ドナドナ
「は~」
ぼくは超重量級のため息を吐いた。
強引に最新科学研究部。通称、サイカケンに入れられてしまったぼくは、昨日一日『新入部員測定』などと言うふざけた身体測定に付き合わされた。
身長・体重はもちろん、血圧や視力。果ては血液検査からMRIまで全身くまなく調べられた。これをなんに使うのかは怖くて質問できなかった。
採血したのは法子先輩なのだけれど、そこらの看護婦より注射器の使い方がうまいのには驚かされた。針が皮膚に触れる感覚すらなかった。加奈子先輩もだが、法子先輩も只者ではない。
そして極めつけは最後の写真撮影だ。
「じゃあ、あとは写真撮影ね。全身写真を撮るから、ひとまず全部脱いで」
「え?」
思わず両手で自分の体を抱きしめ体をよじる。それって素っ裸ってこと?
「服着たままじゃダメですか……?」
「ダメに決まってるでしょ!骨格や筋肉の付き具合とか調べておきたいんだから。ホントは解剖して内臓の確認もやっておきたいんだけど、まあそれはまたの機会にして、写真ぐらい取らせてよ。減るもんでもないしいいでしょ」
解剖の危機はひとまず回避されたが、それでもまだ苦難は続く。
減る減らないの問題じゃなく、倫理的にダメでしょ。知り合ったばかりの女の子たちの前で裸になるなんて。
「もう、めんどくさいわね。いいわ、のりちゃん剝いちゃって」
その言葉とともに、法子先輩はぼくを取り押さえる。あんなに細い腕なのにすごい力だ。
「あっ、ダメ……やめてー!」
訴えもむなしく、あっという間にぼくの体は一糸まとわぬ姿になった。服をはぎ取られたぼくは、研究所の壁に取り付けられた拘束具で四肢を拘束される。一切の動きを制限されたぼくは、大事な息子を隠すこともできない。
「体格のわりに結構立派ですね」
ぼくの固定を終えた法子先輩は、目の前にしゃがみこんで、ぼくの息子を興味津々でじっくり観察している。今にもつんつん、とかしてきそうな雰囲気だ。
加奈子先輩も、「キャーキャー」と顔を両手で覆って恥ずかしがっているが、その指の隙間からじっくり観察しているのは明白だった。
「では撮影を再開しましょう」
息子の観察を終えた法子先輩は、表情も変えず残った撮影を作業をたんたんと進めていく。無表情のまま、ぼくの全身をあらゆる角度から撮影し、時折メジャーで寸法を測ったりする姿は、まるで研究材料を記録するかのようだった。
1時間後、全身の詳細な写真と測定値を記録され、ようやく解放されたぼくは、震える手で制服を身につけた。二人の先輩がどれほど危険であるか、身をもって理解した瞬間だった。
昨日のサイカケンで行われた悲劇を思い出しため息をつく。
あの二人の先輩が、ぼくを何かの実験に使おうとしているのは間違いない。
バラ色の高校生活に早くも暗雲が立ち込めている。
学校の授業はと言うと、一週間のブランクはあるものの、もともと勉強が苦手というほどではないぼくにとっては、休んでいた分もそれほど苦にはならなかった。
もうすぐ今日の授業はすべて終わる。問題なのは放課後だ。
キンコーンカンコーン
終了を告げるチャイムが鳴り響く。
みんなは一斉に帰り支度を始める。放課後の予定を友人と楽しく話す同級生たちにとって、チャイムは学校という折から解き放たれる解放の鐘の音に聞こえるのだろう。しかし、ぼくにとっては死刑台への歩みをスタートする合図のブザーにも似た意味を持っていた。
この流れにまぎれて帰ってしまおうか、本気でそんなことを考える。
そうだよな、最悪学校を退学になっても、死ぬわけではない。しかしこのままでは命にかかわる危険性がある。
よし帰ってしまおう。そう決めたときぼくの机に見知った顔がやってきた。
「おーっす、ケンタ。もう怪我は大丈夫なのか。ごめんな、見舞いにもいけなくて、結構忙しくてさ」
こいつは中学から一緒の品川 浩二。友人なら一度くらい見舞いにこいってんだ。
人の気も知らないで、品川は話をつづける。
「なあなあ、ケンタは部活決めたか。俺もう迷ってちまってよぉ」
聞けば、かわいい先輩のいる部活を手当たりしだい見学していて、ぼくの見舞いにこれなかったという。中学からやることがまったく変わっていない。
「まあ、決まってはいるよ」ぼくは吐き捨てるように言う。
自分で決めたわけではなく、決められた。
いや、むしろ嵌められたというほうがより正確だ。
「なに、本当か。おい、何部だよ、もったいぶらないで教えろよ。お前が入りたいって言ってた科学部はもうないんだろ。どこにしたんだよ」
今にもつかみかからん勢いで問い詰める。そんな品川の動きが不意に止まる。
「もりもとくぅーん」
