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14/30

穏やかな時間

10/19 夕方、文章を一部改稿しています。

毎度ながら、すみません。

 

「じゃあね、今日は帰るわ。リリィちゃん本当におめでとう。また来るわね」

 

 ニヤニヤと締まりのなくなった微妙な笑みを顔に乗せ、ディジーは夫のテリーにしなだれかかり手を振った。

 

「ディジーお姉ちゃん、今日はありがとう。ランとまた来てね」

 

 おめかしをしたリリィちゃんが、父親の腕の中で眠るランの足を「起きないかなー」と呟きながら名残惜しげに触っている。ランが寝てしまったため、とびきりの姫さま姿を見せることが出来なかったのが、どうも悔しいらしい。

 次にランが遊びに来たら今の姿を必ず披露しようと、多分考えていることだろう。

「分かってるってば、また来るわよぉ。わたしとあんたとの仲でしょおう?」

 ろれつが回らなくなった妹は、リリィちゃんの背中を叩いてヘラヘラと笑う。

 いよいよ怪しくなってきたその様子に、テリーは慌てて妹を強引に抱き寄せると、「じゃ義姉さん、それからニックさんとリリィちゃんもまた」と簡単に挨拶を済ませていそいそと帰って行った。

 

 テリーの背中に哀愁を感じて、つくづく彼を不憫に思った。

 だが、ディジーのことを思うなら、彼のような忍耐強い夫はまさに神からの贈り物だ。彼の、妻の尻に敷かれている現在の境遇はこの際置いといて、よい相手と巡り会わせてくれた贈り主に、わたしは心の中で厚かましくもお願いする。

 どうか、テリーがディジーに愛想を尽かしたりしませんように。

 神様、何とぞよろしくお願いします!

 

「サマンサ、すまない。リリィが我が儘を言って」

 ニックが伏し目がちに視線を寄越し声をかけてきた。珍しく遠慮をしているような、控えめな態度にこっちの調子も狂う。

「……いいわよ、別に。三人でお祝いしましょう」

 わたしは彼を見ないようにして、横を飛び跳ねるようにクルクル動くリリィちゃんと手を繋いだ。

「やったー!」

 リリィちゃんが満面の笑みで答える。もうかなり遅い時間なのだが、まだ元気一杯といった様子だ。誕生日パーティーという非日常が、どうやら興奮を誘い一向に眠くならないらしい。

 ニックは居間へと戻るわたしとリリィちゃんの後を、何も言わず静かについて来た。

 

 ディジーとテリーがいなくなり、我が家にはわたしとニック達親子だけになっていた。

 

 ヘレン達が帰り、マチルダさん夫妻が帰る段になった時、彼らと一緒にニックとリリィちゃんもここを出る予定だった。

 だが、リリィちゃんが頑として帰宅することに同意しなかったため、マチルダさんはニックに残るよう薦めてきたのだ。

 

『今日はリリィの誕生日よ。少しぐらい我が儘を聞いておやりなさい』

 

 結局その一言が決定的となり、二人は残ることになった。

 居間へと戻ったわたし達は、丸いダイニングテーブルにリリィちゃんを挟むように腰掛けふうっと息をつく。

「改めてだけど、乾杯でもする?」

 なんとなく漂う気まずさに気づかない振りを装い、わたしは努めて明るい声で提案をした。

「うん!」

「ああ……」

 元気よく答えをくれたリリィちゃんに対して、その横の男から聞こえてきた声は気のない生返事だ。

 嬉しそうにはしゃぐ娘とは対照的に、心ここに有らずといった面持ちでぼんやりと座っている。

「乾杯!」

「かんぱーい!」

 残っていた飲み物で簡単にグラスを合わせた。リリィちゃんは残り物の鶏肉の料理を美味しそうに頬張る。そんな彼女を微笑ましく思いながら、黙ったまま虚ろな表情でグラスに口をつけるニックに苛立った。

 いったいどういうつもりなんだろう。早く帰りたかったのかもしれないが、その態度はないんじゃないの。

 第一、誕生日の主役である娘に対しても失礼だし、言わせてもらえば場所を提供しているわたしにだって失礼だ。

 あのね、こっちだってやる気満々てわけではないのよ。本音を言えば眠かったりするんだから。だってお酒なんか飲んだんだもの、早く布団に潜り込みたい。

 だけどね、リリィちゃんがこんなに嬉しそうにしているのよ? 大人のわたし達が先に音を上げたら駄目だと思うけど。

 わたしは込み上げる欠伸を噛み殺して、何気なくリリィちゃんの方を向いた。

 そして少女の後ろから自分を見つめてくる、柔らかい視線に気が付き驚いて欠伸を飲み込んだ。

 いつの間にかニックが頬杖をついて、こちらに顔を向け微笑んでいる。それはさっきまでの、眠たそうなだらしのない視線ではない。

 その笑い方は、娘に向けるものと同じくらい穏やかなもので、だが彼が今見ているのはリリィちゃんではなくてーー。

 どう見ても……わた……。

 

