act.7 始まりの予兆
俊也はいつも通りアメリカ本部で仕事をしていた。
最近モンスター関連の事件が多くなってきた事は、世間にはまだ公表されていない。
だが自分達関係者は不安を募らせていた。
頻発する事件。レベルに合わないモンスターの力。そしていままで常にバラバラだった奴らの行動が一本化してきたこと。
それらが、いやがおうにも二年前を思い出させる。
二年前の戦争では、結果的にはこちらが勝ったが、多大な犠牲を払った。
有能なイレイサーを沢山失い、今も仕事は火の車なのだ。
俊也も、現場に出ているばかりではいられなくなり、こうしてデスクワークもこなすようになった。
もう三十路も間際な者としては働きすぎだと思う。
パソコンの前でそんなことを悶々と考えていたら、ふと嫌な予感に襲われた。
自分の感はよく当たるから今まで信用してきた。
しかし、今回の予感は今までとは比べ物にならない。
凄まじいまでの不安が胸を覆っていく。
「なにが……!」
その時脳裏を横切ったのはここ二年見ていないあの無邪気な笑顔だった。
「春樹!なにがあったんだ………。」
「トシヤ!」
いきなり俊也のそばに現れたのは、西海岸の支部に新人育成に行っていたはずのシンディだった。
「お前も……?」
「ええ。ハルキに何かあったんだわ。」
「行こう!」
「オーケー!」
そのまま本部のオフィスからは、忽然と二人の姿が消えた。
そして二人は傷付いた春樹を見付けた。
とりあえず事務所まで春樹を抱えたその二人を案内した。
応接室のソファにはまだ気が付かない春樹が横になっている。
「怪我の治療をしましょう。みかちゃん救急箱取って。」
「は…
「その必要はないわ。」
みかの返事は今まで黙っていた女性に遮られた。
少し驚いて事務所のイレイサー達はその女性を見た。
明らかに日本人ではない。
さっきは慌ただしくてそんな暇はなかったので、改めてこの二人を見た。
一人は外国人であろう女性。高く、スラッとした身長と、プラチナブロンドの髪をさっぱりショートにした女の人だった。
ボーイッシュな感じだが綺麗な人だ。
そして、その隣にいる男も、女性に負けず劣らずの美丈夫だった。170はゆうに超えている女性よりも高い身長。整った鼻に、切長の涼しげな目を持った人で、ブランドもののダークスーツを、何の違和感もなく着ていた。
髪や肌、目の色から東洋人だということはわかった。が、西洋でもこんな男はそうはいない。
その女性の方が鋭い視線をこちらに向けて言い放った。
「治療は私がやるので手を出さないでください。」
その言葉に少し憤りを感じたが、女性が春樹に手をかざすと体中についていた傷がアッと言う間に消えていったのを見て、目を見開いた。
「能力者……。」
それもヒーリングが使える能力者は珍しい。ヒーリングは癒しの力で怪我や病気を治療できる。
だがなぜかその力を使える人が全体的に少なく、モンスターに殺されるイレイサーも後を立たない。
春樹の穏やかになった顔を見ていた男が、静かに告げた。
「では自己紹介をしましょうか。私達は“機関”アメリカ中央本部のイレイサーです。」
室内が静まり返った。
「なっ……!冗談だろ…………」
慎吾は小さく呟いた。
それもそのはず。
アメリカ中央本部は世界中に点在した機関の大元だ。
各国に配置された本部支部を総まとめにする機関最高位の団体だ。
それだけのところなので揃っているイレイサーも桁違いだ。
コードAやその上で、あらゆる能力が全てにおいて優れている人しかなれないコードSのイレイサーで構成されている。
そんな空の上の人間が今自分達の前にいることに慎吾達はただ呆然としていた。
「嘘じゃありませんよ。
ちなみに私も彼女もコードはSです。」
「で…も、何でそんな人たちがうちの事務所に…?」
事務所に残っていたイレイサーが呟いた。
「それは……。」
「ん…………。」
言いかけた言葉は春樹のうめき声で飲み込まれた。
「春樹!」
ゆっくり起き上がった春樹は二人を見上げて微笑んだ。
その笑みは慎吾達が一度も見たことのない柔らかいものだった。
「シンディ。ありがとう。」
「いいえ。お安い御用よ。」
シンディはそう言ってウインクした。
「ふたりとも久しぶり………だけど何でこんなとこに?」
その問いに二人は顔を見合わせた。
少し考える素振りを見せてシンディが言った。