女性の声には敏感な品川は、反射的に振り返り、声の主を確認して腰を抜かした。
語尾にハートが似合う、かわいらしい声が帰り支度でざわめく教室に響く。
教室の入り口には、この学校の制服に身を包んだ加奈子先輩が立っている。
制服はセーラー服タイプ。リボンの色で学年がわかるようになっている。 加奈子先輩は2年生の証である赤いリボンだ。
ちなみに男性は学ランで学年ごとにの色が違う学年賞を胸につける決まりになっている。ぼくら一年生の色は緑だ。
昨日、部室で会ったときは白衣をまとっていたので制服姿の加奈子見るのは今日が初めてだ。白衣もよく似合っていたが制服姿も素敵だと思わず見とれてしまった。
そこで思いなおす。いやいや、騙されちゃいけない。あの人は人のことをモルモットとしか考えていない危険人物だ。
「おいケンタ。どういうことだ、抜け駆けかぁ」
人の気持ちも知らない品川は、ぼくの胸倉をつかんで睨みつける。抜け駆けも何も、はなから約束などしてない。ぼくは理不尽な怒りに辟易した。
「おちつけよ。お前が考えているようなことはないよ。ただの部活の先輩だよ」
「嘘をつくな。あんなかわいい子ちゃんがただの先輩か?いちいち新入生を迎えに来るか、フツー」
品川に引っ張られぼくの頭はガクンガクンと揺れる。
おそらくは迎えに着たのではなく、ぼくが逃げ出さないように捕獲に来たのだろうが、そんなことを言っても信じてはもらえないだろう。
あと数回繰り返されたら、ホントに頭がもげそうだった。あぶないところで品川は手を放してくれた。ぼくが襟を整えていると。
「よしわかった。百歩譲ってただの先輩ということで納得しよう。その代わりお前の入っている部活を教えろ。そしてその部活のかわいい女の子を紹介しろ、いいな」
紹介するも何も、サイカケンには加奈子先輩以外には法子先輩しかいないし、別に隠すようなやましいことはしていない。
「わかったよ、ぼくの部活は……」
「あー、ちょっと待て」手のひらでぼくの口をふさぐ。言えといったり黙れといったり、忙しいやつだ。
「おれが当てて見せる。彼女に似合うコスチューむだろ、ズバリ、テニスだ」
「はずれ」
「なに!彼女には絶対ミニスカートが似合うと思うんだが、んー、以外に茶道部で着物か、まさか水泳部で水着……」
「それもはずれ」
品川は本気で悩んでいるようだ。そこでぼくは一つヒントを与えてやる。
「彼女に似合う色は白だよ」
初めて見る先輩のセーラー服姿もかわいいが、彼女に似合うのはやはり純白の白衣だ。
「テニスウェアーでも着物でも、水着でもないとすると、まさか、レオタードか!うっ、鼻血出そうだ」
品川は自分の妄想に欲情しているようだ。想像力のたくましいやつだ。いい加減に教えてやろう。
「ちがうよ、真っ白で有名なのが残っているだろ。看護婦さんとかが着る」
しばらく考えて、品川は叫ぶ。
「白衣か、おまえ、なんていうプレイを楽しんでいるんだ。うらやましい」
「ば、ばかいうなよ。部活でも白衣を使うのがあるだろ」
「科学部はもうないし……」そこまで言って品川の顔から血の気が引いた。「まさか、サイカケン、最新科学研究部なのか」
品川の言葉にぼくは軽くうなずく。確かにまともな部活ではないがそこまでおどろくこともないだろう。
「ってことは、あのお方がマッドサイエンティスト。一ノ瀬 加奈子……」
マッドサイエンティストって、確かにそうだけど。
「ケンタ。お前は入院して知らなかったかもしれないが、サイカケンには彼女目当てに何人もの新入生が入部したんだ。しかし、ほぼ毎日救急車がやってきて、入部した一年は誰も病院から戻ってきていないんだ」
なんとなく納得できる。もしかすると元の科学部も何らかの方法でサイカケンに引き抜かれて、そして誰も帰ってこなくなったとか――
品川はくるりとぼくに背を向けるとそのまま背中でぼくに語った。
「短い付き合いだったな、ケンタ。葬式には行ってやるよ、じゃあな」
それだけを言うと、品川は加奈子先輩のいる扉とは別の扉から風のように飛び出して行った。
なんとなく想像はしていたが、現実に聞くと衝撃は大きい。
教室の入り口では、独りになったぼくを加奈子先輩はにこやかに見つめていた。
死刑執行前の死刑囚のように、重い足取りでぼくは荷物をまとめて机を立った。明日もこの場所で勉強ができるのだろうか?
どこか遠くでドナドナが聞こえた気がした。
*うんちく
『ドナドナ』1938年にユダヤ系アメリカ人の作曲家ショローム・セクンダと作詞家アーロン・ツァイトリンによって作られた楽曲。牧場から市場へ売られていく子牛の姿を描いた名曲。堅太も実験場へ連れていかれてしまうのか??