帰ってきた男
連載中を何個も抱え、更に連載を始めるどうしようもない作者です。
こんないたらない作者ですが、読んで頂ければ嬉しいです。この話は現在9話までは書けています。ストックがある間は毎日もしくは2日に1回は更新していく予定です。最後まで書いて……と思っていたのですが、我慢出来なくなりすみません。
この話は近世中後期のヨーロッパの、片田舎の町をイメージした異世界が舞台です。色々と怪しい箇所があると思いますが、よろしくお願いします。
世の中は、どうしてこんなに理不尽なことばかり起こるのだろう?
やっと下の妹を無事に嫁がせて、これで伸び伸びと自由気ままなわたしだけの人生が過ごせると、この日を指折り数えて待っていたというのに。
何故、こんな目に?
わたしが何かしたの?
「だからね、姉さん。わたし達心配なの。この家に姉さん独り残しておくの、それは、わかるでしょう?」
上の妹で、三年前に結婚して家を出ていたディジーが、気弱そうな夫のテリーを従えてわたしを睨むように見つめていた。テリーは腕の中に、すやすやと寝息をたてて眠る幼い娘を抱いている。もうすぐ二歳になる姪のランだ。
ディジーの横には、今日まさに結婚式を挙げたばかりの下の妹、ヘレンと花婿のクルトの姿もある。
ヘレンの悲痛な表情とは対照的にクルトは欠伸を噛み殺し、傍観を決め込んでいるようだった。彼の呆れたような表情が、事態の無意味さを表している。無理もない。結婚式を終えたばかりなのだ。早く帰って新妻と初夜を迎えたいだろうに、こんなことに巻き込まれて気の毒としか言いようがない。
わたしは、ため息を押さえつつ目の前に広がる光景を呪った。そんなに広くない我が家の居間は、にわかに増えた客人のため普段の倍は狭く感じる。物凄い圧迫感だ。
そんな中、わたしーーサマンサ・グレイは居間の真ん中に置いてあるダイニングテーブルの前に座らされ、それを取り囲むように立っている妹達に、吊るし上げを食らっているのだった。
「気持ちは嬉しいけど、あんた達のどちらかと一緒に住むのは遠慮するわ。わたしは今まで通り、この家で暮らすだけじゃない? 何を心配することがあると言うの?」
「今までと同じじゃないわ。姉さんは独りっきりになるのよ? 家族なら心配するのが当然でしょう」
「あんた、何言ってるの? 大丈夫よ。父さんと母さんが亡くなった十二年前から、ずっとあんた達を育てながら、わたしが生活を切り盛りしてたんだから。そこらの主婦には負けない図太さがあるわよ」
わたしが胸を張るように宣言すると、ディジーは呆れたようにため息を漏らす。
「いやだわ、サマンサ姉さんがしっかりしているのは、よく分かっているわよ。わたし達が心配してるのはそんなことじゃないの」
やっぱり? 騙されてくれなかった?
「姉さんを、この家に独りにするのが不安なの。ヘレンとも話し合ったけど、やっぱり見過ごせないわ。若い女性の独り暮らしは何かと無用心なのよ」
「若いって……」
わたしは妹の言葉に、思わず絶句した。
わたし達姉妹の両親が、突然の事故で二人とも亡くなったのは、今から十二年前、わたしが十五歳の時だ。
その時上の妹のディジーは九歳で、下の妹ヘレンも五歳になったばかりだった。わたし達は周囲の手を借りて、子供ながらなんとか葬儀を執り行い、無事に天へと二人を送ることが出来た。
だが、両親のいない寂しさと不安に、毎日押し潰されそうになるのには変わりはなかった。庇護してくれるべき親がいないと言うことは、子供にとって、世界の終わりのような絶望しか生まない。
あの頃は姉妹で泣いてばかりで、心配して様子を見に来てくれる近所の人や、親しい友人達にもまともに応対出来てなかったと思う。
だけど幼い妹達と同じように、わたしまでいつまでも泣いているわけにはいかない。ある日そのことに気付いたわたしは、自分の足で人生を歩き始めることにしたのだ。
幸い両親は小さな雑貨屋を営んでいたので、ささやかながら生活していくことは出来る。
わたしは店の手伝いを以前からよくしており、ある程度のことは伝授されていた。商品の仕入れから、展示の仕方や接客の仕方、帳簿のつけ方に売上の管理と、一通りのことを学んでいた。
わたしの夢は二人の雑貨屋を継ぐことだった。いつか素敵な旦那さまと一緒にお店をやっていく、そういつも公言していたから両親も早くから鍛えてくれていたのだ。
何とかなる。わたしの力でも、妹二人を立派に育ててみせる。
そんな強い決意を胸に、がむしゃらに生きてきた。確かにこの十二年間には色々なことがあった。
妹を養子にくれと言ってくる大人や、学校に行かないわたしを苛めて馬鹿にする隣の息子。
小娘と舐めてかかり倍の金額で取引しようとする卸業者や、親からもらった店を騙し取ろうとした恋人、もとい結婚詐欺師。
本当に色んな不条理と闘って、店と家族を守ってきた。
全ては可愛い妹達のため。二人が幸せな結婚をするまでは、どんな苦労をしてでもわたしがきっちり育ててみせる。そう思って、歯を食いしばってきたのである。自分の幸せなど、どこかに捨てて。
そして下の妹のヘレンが、今日めでたく結婚式を挙げた。
美しい花嫁姿を見せてくれて、感慨深くて涙が出たわ。走馬灯のようにこれまでの十二年間が思い出されて、あっという間だったとしんみりもした。
寂しさも少しは感じたけど、肩の荷がおりた安堵の方が強かった。
わたしの役目は終わったのだーー。
これからは自分のことだけを考えて、のんびりと過ごしたい。店も毎日開けるのではなく時々は休んでみよう。好きな本を読んだり、たまには旅行に行くのもいい。妹達のために我慢していたことを、思う存分楽しみたい。
芝居を見たり、美味しいものを食べに行ったり、ああ、なんて素敵なのかしら。誰に気遣うことなく暮らしていけるなんて!
