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ヒミツの花園

11/14 後半部分を少し改稿しました。内容には変更ありません。

公開からかなり日数が経っており、毎度のことながら本当に申し訳ございません。

 

 草むらを踏み分けて行くと、隠れていた小鳥の群れが一斉に飛び立った。

 意外に大きな羽音に足がすくみ、思わず前を歩く少年の背中に問いかける。

 

『ねえ、ニック。まだなの、とっておきの場所って?』

『もう、ちょっとだよ。いいから歩けよ』

 

 足を止めると振り返って少年は笑った。だがにやりと笑うその顔は、どこか不安を誘う。半分後悔のため泣きそうになりながら、わたしは勇気を奮い起こして問いただした。

『だけど、パパやママに黙って来たのよ? 帰れなくなったらどうするの』

 

 ニックはいつもわたしに意地悪だった。その彼が、その日は違っていた。わたしの家族とニックの家族で、この湖に遊びに来た遠いあの日だ。

 あの日、パパを水遊びから解放してあげたあと、一人で水辺を離れて歩いていたわたしに、暫く姿を見せなかった少年が近付いて来た。

 どこへ行ってたんだろう、わたしはチラリと彼に視線を飛ばす。目が合うと少年は笑った。そして、普段とは全く違う態度で話しかけてくる。

 

 ーーとっておきの場所を見つけたんだ。連れてってやるよ。

 

 それはもしかして、夢ではないかと思ってしまったくらい、優しい笑顔だった。そんなニックに一瞬悩んだものの、その言葉の魅力には叶わない。

『う、う……ん』

 躊躇いながらもわたしは、彼について行くことを承諾した。そしてそれは、やはり間違いだったのである。

 

 

 

 

「もう、なんて邪魔な枝なのかしら。引っこ抜いてやりたい!」

 

 側に生えてる細い木の幹から伸びる目障りな枝に、八つ当たり気味に不満をぶちまけた。だが邪魔な枝は、勿論こそこそと隠れてなどくれやしない。ここには人間が通る道などなかった。小さな獣が残した獣道くらいしか見当たらない。だから草木は当然のように、行く手を阻むが如く生えている。わたし達は道なき道を進んでいるのだから、仕方がないって訳だ。

 わたしはドレスに引っかかってくる、草や木の枝を手で払い除けながら、目の前を歩く背の高い男を睨み付けた。

 淡い黄色の華やかなドレスは、既に散々な状態に陥っている。マチルダさんの悲鳴が聞こえてきそうで、思わずため息になった。

 

 わたしに背中を見せているニックは、幼い娘を抱いたまま、いとも簡単に道のない茂みの中を歩いて行く。その颯爽とした姿は、まるで違う種族のようだ。羽根でも生えているかのような軽やかな足取りが恨めしい。何故こんな所を物ともせず歩けるのか? 不思議でしょうがない。

 

 あの日と同じだ。あの幼い日と。

 

『この辺、探検していたら偶然見付けたんだ!』

 あの日、幼いニックは興奮してそう力説していた。 こんな迷いそうな場所で探検などした少年に、わたしは心底驚いた。そして迷子にもならず湖まで戻り、その上案内までやってのけるその能力に軽い嫉妬を覚えた。

 ニックはもたつくわたしを苛立つように急かす。

『早くしろよ、何してんだよ!』

『待ってよ、だって……』

 これが男というものなのか?

 一人でどんどん先へ進むニックと、彼から少しずつ遅れて行くわたし。子供ながらに男女の差というものを見せ付けられ、わたしはその事実にショックを受けていた。

 

 相変わらずわたし達の間には、あの日と同じ歴然たる差があるらしい。

 

「そんなドレスなんか着てくるからだ」

 ニックが振り向いて、嫌味を口にした。それからわたしを見てブッと噴き出す。

「お前、凄いぞ。今の格好」

「えっ?」

 どんな格好よ? 残念ながら鏡はない。自分が今どんな状態か、確認のしようがないのだ。しかし今の口振りで、おおよその見当はつくのだが。

「お言葉ですけどこのドレスは、ディジーとリリィちゃんに勧められたものよ。わたしが選んだんじゃないわ。それにあんたは確か、このドレスがわたしに似合うと言ったわよね、お忘れかしら?」

