新たな実験動物
研究棟はいつもと変わらず静まり返っている。それぞれの部屋から聞こえる無機質な機械音もそのままだ。
突き当たりの部屋。サイカケン部室。意を決してノックをするが返事はない。何とか開かないかと扉を引くと、意外にも簡単に扉は開いた。鍵がかかっていなかったということは、加奈子先輩たちは中にいる。ということだろう。
「こんにちはぁ……」
そろりそろりと中に入る。人気のない室内は相変わらず何に使うのかわからない機械で埋め尽くされている。しかし、その中央に見慣れないベッドが一台置かれていた。
薄暗い部屋の中、ベッドの上にかかる白いシーツがやけに目だって見える。それは色のせいだけではない。そのシーツに隠されたものの盛り上がりは明らかに人、しかも女性のシルエットを映し出している。
「ゴクリ……」
ぼくは心を決めてシーツの端をつかむと、一気にそれを剥ぎ取った。
「!!」
そこに横たわるのは、一糸まとわぬ姿の女性。ほどいた髪とメガネをかけていない顔のため一瞬戸惑ったが、これは間違いなく加奈子先輩だ。
「加奈子先輩っ!」
声をかけるが反応はない、肌は透き通るように白く、見るからに血の気が無い。胸を見ると美しい双球が目に飛び込んでくる。しかしそれは微動だにせず、呼吸が行われていないことは明らかだった。
胸を見つめてしまっている自分に気づき、あわてて目をそむける。脈を診ようと首筋に手を当てるが、脈を診るまでもない。その体は冷え切っていた。ぼくの目の前数十センチで加奈子先輩はいつもと違う大人びた表情のまま、永遠の眠りについていた。
「久しぶりだな、モルじゃないか」
その声にあわてて手を離す。そこには奥の部屋から黒いノミネコおこげを胸に抱いて現れた法子先輩姿があった。法子先輩は、ぼくとその前にある変わり果てた加奈子先輩の姿を見ても、表情一つ変えなかった。
「法子先輩、これはどういうことですかっ!何で加奈子先輩が死んでるんですか!」
悲しみよりも怒りがこみ上げてくる。
「ああ、それか。それは加奈子が望んだ結果だ」
「なにが結果ですか!それでも友達ですかっ!」
ぼくは抑えられず、法子先輩につかみかかる。しかし法子先輩は軽くぼくをいなし、かわりに強烈な回し蹴りを打ち込んだ。
ぼくは受身を取ることもできず、床に倒れた。さらにその背中を押さえつけるように法子先輩が踏みつける。けられたときに口の中を切ったのか、血の味が広がった。
「何わけのわからないことを言っている」
「なんでそんなに冷静でいられるんですか!友達が……友達が死んでしまったんですよ!」
踏みつけられたまま法子先輩をにらんで叫ぶ。
「それは、魂の無いただの塊だ。そんなもの友達とは認識されない」
「!!」
足元に情けなく転がるぼくに法子先輩は、冷たく言い放った。悔しいのか悲しいのか、わからない感情が渦を巻き、ぼくは言葉を失う。
そのとき、奥からもう一人の人影が現れた。
「なぁにぃ、ノリちゃんどうかしたの」
聞き覚えのあるのんびりした声。
「え?か、加奈子先輩?」
ぼくの目の前にはいつものように制服の上に白衣を羽織り、トレードマークの大きなめがねをかけた、もう一人の加奈子先輩が現れた。
「あら、モル君。ひさしぶり。二人とも何してるの?」
以前と変わらぬ笑顔でぼくに挨拶する加奈子先輩。
床に転がり踏みつけられるぼくと、女王様よろしくぼくを踏みつける法子先輩。
不思議そうに交互に二人を見て首をかしげる。
しかし、シーツの剥ぎ取られたベッドに横たわるもう一人の自分を見て悲鳴を上げた。
「きゃー!ノリちゃんなにのんびりしてるの、早く隠してよ。モル君も見ちゃだめー!」
ベッドに駆け寄ると裸の自分に覆いかぶさりきゃーきゃーと悲鳴を上げた。
ぼくもあわてて立ち上がり、後ろを向く。
いったいこれはどうなっているんだ。
「モル、もういいぞ」
しばらくすると法子先輩から声がかけられた。ぼくが振り返るとベッドの加奈子先輩には首から下にシーツがかけられていた。シーツの上からでも胸のあたりのふくらみを見ると、さっきの映像が蘇える。ぼくはあえてそちらを見ないようにした。
「加奈子先輩、これはどういうことですか」
ぼくの質問に加奈子先輩は、人差し指を顔の前で絡ませながら話した。
「だって、モル君が人体実験はいけないって言うから、実験用の人間を造ってみたのよ」
造ったって、そんな簡単にできるものなのかと思ったが。その点について説明は法子先輩が行ってくれた。
「元々『人造人間』実験の計画はあったんだ。ある程度の基本はできていたんだが、完全な人間を作るにはまだ不十分だったんだ。それでも実験台に使うならと急遽突貫作業で作り上げたのが、この加奈子のコピーだ」
作成には膨大な時間と集中力が必要だったらしく、そのために授業を休んで泊り込みで作業を進めていたらしい。
「皮膚や血液、内臓器は組織培養により生成したものを使用。骨格はカーボン樹脂。伝達系に一部光ファイバーとマイクロチップを使用。視覚・聴覚・嗅覚についてはバイオ技術では対応できず、やむなくセンサー類を搭載。現在の問題はそれらを指揮する頭脳だけだ」
法子先輩は設計図と思しき表をパソコンの画面に表示しているがさっぱりわからない。
「簡単に言うと、人造人間と人間型ロボットの中間のようなものね。外見はMRIで取り込んだ私の姿を忠実に再現しているのよ」
「胸のサイズだけは2割増しにしてあるがな」
法子先輩がぼそりと呟く。
「ノリちゃん、それは言わなくていいの!」あわてて法子先輩の口を覆おうと腕を伸ばす。
そういえば前に触ったときに比べて、大きく感じた気が……
そんなぼくの思考を打ち破るように加奈子先輩が声を上げる。
「だーかーらー。頭脳の部分は今のところ、最大容量を持つSSD(Solid State Drive)を搭載しているんだけど、それでも人間として最低限の生命維持活動における情報しかはいらないの。まあ、今回は実験台になってもらう体だからそれでかまわないんだけどね。ちょうど今から私の基本情報をあの体にコピーするところだったのよ」
それさえ行えば、もう一人の加奈子先輩は生まれるという。
実験台にされるためだけに生まれる命。それはそれで悲しい気はする。
彼女はこれから様々な実験に使われることになるだろう。あんなことや、こんなこと。さらにはあ~んなことまで……。
ああ、自分の想像力の豊かさが恐ろしい。
ぼくは考える。だめだ、いくら人造人間であろうとも、加奈子先輩と同じ姿のものを実験台になんてできない。
ぼくはある方法を思いつき、それを提案する。
「先輩、いくら造りものでも、女の子を実験台にするようなことはできません」
ぼくの言葉に法子先輩が反論する。
「これは加奈子が造ったものだ。お前にどうこうする権利はない。それに実験動物がいなくてはこれからの研究が進まない」
「わかります。だから、実験にはぼくのコピーを使ってください。前みたいに自分がやられるのは困るけど、自分のコピーなら我慢します。お願いします」