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17/30

悲しい謝罪

10/31サブタイトルと本文を一部変更致しました。


11/4 本文を大幅に改稿しました。内容には変更ありませんが、公開して一週間もたってからで本当に申し訳ございません。

11/6 ラスト近くのほんの一部、文章の語尾を変えました。再々ですみません。

 

 もう少し寝ていたい、とベッドから離れたがらない体を気力で起こし、居間へと入ったわたしはあまりの惨状に言葉をなくした。

 

 室内は散々たる有り様だった。理由は簡単だ。昨夜のパーティーのあと、片付けをさぼったから。

 

 テーブルの上には食べ残しが乗った食器や酒瓶、グラスなどが残されたままになっており、床の上には、倒れたまま放置されている椅子や、こぼれたお酒か何かの汚れまである。部屋の中に残った酒の匂いと相まって、はっきり言ってとても汚ならしい感じだ。

 朝の清々しい空気の中には、不似合いなほどよどんだ光景。

 

 わたしは盛大なため息をついて、床に転がった椅子に手をかけた。

 パーティーの準備は妹がしてくれたが、片付けまで頼むのは甘えすぎと言うものだろう。これはわたしの仕事である。それは分かっているのだが、どうして昨日の内にやってしまわなかったのかと悔やまれる。

 そうよ。昨日だったらニックの奴にも、手伝わせてやれたのに……。

 

『サマンサ……』

 

 不意にあいつの声が聞こえたような気がして、わたしは辺りを見渡した。だが、勿論誰もいない。今この家にいるのはわたし一人の筈だ。彼の声がしたと思ったのは、どうやら気のせいだったらしい。

 

『サマンサ……、このままじゃ、俺は……』

 

 苦しげな甘い声が、わたしのうなじを掠めていくよう耳に響く。


 

 嘘? やっぱりいるんじゃないの?

 

 手にした椅子を離して、もう一度あいつの姿を探した。だがやはり静かな室内には、わたしの他には誰もいない。聞こえたと思った声は、ただの幻だったのだ。

 なんてこと! 発火しそうに熱い頬を覆う。えっと、とにかく、落ち着かなくては。

 

『サマンサ……、俺は……』

 

 あのあと、何を言うつもりだったのだろう? ーーじゃなくて。

 これは、今聞こえている声なんかではない。ただの、耳に残った記憶でしかないのだから。一々びくつかなくてもいいの!

 分かってるわよ、分かってるけど……。

 

『サマンサ……、サム……』

 

「あ〜もう!」

 

 わたしは大声で喚くと、床にしゃがみこんで頭を振った。奴の声を頭の中から振り払いたかった。

 こんなふうにわたしの中に、あいつが居座ってしまうなんて信じられない。

 考えちゃいけないわ。それより、早く思い出さなければ。わたしは何をしようと思ってたのかしら? そうそう、確か片付けをしようとしてたのよ……。

 

 ーーでも変ね。

ニックはわたしのことを、サムと愛称で呼んだりしないんだけど……。

 あ〜、また!

 

「サム姉さんたら。何してるの?」

 

「えっ?」

 突然聞こえてきた声に驚いて振り向けば、妹のディジーが、廊下からこちらを覗き込むようにして立っていた。

「あ、あんた来てたの。い、いつから?」

 ……てか、見られたかしら、今のわたしを。

「さっき来たばかりよ。姉さんたら一人でジタバタして、呼んでんのに気付いてもくれないんだもの。それに何してんだか、謎の行動始めるし」

 見てんじゃないのよ!

 ってか、わたしを呼んでたのはディジーだったのか。どおりで、愛称が聞こえたような気がした訳だ。それにしてもわたしってば、何でもかんでもニックの声に聞こえてるっていうの?