 わたしの言葉に、彼はグッと詰まったように黙り込むと、眉を上げて見下ろしてきた。その高飛車な顔付きに、こちらも憤然とした表情になる。

 何しろさっきから満足に足が進めない。ストレスが相当溜まっていた。

「そんなこと言ったか? 悪いけど全く記憶にないな。お前の見た夢じゃないのか? 俺に似合うと言ってほしくて」

 な、夢ですって? しかもなんて言い種なの。

「夢なんかじゃないわよ。確かにあんたは言ったじゃないの。ジェイコブさんがこのドレスを褒めたあと、『ええ、とても』と」

「覚えてないな」

 どうもニックは、あくまでもシラを切り通すつもりらしい。自分は知らないとでも言わんばかりに、冷ややかにわたしを見ている。

「あーそっ。こうなったらジェイコブさんに、真実を聞くしかないわね。今度彼が来たら、あの時のこと確認しなくちゃ」

「彼が来たら……か」

 ニックが馬鹿にしたように鼻で笑った。

「あの男がお前に不利なことを言うはずないだろう?」

 さりげなく刺のある言い方だった。説明のつかない不快感に襲われる。

「どういう意味かしら?」

 わたしの険悪な雰囲気に気付いたのか、ニックはおどけたように表情を変えた。

「いや、お前も意外と隅に置けないなと思ったのさ」

「言ってる意味が、よく分からないんだけど……」

 何を言ってるのだろう? 元々、おかしなところで怒りを爆発させる理解出来ない性格だったが、今の発言は首を捻るものでしかない。

「いや、もういいよ。お前の男に興味ないから」

 ニックは軽く笑いながら体の向きを変えると、再び歩き始めた。

 

 はあ?

 

 お前の男って、何?

 

 全然、納得出来ないんですけど。前後の話が繋がってないし……。それに男って、ひょっとしてモテないわたしを馬鹿にしてるわけ?

 だけど奴は、わたしの腹立ちなど気にもならないらしい。重さを感じさせない抱き方で娘を抱いたまま、重力をも感じさせない歩き方でさっさと茂みの向こうへ消えて行った。

 

「ちょっと、待ってよ」

 

 待って……、

 確かあの時も、この台詞言ったわ。

 

 

 

『ちょっと、待ってよ!』

 

 駆けるように草むらを歩く少年の背中が、全く見えなくなった。

 わたしは心細くなり大声を出して呼びかける。

『ニック、ニックってば。ねえ、どこにいるの』

 だが返事はなかった。辺りは、背丈よりも高い草や木に阻まれ見通しは悪い。そして、人の気配はまるでなかった。

 わたしの中に確信に近い思いが湧き上がる。

 

 騙された! ニックはわたしを置き去りにしたんだ。

 

 それはもう、疑いようのない真実としか思えなかった。

 何故なら、いつものニックはわたしを苛めてくる陰険な少年だ。その意地悪な少年は、優しい顔など見せたことはない。そして大人達の前でわたしを苛めたりはしないという、ずる賢い一面も持っているのだ。

 そんなニックが好意的な様子でわたしを誘ってきた。それはやっぱり何かを企んでいたためで、最も警戒しなければいけない事態だったのである。

 

 それなのに、みすみす信じてしまうとはーー。

 

 後れ馳せながらそのことに気付いて、当時のわたしはパニックに陥る。六・七歳の少女にとっては、受け止めにくい事実だった。

 わたしは半狂乱になってそこら中を走った。置いてきぼりーー、何よりも怖かった。もう二度と、父や母や妹に会えなくなったらどうしよう。

 無我夢中で走り回り、来た道もニックが消えた道も何もかも分からなくなって、いよいよ迷子になり果てていた頃、偶然開けた場所にたどり着く。

 

 そこはとても綺麗な花畑だった。

 

 木々に囲まれた木立の中に、まるで誰かがあつらえたように、紅花の自然発生した花畑が出来ていた。黄色やオレンジの花達が風に吹かれて揺れている。誰にも踏み荒らされていない、可憐な花々。

 それは計算されたかのように美しい色合いをしており、自然の起こした奇跡に感心したくなるようなーー。

 だがその時のわたしには、それを愛でる余裕など全くなかった。それどころか、見たこともない別世界に迷い込んでしまったように思えて、余計に心細くなっていく。

 

 

 

「わあ〜、綺麗!」

 

 リリィちゃんがニックの腕から降ろしてもらい、花畑の中に飛び込んで行った。

 手近にある花の茎を一本手折ると、自分の豊かな金髪に差し込み、にっこり微笑んで「ねえ、似合う?」と大声で聞いてくる。

 彼女はニックの頷きに得意になって、再び花を摘み出した。あの時のわたしとは全く違う反応だ。

 

 まだ、花を咲かせていたんだ、ここで……。

 

 当時と同じ景色が残っている。そのことに茫然として目の前の風景を見つめていると、近寄ってくる影がある。

「変わらないな」

 ニックが感慨深げに呟いた。

「まだ、残ってたんだな。無くなってるかとも思ったんだが……。あれから何年だ? 二十年は経ってるか」

「でも、あの頃よりは小さくなってるわよ」

 彼はわたしの方を向いて肩をすくめた。

「俺達が大人になったからじゃないか? そう、感じるのは」

「そう……、そうかもね」

「だけど、お前は何年たっても成長しないな」

「えっ?」

 ニックの口調が変わった。吊り上がった目を細めて笑うようにこちらを見ている。

「な……に?」

 何を、言う気なの? 

