予期せぬ求婚
11/10 本文を改稿しました。内容には変更ありませんが、ちょこちょこと色んな所をいらって800文字くらい文章を足しています。
毎度ながら、本当に申し訳ございません。
「サム、これは自信があるんだがどうかな?」
目の前で金物細工職人のジェイコブさんが、満面の笑みを見せた。
新作を携えて店へ顔を出してくれた彼に、店内で自慢の品を見せてもらう。今は珍しく他の客の姿がなく、わたしと彼の二人きりだった。
ジェイコブさんは大切そうに包んでいた布を開いて、花びら模様に細工された美しいイヤリングを差し出した。
「まあ、素敵。なんだか売るのが勿体ないくらい……」
金色に輝く上品なイヤリングを受け取り、ため息をこぼす。
わたしの声に被せるように、彼は身を乗り出して説明を続けてきた。
「そう思うかい? 実はね、これには対になってるデザインの物があってね……」
「対になってるデザイン?」
彼の話を聞こうと顔を上げたわたしの目に、突然暗く影が差す。
「サマンサ……」
わたしの視界に影を作った犯人は、音も立てずに近寄って来たニックだった。
いつの間に側にいたのだろう。さっきまで、店内にこいつの姿はなかったはず。
どうしよう。ニックが近くにいると思っただけで、血圧が上がったかのように、一斉に血が流れ出すのを感じてしまう。
わたしは身を固くして身構えた。
数日前の、あの出来事以来、ニックとの関係は子供の頃に舞い戻ったように、酷くよそよそしいものになっていた。
いや、子供の頃の方が、まだましだったかもしれない。当時この家に彼が訪れることは滅多になかったので、今のように冷たい空気を撒き散らしながら、共にいることはなかったからだ。
あんなことがあったにも関わらず、ニックは毎日やって来る。そのせいで、周囲はわたし達の間に流れる冷ややかな雰囲気に、すっかり困惑してしまっていた。
一番の被害者はリリィちゃんかもしれない。彼女の前でだけ仲良くなんて、わたしにはどうしても出来ないからだ。
何故来るの? 妹達との約束だから?
そんな約束、今となっては無意味なのに。
ニックがうちに来る理由として示した、実家でのリリィちゃんの処遇だって、マチルダさん夫妻の仲は修復されており問題はない。
彼女達には子供はなく、姪であるリリィちゃんを可愛がっているのは、パーティーの時の二人の態度からも容易に推察出来る。
そもそもマチルダさん達夫婦が対立していたという話自体、今思えば疑わしいものではなかったか?
奴自身だってパーティーの席で、当のマチルダさんに疑問をぶつけていたではないか。あの時の彼女の様子は、わたしの目から見ても怪しかった。
つまりニックの理由は、最初からなかったという訳だ。もうわたしと無理をしてまで、共同戦線を張る必要は奴にはない。
なのにどうして、今だにこの家に来るんだろう? こっちはあんたの顔なんか、二度と見たくはないって言うのに。
ああ、そうか……、わたしを見張りに来てるのね。そうなんでしょう?
「何か用かしら? バーナーさん」
わたしは彼を無視して、ジェイコブさんから視線を外さず返事をした。
「話が、あるんだ」
思いつめたような、低い声が耳に入ってくる。
「わたしにはありません。それに今は商談中よ。お客様に失礼だわ」
「手間はとらせない。すぐ終わるから」
ニックはこちらのすげない態度など、まるで意に介さず、急かすよう会話に割り込もうとする。その態度に怒りが湧いた。
「勝手なことを言わないでよ。商売の邪魔をしないで!」
「悪いとは思ってる。だが仕方ないだろう? お前はいつも俺を避けているじゃないか。誰かが側にいる時じゃなかったら、話しかけることさえ出来ないんだよ」
横に立つ男は渋い声で反論してきた。マナー違反の責任は、わたしにあると言わんばかりだ。身勝手な論理に腹立ちがおさまらず体が震えてくる。
「当たり前じゃない。どうしてわたしが、あんたの話を聞かなくちゃいけないの? 話ならもう聞いたわ。これ以上聞く必要はないと思うけど」
あんなことがあった後でも、平気で話しかけてくる無神経さ。わたし達の仲が決定的に駄目になった日、あのすぐ後からこいつはこんな感じだった。
ことあるごとに何故だか分からないが、こちらに絡んでくるのだ。どんなに逃げても、隙を狙っていつの間にか目の前に立ちはだかっている。
この男には、わたしを傷付けたという自覚がないのだろうか?