「な、何でもないわよ。あんたこそ何しに来たの? こんな朝早くから」

 恥ずかしさのためか、声が無駄に大きくなる。

 ディジーは眉間に深い皺を寄せると、目頭を押さえながら低い声を出した。

「サム姉さん……、大声は止めて。わたし頭痛いの。二日酔いみたい……」

「二日酔い?」

「そう、夕べ飲みすぎたみたい」

 妹は重たい足取りで居間へと入り、手近な椅子に腰をかけた。それから机の上に残された、誰の物とも知れない水を一気に煽って息をつく。

「げぇっぷ」

「ちょっと……、ディジー」

 死んだように虚ろな目を伏せて、ディジーはバタリとテーブルに伏せた。

 その様子は一見気の毒にも見えるが、昨夜のはしゃぎぶりようを思い出すと自業自得とも思えてくる。

 わたしは噴き出したいのを我慢して、項垂れた背中に話しかけた。

「そんな状態で何しに来たのよ。ランはどうしたの?」

「……あのね、片付けを手伝いに来てあげたんじゃないの。姉さん一人じゃ大変でしょ? ランは義母さんに預けて来たのよ」

「それは、ありがとう……。助かるわ」

 結局ディジーが、片付けにも手を貸してくれるらしい。小さくお礼を返したわたしに、妹は伏せていた頭をグルリと回してこちらを向いた。

 まるで病人のように青い顔をしているくせに、ぎらついた眼差しを不気味に輝かせて視線を寄越してくる。

 何なのだろう、あの目付き。ちょっと怖いんだけど。

 わたしは嫌な予感を振り払いながら、面妖な視線の主から慌てて目を逸らした。

「ねぇーー」

 いやにドスの効いたディジーの声が、静かな室内に大きく響き渡る。

「夕べはどうだったの?」

「えぇぇっ?」

 びっくりして裏返ったわたしの声の侵入を、素早く耳を塞いで防ぐと妹は顔をしかめた。

「姉さん、大声は止めてって言ったでしょ……」

「あ、ごめん……。だけどあんたが……」

 変なこと聞くからでしょうがーー。

 とは、間違っても言えやしないのだけど……。

 これ以上こちらの動揺を知られるような言動は、避けた方がいいだろう。

 だがわたしの心配は、杞憂に終わったようだった。ディジーは額を押さえて立ち上がると、先ほどまでのやり取りを忘れたかのように宣言した。

「さっ、姉さん。片付け始めるわよ」

「えっ、ディジー?」

 何よ、もう聞いてこないの?

 さっさとテーブルの上を片付け出した妹を、わたしは呆気にとられて盗み見た。

 断っておくが、決してしつこく迫られたかった訳ではない。ええ、勿論そうですとも。

「姉さん、何じっとしてんの。さっさと動いてよ」

「わ、分かったわよ」

 ディジーの鋭い声が飛んできて、わたしも急いで投げ出した椅子を掴んで立ち上がった。 

 

 

  ***

 

 

 

 すっかり部屋が片付き、居間が昨日以前の状態に戻った。

 燐家に借りたテーブルや椅子は部屋の隅に寄せて置き、男手が来たら運んでもらうよう準備をしておく。

 子供達が描いて壁に飾っておいた絵は、可愛いんで暫くそのままにしておくことになった。

 妹のお陰で思ったより早く片付いた。やっぱり二人だとあっという間だわ。

 

「わたしが来てよかったでしょ?」


 朝食の用意を始めたわたしの横で、ディジーは青白い顔で押し付けがましく口にした。

「ええ、助かったわよ。ありがとう」

「ふふ。姉さん、水一杯ちょうだい」

「あんたね、もう帰りなさいよ。本当は辛いんでしょう?」

 わたしから水を受け取り、ディジーは美味しそうにそれを飲む。

「やあよ、冗談じゃないわ。わたしには使命があるのよ」

「しめい?……何よそれ」

 疑問に思って尋ねると、妹はニヤリとイヤらしく口元を緩めた。

「姉さんには、秘密」

「ええっ、何でよ? 教えてくれたっていいじゃない、ケチ!」

 生意気なことを言う妹を、思わず揺すってこらしめてやる。

「ちょっ、ちょっと止めて……。姉さん、揺らさないでよ、吐き気が」

 ディジーの情けない悲鳴の向こうから、元気な足声が勢いよく駆けてくるのが聞こえてきた。

 

「サムお姉ちゃん、おはよう」

 

 そう言って顔を覗かせたのは、昨日七歳になったばかりのニックの娘リリィちゃんだ。

「お、おはよう。リリィちゃん」

 明るく輝く目にも眩しい金髪。薄く染まるピンク色の頬に、星が入ってるんじゃないのと思わず覗き込みたくなる、サファイアのような瞳。

 そんなキラキラの少女を前にして、わたしは顔が引き吊ってくるのを抑えられなかった。

 だって、リリィちゃんが来たとなったらアレじゃない? あいつもとうとうやって来たってことじゃない。

 ど、どうしたらいいの、わたしは。昨日の今日で、どんな顔して会ったらいいのよ?

 

「よお」

 

 元気に台所へと飛び込んで来たリリィちゃんの背後から、信じられないくらい不機嫌な表情のニックが顔を出す。

 

「お、おは……よう」

 

 ブスッとしたその眼差しは、まるで以前の奴に戻ったみたいだ。そんなニックの仏頂面にわたしの口元まで強張ってきた。この男のムッツリ顔が、こっちにまで伝染したみたい。

 なんでこんな表情なんだろ、この男は。

 

「あら、ニックさん。おはよう」

 ニックはディジーの姿に気が付くと、ますます顔を険しく変えて悪態をつく。

「どうして、こいつまで……」

「あら、今何か仰った、ニックさん?」

「いや、何も」

 ディジーとニックは、お互いを牽制するかのように見つめ合った。って言うか睨み合ってるようにも見える。少なくともニックは、間違いなくディジーに対して鋭い視線を投げ掛けていた。

 驚いた。この二人が、対立している姿を見るのは初めてだ。以前はともかく、ニックが離婚して再び戻って来て以降は見ていない。だってニックは、不自然なほどディジーに同調していたから。だからわたしは、彼が妹に弱味を握られているのかと疑ったくらいだったのである。

 だけど考えてみたらこの二人、元は決して仲が良かった訳ではない。と言うことは、つまりどういうこと?