「その姿。相変わらずボロボロになってるぜ。あの日みたいに」

 遂に男は笑い出した。口元を隠すように拳で抑え、苦しそうに声を上げていた。

  

 間違いない! こいつはあの時のことを忘れていなかったんだ。

 わたしは頭が真っ白になった。

 

 

 

 

 ニックに置いてきぼりにされ、湖に戻るため走り回っていたわたしは、この花畑に偶然出くわした。

 しかし見たこともない景色に、益々父や母から遠ざかってしまったことが分かり、涙が堪えきれなくなる。恐怖心に囚われ両親の名前を叫んでいたわたしは、気付かなかったのだ。

 すぐ後ろに、ニックが近付いていたことに。

 

『おいっ!』

『え、あっ……』

 

 彼は大声で泣いているわたしの背中を、力一杯押して花畑へ突き飛ばした。それから、倒れ込んだわたしに向かって怒鳴り始める。

『おい、おせーじゃねえか? 今まで何してたんだよ!』

 突然背後から受けた衝撃で、わたしは腰が抜けてしまったように動けなくなった。あまりの恐怖に声も出せなくなり、そして、その瞬間、恐怖と共に我慢していたものが溢れてきたことに気が付いた。

 

『お、おい、お前……、どうしたんだよ?』

 動かなくなったわたしに、ニックは慌てたように声をかけてきた。

 怒っていた少年の顔が、徐々に怪訝なものに変わっていく。彼の大きく開いた目が、わたしのスカートの部分に吸い寄せられていた。

 それはわたしの、しゃがみ込んだわたしの……、

 わたしの足元に……、

 

 

 

「で、今日は大丈夫なのかよ?」

 隣に立つ男は、やっと笑いが治まったらしくにやついた笑みを張り付けたまま、からかうようにこっちを見ている。

 その目付きが性格の悪さを物語っていることに、まるで気が付いていない。

 子供の時も、大人になった今でも、どうしてこんなにひねくれているのか理解に苦しむ。

 そうだ、『あのこと』だって全部こいつが悪いんじゃないの、どう考えても。

 だって怖くて泣いてたわたしを、いきなり後ろから押し倒したのよ。仕方ないと思わない? ちょっとぐらい失敗したって。恐怖に震えていた少女だったんだから無理もないわよ。

 そうよ、わたしは何もおかしくなんかない。

 

 黙り込むわたしを、ニックはしげしげと見つめてくる。それから、「なあ」と意地の悪い笑みを浮かべて口を開いた。

「今回は、大丈夫だよな? そのーー」

 奴はそう言って自分の下腹部を指差す。口の端が上がり、白い歯がイヤらしく覗いていた。

「ち、ちょっと、何を言うの!」

 わたしは慌てて彼に飛びかかった。夢中になって、今にも言葉を紡ごうと開いていた唇を掌で塞ぐ。

 こいつの口から聞きたくなかった。あの日わたしが……、あのあと粗相をしてしまったなんて。

 そんな恥ずかしくて消し去りたい記憶を、今でも覚えているのだと知らされたくはなかったのだ。

 

 ニックの手がわたしの手首を掴む。それからおもむろに、彼の口を塞いでいた手をはがしていった。

「苦しいだろ……」

「えっ?」

 気が付けば、わたしは彼の上に覆い被さるようにして、花畑の中へ一緒に倒れていた。

 やだ、わたしったら何やってるのかしら、子供みたいに。

「ご、ごめーー」

 急いで離れようと動かした背中を、力強い何かが背後から引き止める。

「えっ?」

 どうなってるの、これ?

 ニックの上から降りることが出来ない。彼から逃れるため、両手で必死にもがくがびくともしない。

 どうして動けないのかしら。それにどうしてニックは、黙ってわたしを乗せたままでいるの?

 

「あまり動かない方がいい」

「な……に?」

「見えそうだ」 

 

 囁くようなその声に目を向ければ、奴の視線が胸元を見つめているのに気付く。ま、まさか……、見えてる?

 そうだ、このドレスは胸が開いてるデザインだった。この男には見えてしまっているのかもしれない。

「ちょ、ちょっと、何見て……!」

 わたしは慌てて、前を隠すために両手から力を抜いた。その瞬間……。

 

 頭を強く押さえ付けられ、あっという間に後ろから伸びてきた指に強引に引き寄せられる。

 

 ニックの瞳がすぐ側にあった。見慣れた筈の淡い空色の瞳。

 だが今は、まるで知らない他人のよう。強い感情を表すこともなく、空と同じ色彩の中に見たこともないような静かな光を湛えて、迷いもなくわたしを見つめている。

 

「は……、離して」

 

「口紅かと思ったら、ジャムだったのか……」

 

 彼はそう言って、わたしの唇に指で触れた。

 

 そしてーー

 

 ごく当たり前のことのように、熱い舌でジャムを舐め取る。

 

 それからわたしの口を、煙草の香りがする唇で柔らかくゆっくりと塞いでいった。




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