立ち上がれないほど落ち込むはずだ。
謝るのはしゃくに障るけど、心配させるのはもっと嫌。
わたしは決心して元来た道を戻ることにした。
その時、奴と出くわしたのだ。
誰かって?
ニックよ。
「お前、ディジーだろ」
「ひいっ」
突然踵を返して追いかけてきたニックを、化け物でも見たかのように悲鳴を上げて避けるわたし。
人目のある通りだと言うのに、ニックはわたしの首根っこを捕まえて、逃がさないように羽交い締めにしてきた。どうでもいいけど、女の子に対する扱いじゃないわよね。
所詮年齢も遥かに上で、しかも胸くそ悪いことに、こいつは足の方も長いときてる。最初から逃げ切れるわけなかったのだ。チビのわたしなんか、すぐに取り押さえられてしまったわけ。
「たす……けて……」
「黙れ、このクソガキ」
「君達、どうしたんだ?」
町の警備を担う大人が、わたし達を不審に思い声をかけてきた。
が、ニックは持ち前の要領の良さを発揮して、相手を煙に巻いてしまう。
「騒がしくしてすみません。妹の奴が屋台で売ってる飴を買ってくれって煩くて」
「うう……」
必死で助けをこうわたしから視線を逸らし、警備の男性はニックに厳しい眼差しを送る。
「そのくらい買ってやったらいいじゃないか。こんな小さい子に力ずくなんてかわいそうだろ?」
「俺だって買ってやりたいんです。でもさっきから炙った肉や、果物のジュース、それに焼き菓子まで買ってやったから小遣いなくなってしまって」
「何だって? そりゃ災難だったな」
しゅんとするニックに、男性は気の毒そうな顔を向けた。わたしが涙を滲ませて首を振ってるのに、もうこっちを見もしないのだ。なんてことだろう。わたしを締め付けるニックは、どう見ても怪しい奴なのに。
ようやくこっちを向いた男の人は、明らかにニックに同情していた。
「嬢ちゃん、あんまり兄ちゃんを困らせてやるな」
そう言って彼はニックに小銭を握らせると、「これで飴でもなんでも買ってやれ」とかなんとかほざいて去って行ったのだ。格好いい大人の自分に酔ってるみたいに。
今のニックが普段のしかめ面を綺麗に消し去り、愛想よく接客をこなせるのも、生まれ持った要領良さのお陰に違いない。
彼の素を知らない他人はコロリと騙される。
わたしやサムには、絶対見せないムカつく顔だけど。
「ぷはあ〜」
大人がいなくなってやっと離された手から逃れ、わたしは大きく深呼吸した。
「何するのよう?」
眉間にシワを寄せる険しい顔にも負けないで、鬱憤をぶちまける。
「うるさい、それよりサマンサはどこだ?」
ニックは顔をしかめて問い返してきた。
「え、姉さん?」
「そうだ。サマンサはどこにいる。お前ら一緒に出て来たんだろ。ビルは他の奴と約束し直したんだから」
キョロキョロしながら周囲を探す後ろ姿に、わたしは聞き返した。
「なんで、知ってるの?」
「何でって、聞いて……」
ハッと顔色を変えたニックは、わたしを怒鳴りつけて走り出した。
「サマンサの奴、迷子になってるぞ。お前のせいだ!」
「うっ、なんでーー」
鋭く状況を見抜かれて、わたしは言葉を詰まらせる。なんで分かるのよ、不愉快な。
「分からないはずねえだろ。あいつ今頃お前を捜して、自分が迷子になってるだろうよ」
急いで人混みに紛れて行くニックの背中を、わたしも夢中で追いかけた。
サムがわたしを捜して迷っている。そのことに頭が占領されてしまい、さっきの不自然な台詞はすっかり記憶から抜け落ちてしまったのだ。その時はね。
しばらくして、サムは見つかった。
ニックに引きずられるように歩いてくる姉の姿を目にした時、わたしは嬉しくて思わず二人に駆け寄った。
「姉さん!」
「ごめんね、ディジー」
ぼろぼろと涙をこぼすサムは、髪の毛はほつれ、頬はススがついたみたいに薄汚れており、おまけに服はしわだらけでヨレヨレになっていた。きっとわたしを捜して歩き回ったんだろう。それでも見つけることが出来ず、おまけに自分が迷子のようだと気がつき泣いていたのかもしれない。
姉のぐしゃぐしゃになった顔を見ていたら、わたしも再び涙に襲われていた。