ーーないのかもしれない。
子供の頃からのこいつを思い返せば、こんな行動を取ってくる目的も分かるってものだ。つまり例のごとく、わたしに対する嫌がらせの延長なのだろう。
そうよ。いつだって人の傷を見つけては、しつこいくらいそこを攻撃してきてたじゃないの。結局そうだったのよ。
あの夜、思いが通い合ったような気がしたのは、全てわたしの幻想だったのだ。
どうしてそんなに必死になって、わたしに構うのだろう。
心配なの? 誰かに話すんじゃないのか、と?
話すわけないでしょう。
恋愛経験も少ないおめでたい女が、からかわれたことにも気付かずその気になった、笑うに笑えないつまらない馬鹿話なんだから。
「ニック、いったい彼女に何の用かな? 大事な話なら僕は席を外すけど」
わたし達のただならぬ雰囲気に、気を使ってジェイコブさんが声をかけてきた。
えっ?
驚いて、人のよさそうな柔らかい表情の壮年の男性を見つめる。穏やかな明るい茶色の瞳が、大丈夫だよと言うようにわたしを見つめていた。
そんな優しい顔で見られても、ニックと二人で話をするなんて今のわたしには無理だ。わたしは彼に止めてほしいと、急いで目で訴えた。
「本当ですか? それは助かります」
ニックの遠慮がちな声が返ってくる。どうしよう。わたしの訴えは誰にも届いていない。
「よし分かった。じゃあ、僕は改めて出直して来よう。サム、そういう訳だから、取り敢えずこれで失礼するよ」
ジェイコブさんは広げていた商品を、持参した袋の中に仕舞い始めた。
「今は価格の相談が出来ないから、申し訳ないがこれは一旦持ち帰らせてもらうね」
彼の手の中にあったイヤリングが、包んであった布と共に袋の中へと消えていった。
困ったわ。ジェイコブさんが帰ってしまう。
彼が帰ってしまったら、わたしは嫌でもニックと向き合わなければならない。
駄目だ。
何を言うつもりなのか分からないが、ニックの話など、どうせいいものではない。
この前のことを蒸し返して、また確認でもする気なのだ。
誰にも言うなと、忘れろと。あの夜のことは単なる気まぐれなんだ、勘違いするなと。
そんなこと、耐えられる筈ないじゃない。またあの地獄を味わなくてはならないなんて……。
わたしは思わず目の前にある、ジェイコブさんの皺のある手を掴んだ。
「帰らないで下さい」
そしてやっとの思いで、声を絞り出す。
どうしようもなく誰かに頼りたかった。わたしの突飛な行動に、ジェイコブさんは何も答えない。
彼の動揺は当然だ。いきなり手に触れてきたわたしに驚いて、言葉をなくしているのだろう。それはよく分かるのだが、自分で自分の感情をコントロールすることが出来なかった。
横でニックの息を飲む気配だけが、妙に大きく響いていた。
「お願いします。帰らないで下さい……」
わたしを一人にしないで。側にいて。
理由なんて何でもいい。今だけでもいいから、たった一人でニックに立ち向かえなんて酷なこと、お願いだから言わないで。
歪んだ視界の向こうに、ジェイコブさんの戸惑ったような表情が見えた。
瞼に纏わりつく、次々と溢れてくる温かい滴をそっと拭う。
「サム……?」
「サマンサ!」
ニックが咎めるような声でわたしを呼んだ。それから、わたしの肩を掴んで荒々しく揺すってくる。
「何をしてるんだ。止めなさい」
ジェイコブさんが止めるのも聞かず、彼はわたしをその大きな手で揺さぶった。
止めて、止めてよ!
声にならないよう、口元を押さえて悲鳴を封じ込める。この男に弱味を見せるのは、何としても避けたかった。
どんなに体を揺らしても彼を見ないわたしに、やがて呆れたような舌打ちが聞こえて、力をなくした指が肩からだらりと離れていった。
「もう俺を……、見ようともしないんだな」
ため息と共に小さな声が吐き出される。
わたしのせい? わたしが悪いと言うの?