「こういうの日本語で何て言うんだっけ………?」
「………ムシの知らせ………か?」
「そう!それよ!!」
男の言葉にシンディと呼ばれた女は頷いた。慎吾達と接するような他人行儀なものではなく、これが本来の彼女なのだろう、さばさばとして明るい笑顔をしている。
男のほうも似たり寄ったりで切長の目に優しい色を乗せて控えめに微笑している。
「春樹。知り合い…なのか?」
慎吾が事務所を代表して言った。
「あぁ…うん。紹介するよ。神野俊也とシンディ・マクミラン。」
春樹に紹介された二人は京子達に会釈した。
その名前で男が日本人だと分かった、が……
「でも…なんで春樹にそんな知り合いが……?」
「それよりも聞きたいのは、何で自分が能力者だと黙っていたかよ。」
京子が口を挟んだ。
鋭い目で春樹を見ている。
そんな京子を見返して春樹は笑った。それは少し自嘲的なものだった。
「もし、隠していなかったらどうしました?」
「もちろんイレイサーとして………」
「それが嫌だったんです。」
暫し沈黙が流れた。
俊也とシンディは複雑な表情を浮かべている。京子を含めた事務所のイレイサー達は困惑していて、その中の一人が怒りぎみの声を投げた。
「自己中だな。お前は力がありながら世の中の役に立てようとは思わないのか。」
「意外に正義感が強いんですね。狩野さん。」
春樹は、机に寄りかかって自分を睨んでいる狩野に目を向けた。
「どうなんだ!」
春樹はクスッと笑うと笑みを消して無表情になった。
「思いませんね。なんで見ず知らずの人のために危険に飛込まなくちゃいけないんです?」
「お前……!」
「だいいち、どうして能力者なら力を使わなきゃいけないんです?別に一般人として生きてもいいじゃないですか?」
「水野君は誰かを守りたいとは思わないの?」
みかの発言に痛いところを突かれたと春樹は思っていた。
それは側で聞いている俊也達にも分かったようだ。
春樹は降参とでも言うように手を挙げて立ち上がった。
少しふらついたが手を借りるほどではなかった。
「根本的に考え方が違いますね。俺は自己犠牲が美しいとは思いません。」
「帰ります。京子さん。俺、バイト辞めたいんですけど…。やっぱり俺には合ってなかったみたいです。それじゃあ失礼します。」
一方的に言い放って春樹は俊也達と出ていった。
残された者達は、なんで中央本部のイレイサーと知り合いなのかとか、さっきの力の暴走はなんだったのかとか考える事も出来ずに憤っていた。
能力者はその力ゆえに人間に畏怖されたり迫害されてきた。今では二年前にやっと終わった戦争の影響で、能力者をそういう目で見る人はいなかったが、それでも、以前までの酷い扱いがあったから自分達は人の役に立とうとしたのだ。
認めてもらうために…自分達を…。
そして、力を…。
だが春樹は能力を隠し、一般人に紛れていたのだ。
そんなものの存在なんて知らないかのように。
自分は関係ないと。
そして、能力者ばかりが集まったここでも、春樹はただ人として働いていた。
ときたま負傷して帰ってくる者たちを何食わぬ顔して見ながら。
「くそっ!なんなんだ!あいつは!」
このなかで一番気性の激しい狩野が声を荒げて近くの机を叩いた。
他も皆似たり寄ったりな顔だった。
結局、春樹は自分たちが奮闘してるのを見てあざ笑っていたのだ。
「春樹君のことはもうどうでもいいわ。それより新しい事務を探さなきゃね。」
京子が静かに告げ、皆は仕事に戻っていった。
慎吾とみかだけは、憤りではなく困惑の表情を浮かべていた。
クラスメイトで、ここにいるメンバーよりは春樹のことを知っている彼等は、春樹はそういうやつじゃないということを理解していた。
だからこそ疑問に思っていた。なぜ春樹があんなことを言ったのか。
ふたりが顔を見合わせていると、杉本に声を掛けられた。
杉本は周りには聞こえないように声を潜めて二人に言った。
「春樹君には何か事情がある筈だよ。それでなきゃコードSのイレイサーと知り合いなわけないじゃないか。」
「「……!」」
「それに京子さんでも気付かなかった力と、あの時の暴走。」
「そういえば……。」
「そうかも…。」
慎吾たちは考えるように唸った。
「いつか知るときが来るよ。それまで信じてあげないと。」
「「はい!!」」
二人は晴れた顔で元気に返事をした。
杉本はそんな二人を見て満足そうに頷いた。