 ディジーはニックから不意に視線を逸らすと、わたしの方に顔を向けた。その顔は不適に笑っていた。

 いやあんた、顔色凄く悪いのよ、分かってるの?

「ま、いいか。姉さんわたし、やっぱり帰るわ。まだ気分が悪いし」

「そう、気を付けてね」

「え〜、お姉ちゃん、帰っちゃうの? ランは?」

 フラフラと居間を出て行くディジーの後を、リリィちゃんが纏わりつくように追いかけて行った。

 

 

「サマンサ、あの……」

「えっ?」

 二人の姿が消えてしまうと、遠慮がちな低い声が聞こえてきた。

 声のした方に振り向けば、ニックがわたしをまっすぐ見ている。

 淡い空色の柔らかな瞳とまともに目を合わせ、わたしは再びパニックに襲われたみたいに落ち着かなくなる。

 彼はいつの間にか険のあった目付きを消し、こちらを気遣うように見つめていた。

 二人きりだ。突然気付いた。

 そうよ、ディジーとリリィちゃんが出て行ったら、ここにはわたしとニックの二人だけで……。

「お前、大丈夫か? その……、体のことだが……」

「か、体?」

 もう、嫌だ。なんてこと聞くんだろう?

 わたしは立っているのも耐えられなくなり、その場にしゃがみ込んでしまった。ニックの顔など見ることは出来ない。目を隠して早口で捲し立てる。

「だ、大丈夫よ、別に。そういうあんたは?」

 顔が熱い。きっとこいつからは、わたしの醜態が丸見えだろう。いい年こいて慌てふためいて、本当に自分が恥ずかしい。だけど、どうしようもない。これがわたし。

「俺は平気だよ。……ったく、お前は変わってるな」

 彼が小さく笑い声を漏らした。それから、こちらに近付いてくる。

「な、何……がよ……?」

 このわたしの声ってば、何でこんなにみっともなく震えてんだか……。

 それとニック、それ以上近付いてこないで。駄目だったら、困るじゃないの。

「ほら、立てよ。そんなところにしゃがんでたら汚いだろ?」

 彼が優しくわたしの手を取り、ゆっくりと体を立たせた。

 目の前に見慣れた男の顔がある。でもその表情は少しも見慣れていない、温かい眼差しで。

 そんな深い思いやりに溢れたような瞳と目を合わせていると、打って変わって、熱かった夕べの視線が思い出されてきた。

 ねえわたし達、昨日お互いを確かめあったんだよね? あんたはあたしに激しく奪うようなキスをしてきて……。わたしはとっても幸せだった。

 何だろう、この気持ち? 心も体も満ち足りているような、何とも言えない穏やかな気持ち。

 でも一つだけは、はっきりと分かるんだ。

 そうそれは、今もあんたからのキスを待っているってことーー。

 

「あいつ、どうだった?」

「あいつって?」

 頭の中でニックのことばかり考えていたわたしは、彼の質問の意味が分からず聞き返した。わたしったら何考えてたんだろう。馬鹿みたいに浮かれた気持ちが、顔に出てなかったことを祈るしかない。

 ニックは少し苛立ったように答える。わたしとは全く違うことに、思考を奪われていたらしい。

「ディジーだよ、お前の妹の」

「ディジー? ディジーなら、昨日飲み過ぎたらしくて、二日酔いになったらしいわよ。他には特に何もなかったと思うけど……。でもそれがどうしたの?」

 何故ディジーのことなんか聞いてくるのだろう。

 ニックはこちらを訝しむよう見つめてきたあと、深いため息をついた。

「いや、いい。それよりも、サマンサ」

 彼の空色の瞳に真剣な光が宿る。

「昨日は、すまなかった。お前に……、無理を強いるつもりじゃなかったんだ。許してくれ」

「えっ?」

 どういうこと?

「……謝っておきたくて、本当に悪かった」

 意味が分からなくて、わたしは混乱していた。

 ニックはわたしの前で、目を閉じて頭を下げている。なんだか最近、こいつのこんな姿ばかり見ている気がする。

 どうして謝るのだろうか。そんなに酷いことを、わたしはされたと言うのか? 

 彼は顔を上げ、更に苦しげな表情になった。まるでこれから、とても言いにくいことを口にするのだと言ってるよう。躊躇ったように移ろう目線と硬く強張った口元、彼の緊張がこちらにまで伝わってきた。

 

「それで頼みがあるんだ。こんなことお前に頼むのは筋違いだと思うんだが……」

 薄い唇が重たそうに動く。

「頼む、お願いだ。昨日のことは誰にも言わなーー」

 

 彼の言葉は、大きな音と共に途中で遮られた。

 目を丸くした男が、こちらを驚きの表情で見返してくる。

 

「誰にも言わないわよ」

 

 わたしは、ジンジンと痛みを訴えてくる手のひらをもう一方の手で包み、赤い頬をした憎たらしい目の前の男を睨み付けた。

 

「安心してよ、もう忘れたから!」

 

 そう大声で叫んで、奴の前から逃げ出した。惨めで、どうしようもないくらい惨めで、昨日の記憶とともに消えてしまいたいほど悲しかった。




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