act.8 仲間
「本当によかったの?」
ホテルのバーで春樹、俊也、シンディは話していた。
手にはそれぞれアルコールを持っている。
俊也はウォッカのロック。シンディは鮮やかなピンクオレンジのカクテル。春樹はブランデーの水割り。
「なにが……?」
春樹はまったく酔った気配を見せずに、もくもくとグラスを開けながら訪ねた。
「さっきのあれよ。」
「ああ…、いまさら……べつにいいよ。
それより最近おかしなことはなかった…?」
「おかしなこと……?」
もうそのことは話したくないとでも言うように、いきなり話題を変えた春樹に答えたのは、今まで黙っていた俊也だった。
「モンスターの出現率が上がっている。レベルも以上に高い。」
「やっぱり………。」
そう言った春樹の声はとても沈んでいるように響いた。
怪訝に思った俊也が問掛けると、春樹は何かを諦めた顔で薄く笑う。
「何かあるのか?」
「さっきの廃屋にいたモンスター。額に刻印があった。」
「……!なんだと………?」
「うそでしょ……。」
いつのまにか、会話は英語になっていた。あまり周りには聞かれたくない話だったので他の客がいるここでは、そのほうが都合がいい。念のため声を潜めるのも忘れない。
俊也らは驚きに目を見開いた。
「確かなことだよ。
それに…死に際に決定だを残してくれたよ。」
「なんだ?」
そこで春樹は音を出さずに口だけで伝えた。
『我等のシャバ様は不滅だ』
そのまま春樹はうつ向いてしまった。
顔は見えないがきっと苦しそうな表情をしているのだろう、と悟ったシンディは、それを痛々しく見ながら問いた。
「蘇った、ということ?」
「たぶん……。」
春樹は沈んだ声で小さく呟いた。
しばらく重い沈黙が続いた。
シンディは何も言わなかったし、俊也も思い詰めた表情で、ただグラスを回している。
ずっと氷を見つめていた春樹が顔を上げたとき、その瞳には決意の色が浮かんでいた。
「ごめん。二人との約束…破るよ。」
「お前は、それでいいのか?」
俊也の確認のような問掛けに、春樹は一度目を伏せたが、すぐに俊也を真っ直ぐ見つめて宣言した。
「うん。決めたんだ。俺は守るよ。――――――世界を。」
しばらくの間、ゆったりと流れるピアノの音色と、氷の転がる音しかしなかった。
すっかりなくなってしまったグラスの中を見つめて、春樹は二人の反応を待っていた。
「………分かった。機関復帰の手続きは取っておく。」
俊也は渋い顔で低く言った。
もっと何か言われると思っていた春樹は、以外にアッサリした反応に、拍子抜けした。
「えっ……。いいの?」
「どうせ反対しても、お前は聞く耳を持たないだろう。」
俊也は仕方ないと言った顔で溜め息を吐いた。隣を見てみれば、シンディも同じような表情だ。
「そうそう。言っても聞かないなら言うだけ無駄だからね。……ただ、ひとつだけ………ううん。ふたつだけ言わせて。」
「なに?」
「私たちを使うこと。」
「えっ……?」
春樹の困惑顔に、シンディはやわらかい笑顔を向けていい聞かせた。
「春樹が世界を守りたいと思うように、私たちも春樹を守りたいと思ってるんだからね。」
それを聞いた春樹は、いままでの表情を一切消して、花のように笑った。
「ありがと!」
普段、明るく人慣っこい性格の春樹は、高校生としては幼く見られていたが、今している笑顔は、全く17才には見えない小学生のような無邪気なものだった。
「それから………。」
そしてシンディは何かを企んでいる顔で春樹を見て、ニッコリ笑った。
「その髪と目を元に戻すこと。」
「あ……。」
「私は春樹のあの髪と目が好きなのよ?」
「う〜〜。俺、結構気に入って………。」
「俺も直してもらいたいな。お前にはあれが一番似合っている。」
俊也は強引に春樹の抗議を捻伏せた。