「何を見てんのよ?」

 わたしはそっぽを向いて苛立ちをぶつけた。

 何故、こうまで露骨にこちらを見てくるんだろう。それも悪意を感じさせないぬるい目で。

 今までこんなことあったかしら? なかったわよね、一度だって。

 あんたはいつだって睨んでくるだけだったじゃないの。何なのよ、もう。

「何って、お前を見てるんだけど。コロコロ表情が変わって、面白いなお前」

 ニックはまるでわたしを肴にでもするように視線を据えたまま、チビチビとグラスに注いだ酒を飲んでいた。

 そのゆったりと寛いだ様子が鼻につく。だってこいつに理由の分からない変な視線をそそがれ、こっちは困惑して少なからず影響を受けているのに、当の本人はしれっとしているなんて。

 なんか不愉快じゃないの。

「何故、見るのよ?」

「見ちゃいけないのか?」

「いけないわよ、勝手に見ないで!」

「なんだ、その言い方」

 

「二人とも!」

 

 言い合いになりかけたわたし達の間で、少女がおませな顔をして大声を出した。

「喧嘩はやめて、二人は仲良しなんでしょう?」

「えっ?」

 ぎょっと彼女に視線を向けたわたし達に「前、そう言ってたじゃない」と少女は真面目な顔で説教を始め出す。前? そう言えばそんなこと口走った記憶が……。

「もう喧嘩しちゃ駄目よ」

 リリィちゃんは母親のように慈愛に満ちた瞳で見つめてくると、小さな手でニックとわたしの手をそれぞれ取り「仲直りしましょうね」と繋げた。

 な、仲直りって……、リリィちゃん。

「さっ、二人とも握手して」

 彼女に天使のように澄んだ笑顔で催促されたら、言う通りにするしかなくなる。聞き分けの悪い子供ではないのだ、こちらは立派な大人な訳で……。

 結局わたし達は、研いだ爪をすごすごと引っ込めた。

 

「まあ、飲めよ」

 わたしのグラスにニックはお酒をそそぎ、それからリリィちゃんのグラスには果汁のジュースを注いだ。

「仲直り、だろ?」

 そんな台詞を言って冗談めかして片目を瞑る。なんだろう、からかってるの? さっきからこいつの態度がいつもと違いすぎる。

 わたし相手に随分柔らかい表情を見せてくるけど、こんな男だったかしら? 最初は眠たげにぼんやりしてたくせに、この変貌ぶりってもしや酔っているから?

 それにしても、またお酒を飲まされるのか……。仕方なくわたしは一口だけペロリと舐めた。

「子供かよ、お前は。なんだその飲み方」

 ニックが噴き出すように笑った。

 ずっとこっちを見ていた上に、やっぱりわたしを馬鹿にしてきた。見直しかけて損をしたわ。

「どう飲もうと勝手でしょう」

 わたしはムッとしてニックの顔を睨み付ける。リリィちゃんが悲しむけど、こんな奴相手に仲良くなんてどうしたって無理なのよ。

「怒るなよ。馬鹿にしてるわけじゃないんだから」

 だがニックから聞こえてくる声は、相変わらず優しいものだった。

 普段はすぐに吊り上がる目も、嫌味なくらい刺々しい視線も、皮肉げに笑って歪んだ口も、今はどこにもない。

 細められた瞳はあくまで穏やかで、薄く弧を描く唇は柔和な微笑を浮かべている。そんな親しい人間に向ける愛情のようなものさえ感じさせる顔で、この男がわたしを見つめてくるなんて。

 どうすればいいの?

 どんな顔してあんたを見たらいいのか、わたしには分からないじゃない。

「お姉ちゃん、どうしたの?」

「何でもないわ」

 突然顔を伏せたわたしを心配して、リリィちゃんが声をかけてきた。

「ちょっとあることを思い出したの、それでね……」

「なあに、思い出したことって?」

 想像通り、少女は興味津々で食いついてきた。わたしは彼女の顔を見ながら話し始める。その向こうに見える男は、わざとらしいくらい無視をして。

「それはね……」

 頭にきていた。

 何よその顔? あんたの魂胆は分かってるわ。わたしをからかって内心で笑っているんでしょう。

 だけどわたしだって、やられっぱなしじゃないのよ。目に物を見せてやるから覚悟することね。

「このドレスを初めて着た日のことなんだけど」

 わたしはリリィちゃんにプレゼントしたピンクのドレスにそっと触れた。言わずと知れたマチルダさんから貰った思い出の品だ。

「リリィにくれたこのドレス?」

 彼女は目を大きく開けてこちらを見た。その驚いた顔に頷き返す。

「そう、このドレスをお姉ちゃんが初めて着た日。ある男の子がね、お姉ちゃんにこう言ったの。『全然似合ってねーよ、このドブス。鏡をよく見やがれ、バーカ』ってね。そのことを急に思い出したのよ」

「はぁっ?」

 ニックから間の抜けた声が上がるが、それを無視して大げさに悲しんでみせた。

「ねえ、酷いと思わない?」

「酷いわ、最低ねその子。女の子の敵だわ。許せない!」

 リリィちゃんが顔を赤くして憤慨している。すかさずその後方から情けないぼやき声が聞こえてきた。

 

「さすがにそこまで言ってねーだろ」

 

 ニックが不満げに呟いて煙草に火を点けていた。




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