もう一度、あんたの憎いその顔を、思い切り睨み付けて力の限りひっぱたいてやればいいの……?
だけどやっぱり、そんなこと出来ない。
だってわたしの意志を無視して、勝手に涙が出てきてしまっていたから。
こいつのせいで泣いてしまってるなんて、絶対知られたくなかったから。
ニックが何かを言おうとして体を動かした時、扉が開いて店内に新たな客が入って来る音がした。
「こんにちは、ニックさんいる?」
常連の女性客が数人連れだって、談笑しながら顔を覗かせる。皆ニックが店先に出るようになってから、うちの店に現れるようになった若い娘達だ。
わたしとは違い、どの顔も青春を謳歌しているのがよく分かるような、いきいきと輝く美貌の持ち主である。
彼女達の華やかな明るい声が、さっきまでの重たかった空気を取り払ってくれたような気がした。
「いらっしゃいませ」
涙声を悟られぬよう、わたしは女性客に声をかけた。だが、あちらの目当てはわたしでも、そして店の商品でもない。
彼女達はチラチラこちらに視線を投げ掛け、物言いたげにニックを見ては、彼が自分達の元へやって来るのを待っている。
「行ったら? あんたを待ってるんじゃないの」
わたしは動き出さないニックに苛ついて、きつい声で彼をなじった。
こんなことを、この男に言うつもりなどなかった。こんな、嫉妬しているみたいなことを口走るなんて。何故わたしは、馬鹿みたいに正直なんだろう。
「俺は……」
彼は躊躇うように呟いて暫くわたしの側に立っていたが、小さく息を吐くと引きずるような足音を立て女性客の元へと向かって行った。ほどなくして、彼女達に話しかけるニックの声が聞こえてくる。
ホッとした。ようやく息がつける。
「……サム」
いたわるような声と暖かい感触に手元を見れば、わたしの手の上に優しく重ねて置かれたジェイコブさんの手があった。
「えっ? ど、どうし……」
驚いて引こうとした手を、だが彼は容易く離してはくれない。
何故?
相手の意想を無視した強引なこんな行為、静かな湖のようなジェイコブさんのイメージとはまるで合わないのに。
わたしはびっくりして彼を見た。
「あ、あの……」
「ニックと何かあったのかい?」
ジェイコブさんは、普段の柔らかい眼差しが嘘のように、激しい光を讃えた瞳でわたしを見つめていた。
「えっ?」
「いや、いい。何も聞きたくない」
彼は皺のある目尻を下げ、悲しげな表情に変えて告げてくる。
「僕なら、君を泣かせない。そんなふうに君の瞳を涙で曇らせたりなんか、絶対にしない」
「ジェイコブさん……?」「言うつもりはなかった。僕はこの通り中年の、見た目もよくない男だ。若く美しい君とは不釣り合いだから、ただ親しく話が出来るだけで良かったんだ。でもーー」
彼は笑みを見せず硬い表情のままだった。いつもと違うその顔に、わたしは何も言えなくなる。
「ニックに傷付けられて、そんな辛そうな顔をしているのは見ていられない。黙っていられなくなったよ。それに、君はさっき僕を頼ってくれた。少なくとも僕は君の中で、ある程度の信頼を得ているんだろう?」
ジェイコブさんは袋の中から、仕舞い込んだイヤリングの包みを出した。包みを開いてイヤリングを手に取る。
「これには対になるデザインの物があると言ったよね。それは売り物ではなかったけど、君にだけは見せたくて持って来ていた」
彼はイヤリングを置いて、包みの中から別の小さな袋を取り出す。
「見せるだけで、満足するつもりだったんだが……」
袋の中から小振りな指輪が出てきた。
イヤリングと同じ、花びらを型どったデザインが上品な、金に輝く美しい指輪だった。
彼はそれをわたしの薬指に嵌めていく。指輪は不思議なほど、わたしの指にぴったりだった。
それから彼は、指輪を嵌めたわたしの手を見つめたまま、おもむろに口を開いた。
「サム、これを受け取ってほしい。君を僕の手で幸せにしてあげたい。お願いだ、僕と結婚してくれないか」
ジェイコブさんはそうせつなげに囁くと、わたしの前で小さく頭を下げたのだった。