act.6 始動
無理矢理連れていかれたのは、廃ビルだった。
「なんか、いかにもってかんじ。」
みかが、薄暗い建物の周りを見回しながら呟いた。
足を踏み入れたそこは、ここだけ、切り取ったように暗鬱とした空気が漂っていた。
亀裂の入った壁。
何年も誰も踏み入れなかったであろう、クモの巣だらけの屋内。
外からは、烏の音まで聞こえる。
鉄筋が剥き出しになっているフロアを、一行は慎重に進んでいった。
なにしろここは、モンスターの住処になっているのだ。油断はできない。
その中でも、春樹は一番後ろを歩いていた。
いつものような柔らかい雰囲気は一切ない。氷の様な空気を纏わりつかせていて、表情も切れてしまいそうなほど鋭かった。
〈…なんなの?これ………?〉
ほとんど誰もそのことに気付いていなかったが、京子だけは違った。
さすがにコードBのイレイサーだけはある。
その空気の微妙な変化に、警戒を強くした。おそらく誰がこの空気を作り出したかまでは、わかっていなかっただろうが………。
〈慣れって怖いな………。〉
春樹は表情とは裏腹に、呑気な事を考えていた。
たかだか二年では、染み付いた癖も直ってくれないらしい。
春樹は、辺り一体に漂っているモンスターの気配を読み始めた。
機関からの情報はほぼ正しかった。
中級モンスターが3匹。
頭に巨大な角。鋭く尖った歯。爬虫類のような皮膚に覆われた体。
不気味に光る目で辺りを見回した。
この種のモンスターの出現ポイントは主に、こういった都会。活動時間は夜。世界中どこにでも現れる種族だ。
だが、春樹は違和感を感じた。
それはとても小さなものだったが、春樹は警戒を強めた。
〈この感じ………どこかで………。〉
「みんな!気を付けて!近いわ。」
京子の潜めた声に、皆は体を強ばらせた。
ちょうど四階に着いた時、もはやただのガラクタと化した工事機材が、そこかしこに転がっているフロアの奥から、低い唸り声が聞こえてきた。それを聞いた慎吾達は、アイコンタクトをして、各自配置について行った。
その場に残った京子は、春樹に『安全なところに。』と言って、正面から堂々と近付いていった。
モンスターを囲むように五人が立った時、やっと気付いたように唸り声がぴたりと止んだ。
〈さすがだなぁ…。〉
またもや周りの雰囲気をまったく無視して春樹は呑気に観察していた。
中級モンスターに気付かれずに、あそこまで近付いたあの気配の消し方も、普通の事務所より遥かに優秀だった。
〈それにしても、またこんなものを見るとはね………。〉
春樹は小さく自嘲した。
薄暗い屋内で京子の声が響いた。
「慎吾!みか!シールドを!」
「「はい!」」
両サイドにいた慎吾とみかは、掌を前へつき出した。
その手は淡いブルーに光っている。
「「発動!!」」
その一声で、光はモンスターの周りを覆った。
透き通ったブルーの光は外からでも中を見ることが出来た。
光の中にはターゲットであるモンスターと、シールドを張った二人以外のイレイサーがいた。
「さーて、それじゃっ、とっととやりましょうか!!」
京子の掛け声にモンスター達は余裕の笑みを浮かべた。
多少は人間の言葉がわかるらしい。
明らかにこちらを馬鹿にした笑みだった。
確かにこのモンスターは、限りなく上級に近いレベルを持っているだろう。
春樹がちらっと見た感じでは、相当の経験を積んでいるようだ。
それでもこちら側が不利になるかと言うとそうでもない。
コードBの京子と、共にCの狩野、杉本が三人がかりで相手をしたら、おそらく負けるのはあちらだ。
今はシールドに専念しているが、慎吾とみかもいる。
だから春樹は違和感を持った。
向こうもそんなことは分かっているはずだ。
厳しい戦いになるのは目に見えている。
ではなぜあんな表情でいられるのか。
さっき感じた違和感も相まって、春樹は眉を潜めた。
早々に始まった戦いは、以外に苦戦を強いられた。
こちらの攻撃はほとんど通じず、逆に、この種族にはあるまじきパワーで向かってくる。
炎や衝撃波、電流の嵐が飛び交っている。
シールドを維持している慎吾達も、次第に追い込まれていく状況に焦り出した。
だがさすがは年長者。
中で戦っている三人はとても冷静だ。襲ってくる攻撃をうまくかわしながら反撃の瞬間を待っている。
その中でも一番レベルの高い京子が突破口を開いた。
得意のブレインを発動したのだ。
ブレインは相手の精神に直接ダメージを与える能力で、防御は極めて難しいが、相手に少しでも隙がなくてはかけることは出来ない。
京子のブレインでモンスター達の動きが止まった。
そのうちに狩野が、炎技で仕留めた。
モンスターたちは最後まであがいていたが、捨てゼリフを吐いて絶命していった。