わたし独りが生活するには充分な収入もある。わたしは自由気ままに生きていける、これからの薔薇色の人生を楽しみにしていた。
ーーなのに。
「あんたね、わたしのどこが若いのよ。もう二十七よ? とっくに行き遅れのオールドミスじゃない。そんな女、誰も見向きもしないって。心配しなくても」
鼻をフンと鳴らして笑ってやった。本当に若い妹に言われると、馬鹿にされたようで悲しくなる。
「サム姉さん、姉さんはまだ若くて充分綺麗なのよ、自分では分からないだろうけど。本当に独りは危ないと思うわ、誰かと一緒に住むんだったらまだいいんだけど……」
黙っていた、おとなしいヘレンまでもが口を出してくる。昨夜わたしに、最後の挨拶とやらをした時には、何も言わなかったわよねアナタ。何て娘かしら。
「そうよ、そうだわ、姉さん。逸そ、結婚しちゃいなさいよ。姉さんが旦那と一緒に暮らしていくんだったら、わたし達も安心だわ。それが一番いいわよ、そうしましょうよ。ねえ、誰かいないの? そんな相手」
ヘレンに被さるように、ディジーが興奮した声で騒ぎ出した。まるで物凄い名案を発見したとでも言うように、大騒ぎだ。
「結婚?」
何言ってるの?
「あなた達、わたしの年齢分かってる? 二十七歳なの、二十七歳! 世間では立派なおばさんよ。はっきり言って、普通だったら子供が二・三人いる年よ。そんな売れ残りのわたしに相手がいると本気で思って?」
浮かれたように手を取り合ってる妹達に向かって、わたしは冷めきった声で答えた。
言ってて悲しくなってきたけど、気になんかしてられない。今更結婚とか、冗談としか思えないんですけど。
期待に反するようで申し訳ないけど、相手なんかおりませんの。あんた達の世話と店と家事、何年前かに騙されそうになった詐欺師以来、男の影なんかさっぱりよ。
今日までのわたしを見ていたら分かる筈でしょうに、嫌味かしら。
それにね、それでなくても、結婚とかあり得ないの! やっと自由を手に入れたのよ? なのにどうして、また誰かの世話をしなくちゃいけないのよ。そんなの、絶対嫌よ!
「サム姉さん、じゃあ……」
「結婚なんかしません!」
「そう、じゃあ……」
二人の妹は顔を見合わせて頷く。肩を落とした背中をこちらに見せて、何事かを話し合っている。
そうそう、諦めて。わたしの意志は固いんだから。
「仕方ないわ、姉さん」
やがてディジーが観念したような顔で告げてきた。
「分かってくれた? よかったーー」
「だったら最後の手段しか残ってないけど、いいかしら。どうしてもこの家に独りで残ると言うなら、わたし達の条件を飲んでもらうしかないわよ?」
ディジーは人の言葉をぶったぎって、意地悪く責めてくる。
「条件?」
「そうよ」
妹達がにっこりと微笑んだ。何だか安心出来ない笑い方だ。妙なことを企んでいる、そんな顔付きである。
その時、扉が開く音がして誰かが部屋へと入って来た。その気配を察知してディジーは口を開く。
「条件とはねーー」
部屋へと入って来たのは背の高い男だった。仏頂面で、険のある尖った表情をしている。
何の用かしら? 今、身内だけの会議の真っ最中よ、わたしには不本意だけど。
とにかく、部外者は出て行ってもらうべきだと思うんだけど、誰も彼を追い出そうとしない。何故だろう?
それに不思議だが、謎の仏頂面男を見ているうちに、わたしはその顔に見覚えがある気がしてきたのだ。
ディジーが彼を手招きして呼ぶ。いや、だから、誰よアンタ?