「わたしこそ、ごめんなさい」
わたし達は抱き合ってワンワン泣いた。
人目も憚ることなく大声で泣いてやった。
「おい、お前ら」
横でニックが指で耳栓をして渋い声を出していたが、無視をして泣いていた。
泣き疲れると黙って祭りの風景を眺める。
いつしかニックは見当たらなくなっていて、二人だけになっていた。
煩く泣き叫ぶわたし達に奴は辟易したんだろう。
何しに来たのか分からないけど、サムを見つけてくれたから、まあ、ありがたかったけど。そんなことをつらつらと考え、サムと二人、遠くに見える楽団の演奏や大道芸に湧く歓声を聞いていた。
「わたしさー、見ちゃったんだ」
サムがぼんやりと呟く。
「何を?」
「ビル」
サムはわたしを見て笑った。
「と、ローズの二人連れ。……びっくりでしょ。ジェニファーじゃなくて、ローズなのよ?」
クスクスとおかしそうな笑い声。
「結局誰でも良かったのよ。ビルにとって祭りに行く相手なんて、特別な子なんかじゃなかったの」
笑っていたサムは大きなため息を吐いた。
「気が抜けたわ。なんか馬鹿みたいと思っちゃった。自分だけが舞い上がってたんだものね。あんまり馬鹿らしくなったから、ビルの前に出て行ったのよ。わたしを見て変な顔をしたビルに、『ごきげんよう』って気取って言ってやったわ。あー、清々した」
サムの朗らかな顔がなんだか眩しい。わたしはうんと大きく頷いて笑い返した。
じゃあ行こうかーーと歩き出すサムに待ってと声をかける。
「なんだよ、お前ら。のんきに笑いやがってよ」
酷く不機嫌な声がしたのはその時だった。
手に美味しそうな棒つき飴を二つ抱えたニックが、ぶすっとして立っている。
「あんた、帰ったんじゃなかったの?」
サムが素っ頓狂な声を上げれば、ニックは益々仏頂面になった。
「悪かったな、帰ってなくてよー」
ニックは忌々しそうに顔を背け、ブツブツと何やら不満を口にしている。
わたしは、ただただ不愉快だった。
せっかくサムが暗い気分を払拭して、祭りを楽しむ気になったというのに。こいつのせいで、台無しになるかもしれないのだ。
だけど今から思えば、この日初めて、この二人に奇跡が起きたのかもしれない。
いつもならすぐに始まるお互いの揚げ足取りが、いつまで待っても始まらなかった。
喧嘩の代わりにサムはニックの持つ飴に、どうやら注意を奪われたらしい。不機嫌を大っぴらにアピールする相手を気にすることもなく、姉は普通に話しかけた。
「ねえ、それ、わたし達に?」
怒り気味に文句を口にしていた背中が、呆気にとられ振り返る。
「えっ?」
「その飴よ。わたし達に買ってきてくれたんでしょ?」
「これは……」
ニックの顔がだんだんと、おかしなほどに歪んでいった。
「ありがと、ニック。そうだ、あんたも暇なら一緒に来る?」
サムはニックの手ごと飴を引き寄せ、それをペロリと舐めた。
「お、お、俺は……」
「美味しい〜。ディジーも食べてごらん」
妙な顔で言葉をなくす幼なじみから顔を背け、こっちに向かって手招きしてくる。うんと言いつつ奴が気になって、わたしはなかなか近づけない。
だって本当に変だったの。サムはどうして気にならなかったのか。
いや、仕方ない。
わたしの姉サマンサは、幾重にも輪をかけて鈍い人だからね。
ニックが買ってきたこの飴は、もしかしてあのお金からなのだろうか。きっとそうに違いない。
なんてやな奴なんだろ。警備の人に貰ったお金で、サムに飴を振る舞って恩を着せるだなんて。
多分そんなこと思い浮かべ、わたしはニックの硬い表情を盗み見ていた。
ニックは恥ずかしそうに唇を噛み締めて、相変わらず立ち尽くしている。
一瞬そんな神妙な顔つきは、目の錯覚に違いないとわたしは瞬きを繰り返してみた。けれど、目前の男の恥じらったような不気味な顔立ちは、目を懲らそうが、こすりまわそうが変わることはなかった。
変なの、赤い顔してーー。
強張った頬を彩るほのかな赤色が、いつしか顔を飛び越え耳や首にまで達しており、この日初めて、わたしはニックの不自然な様子に違和感を覚えたのだった。