その『捨てゼリフ』が問題だった。
後始末を終えた京子たちは春樹がいる辺りに向かった。春樹は壁に寄りかかって胸を押さえていた。
おそらく初めてモンスターを見てびっくりしたのだろうと、京子は柔らかな笑顔で安心させようとした。が――
「近付くな!!!」
春樹の鋭い声が響いた。その声にみか達は顔を曇らせた。能力のない一般人の中には、自分達の力を恐れる人も少なからずいるのだ。
春樹にはそういう偏見はないと思っていたが違ったらしい。
みかは悲しそうな表情て話しかけた。
「水野君。私たちは何もしないわ。安心して。」
「違う!!」
「………えっ………?」
「違……う……。い、ま……は……。」
苦しそうに息をしながら春樹はなんとか伝えようとした。
早くここから離れるように、と。
しかし口を開くと何かが競り上がってきて言う事が出来ない。
〈いやだ!……また…あんな……。………今度こそ…守るんだ!〉
母親が死んだ、いや自分が殺した時の事が鮮明に蘇ってくる。
そしてモンスターの死の間際に額に現れた刻印と、最後の言葉が頭を離れない。
今自分の中から出ていこうとする力を押さえ込まなければ、京子達が危ないのだ。
春樹は何とか力を制御しようとするが、体を渦巻く勢いは止まらない。
無理に止めようとしているので、体が悲鳴を上げた。
春樹の様子に京子達は困惑した。
確かに春樹は異怖の表情をしてはいなかった。
ただ己の胸を押さえて苦しそうにしている。
「春樹!いったいどうしたって……。」
慎吾の問いに答えることも出来ずに、春樹はずるずると床に座り込んだ。
「春樹!」
「近付くな!」
駆け寄ろうとした慎吾を制止して、口を開いてしまった春樹は、手を口に当てながら咳き込んだ。
ごほごほと肩を揺らしている春樹の口に添えられた指の隙間から真紅の液体が流れた。
「水野君!」
「待って!危険だわ。力が暴走してる。」
血相を変えて走っていこうとしたみかを止めたのは、京子だった。
その言葉に動きを止めたみかは驚愕の表情で京子を見た。慎吾達も少なからず同じような顔をしている。
「…どういうこと……。」
「あの子は能力者よ。それも相当な力を持った……。サーチが得意な私でも気付かなかったくらい……。」
「……………!」
京子は、近くにいくとその人の能力の有無を判別できる。
その京子に気付かれないようにするには身の内に秘められた力の存在を消す必要がある。標準レベルの能力者では到底出来ないことだ。
それを二週間以上も一般人で通していた春樹の力に皆は驚いた。
京子から視線を春樹に向けた慎吾達は、突然の突風で顔を覆った。
「くっ……うっ………っ……!」
風は苦しそうな春樹の周囲をぐるぐる回っている。
威力が強力すぎて止めるに止められない慎吾達は、歯を食い縛って様子を見守った。
しばらくすると、だんだん風も和らいできて見えなかった春樹が視界に映った。
そしてその姿にみかは小さく悲鳴を上げた。
制服の白いワイシャツは血で真っ赤に染まり、標準身長なのに男にしては細めの肩が激しく上下に揺れている。
大粒の汗を掻きながら胸を握り締めている春樹を呆然と見ていると、突然背後から人の声が聞こえた。
「間に合わなかったか…。」
落ち着いたテノールの声が辺りに響き、声の持ち主がゆっくりと歩き出した。
隣には女性もいる。
彼等は京子達には見向きもせず、春樹のそばに座り込んだ。
男が春樹を抱き締めて囁いた。
「もう…大丈夫だよ。安心して………おやすみ。」
誰かに抱き締められて春樹は一瞬体を強ばらせたが、その声を聞いて安心したかのように一気に力を抜いた。
見上げると自分を優しく見下ろしている二人と目が合う。
春樹はホッと微笑んで意識を失った。
「あの………。」
ためらいがちに声を掛けられ二人は振り向いた。
短い沈黙が続く。
先に声を発したのは見知らぬ男のほうだった。
「あなた方は……?」
春樹を抱き上げて立ち上がった男が聞いてきた。
京子はとりあえず警戒したまま固い声で答える。
「私たちはここに住み着いていたモンスターを退治しに来たんです。春樹君は私の事務所の子です。」
「そうですか。………春樹はイレイサーとして……?」
「いいえ。彼が能力者だと言うことは今知りましたから。」
「そう………。」
「それよりあなた方こそ何者なんですか?」
心配そうに春樹を見ていた男は、少し微笑んで言った。
「ここではなんですから場所を変えましょう?」
「え…。えぇ。分かりました。」
「ですが一つだけ言わせてください。」
「………………?」
「一般人として春樹をここに連れてきたのなら、私はあなた方を許しません。」
「…………!」
さっきの微笑は一切消して氷の様な表情で言い放った男の雰囲気に、京子達は恐怖に固まった。