男の腕をとるとディジーは、ヘレンと共に笑顔もさわやかに宣言した。
「条件とはね、わたし達の推薦するこの人と一緒に住んで欲しいの」
はっ? 今、何て言ったの?
「ーーそう、このお隣さんとこの、ニックさんとね」
ニック……ニックですって?
わたしは妹達と並ぶ男を見た。では、この男がニックだと言うのか?
男はわたしの視線に気づくと、馬鹿にするように口元を歪め顎を上げる。間違いない、この鼻につくふてぶてしい顔。
「冗談じゃないわ!」
気がつくと、わたしは大声で叫んでいた。
***
『ちょっと、ちょっと、本当に冗談じゃないんだけど! 男と暮らすなんて、変な噂立てられたらどうするの? いくら結婚する当てがないと言ったってわたしだって未婚の娘よ? ふしだらな女だと思われるのはたまらないわ』
『大丈夫よ、暮らすと言っても本当にじゃないわ。昼間だけニックさんにいてもらうの。夜には彼はいないわよ。それにね、昼間もニックさんと二人きりじゃないのよ』
えっ? どういうこと? 微笑むディジーにわたしは問いかける。
『彼の小さな女の子。リリィちゃんも一緒にいるから、安心でしょ?』
えっ?
安心て、何言ってるのよ。
わたしが必死で叫んでいるのに、ディジーはじゃあねと笑いながら去って行く。
ディジーだけじゃない、ヘレンも、二人の夫達も肩を揉みながら、疲れたとでも言うように背中を見せて去って行くのだ。
ちょっと、ちょっと待ってよ! あなた達……、何勝手に帰ろうとしているの、待ちなさい!
もう、聞こえないのかしら? ちょっと、待ちなさいってば、このーー
「待ちなさいってばあっ!」
叫びながら勢いよく目を開けたわたしは、すぐ目の前にあるキラキラした瞳に射抜かれて、心臓が止まるかと思うほど驚いた。
「パパァ〜、お姉ちゃん、起きたよお〜!」
人形のように可愛いドレスを着た小さな少女が、大きな声で誰かに話しかけている。それから彼女はえいっとわたしの上から飛び降りて、ベッドの横に立った。
パパ? ……って、誰よこの子。
辺りを見回せば、窓から明るい光が差し込み、とっくに一日が始まっていることが分かる。
「お姉ちゃんに、服を着替えて居間に来てもらうんだ」
隣の居間から、男の声が聞こえ少女は元気よく「は〜い」と答えてわたしを見た。
「ねえ、お姉ちゃん。パパの声、聞こえた? 服を着替えてあっちの部屋に行こうよ?」
金髪の巻き毛を揺らしながら青い瞳にピンク色のほっぺをした、推定年齢五・六歳の少女がにっこりとわたしに提案してきた。
初めて見る子供だ。何故、見知らぬ子供がわたしの部屋にいるのだろう?
子供は目映いほどのつぶらな瞳で、こちらを見つめてくる。耐えられないわ……、可愛すぎて。もしかして、こんな子を美少女って言うのだろうか?
だがそこで、美少女と得体のしれない男とのやり取りを思い出す。寝ぼけ状態だった頭が、一気に覚醒してきた。
ーーパパって誰よ?
「遅いな、ぐうたら女」
ダッシュで寝間着から普段着のドレスに着替え、髪の毛や顔もそこそこに慌てて居間へと飛び込んだわたしに、そこにいた男は冷たい一言を投げかけた。
「あ、あんた……」
居間にいたのは、昨夜妹達と共にいた男だ。
何でこの男が早朝から我が家にいるの? いやいい、そんなことはどうでもいい、それよりも確かあの時ディジーはこの男のことを……。
「飯だ、食え。腹減ってるだろ」
呆然として口もきけないわたしに、男はくわえ煙草という横柄な態度で、朝食を用意しながら命令してくる。
よく見ればテーブルの上には玉子を焼いたものと果物、ドレッシングをかけた簡単な野菜サラダに、それから昨日わたしが焼いたパンも置いてあった。
「めし?」
テーブルの上の朝食に言葉をなくす。まさか、この男がこれを用意したの?
「ああ、台所な、勝手に使わせてもらったぞ。材料も適当にな。リリィが腹減ったってうるさいから仕方なかったんだ」
言い訳めいたことを口にする男は、彼をじろじろと見つめるわたしに機嫌を悪くしたのか、片眉をクイと上げ睨んできた。
「食わないのか? 泣き虫女」
泣き虫女ーー
「……あんた、やっぱりニックなの、あの……?」
「昨日、そう言っただろ? 馬鹿かお前」
七年ぶりに現れた隣の息子ニック・バーナーは、呆れたようにわたしを馬鹿にすると、吸っていた煙草を灰皿に押し付け、力を込めて火を消した。