春樹のライトブラウンの髪と、東洋人なら皆同じ、少し茶色味がかった黒い瞳が二人にはお気に召さないらしい。
春樹はしばらく渋っていたが、いままでの経験から、自分がこのふたりに勝てるわけがないと思い諦めた。
春樹の答えに満足した俊也は、いっきに酒をあおって腰を上げた。
「俺たちは本部に戻る。お前は行くところがあるんだろ?」
春樹は俊也の言葉に一瞬驚いたようだったが、すぐにちょっと生意気そうな顔になり言った。
「よくわかってるじゃん。」
「何年の付き合いだと思ってる。」
呆れたような俊也のぼやきに、春樹は意味ありげにニコッと笑った。シンディも飲み欠けのカクテルをテーブルに置いて立ち上がった。
「じゃあ先にいってるわね。」
「うん。すぐ行くよ。」
そしてシンディと俊也は、優雅にバーを出ていった。端から見たらこれ以上ないほどの美男美女カップルで、周りの客は憧れと羨望の眼差しで二人を見送った。
春樹はそれに小さく笑って自分も早々に切り上げた。
もちろん、自分の容姿が明らかに未成年者だということを自覚しているからだ。
もう日付も変わるという時間に、春樹はここらじゃ結構名の知れた高級ホテルを後にした。
草木も眠る牛みつ時とはこういうことを言うんだろうな、と呑気に考えながら春樹は暗闇と静寂の中を佇んでいた。
自分の通っている学校の夜の姿は、昼とは全くかけ離れていて、学校という場がホラー映画によく出てくる理由が理解できた。
屋上から見下ろす校庭は何故か殺伐としていて、余計不気味さが増す。
春樹は心ではそんなこと思ってもいないのに、『こわい』と小さく呟いた。
去年の夏休みに慎吾たちクラスメイトとやった肝試しを思い出した。先生に内緒で校内に忍び込んで理科室で学校の怪談話や七不思議を話し合う。その後、全員で校舎を回る。
別に仕掛けなんてなかったけれど、前の話と雰囲気のおかげで、脅えずに回ることは出来なかった。
春樹自身も日本のホラーが西洋より怖いのを知っていたし、初めての肝試しで多少ビクビクしていた。
終わったあと、何も起こらなくて拍子抜けだったけど…。
「さて。行きますか。」
春樹は何もない屋上の空間に手をかざした。
「ホール。解放。」
静かに紡がれたと同時に、春樹の掌が濃い紫の光を帯びた。
その光は、暗闇の中だんだんと大きくなり、人一人が通れる程になると成長を止めた。
翳していた手を降ろして、春樹は真ん丸に空いた穴に呼び掛ける。
「“蒼”」
数秒の間、風の音しかしなかったが、ふいにどこからか鳴き声のようなものが聞こえてきた。
音程やアクセントは猫に似ていたが、『みぁ〜』ではなく『きゅ〜』と聞こえる鳴き声で、こんなふうに鳴く動物はいない。
聞こえる方向からして、どうやら穴の中のようだ。ゆっくり大きくなる声に、春樹は顔を綻ばせながら待っていた。
間近で聞こえるぐらいになって、突然穴の中から何かが姿を表した。
「蒼!」
嬉しそうに、きゅ〜きゅ〜鳴きながら春樹の周りを飛びついたのは、[龍]だった。
よく中国の工芸品に出てくるような龍で、サイズ以外は間違い無くあの幻想の生物だった。
ただ、空を埋め尽す程の大きさは全然なくて、春樹のマフラーになるくらいのミニサイズだった。
「久しぶりだね。蒼。元気だった?」
春樹がそう言うと、嬉しそうに『きゅ〜』と鳴きながら宙返りをした。その様子に春樹は満足そうに笑って再度問掛けた。
「今から行っても大丈夫かな?」
蒼と呼ばれた龍は、返事の代わりに穴の中に戻って、早く来いとでも言うように、頭だけ穴から覗かせた。
その様子に春樹はクスクスと笑って自らも穴に飛込んだ。
春樹が中に消えると同時に、穴は除々に縮小していった。
誰もいない屋上で、“魔界”に繋がるホールはゆっくり闇に溶けていった。
ちょっと春樹が可愛い子になっちゃいましたι