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何か見えたかい?


 雲に遮られた太陽は未だその顔を出していない。

 日差しがなくなり雲の影に覆われただけで、僅かに肌寒さを感じる。やはり太陽の光というのは暖かいのだということを改めて理解した。

 とは言えよく晴れ、青空の広がる日だ。風はそれ程なく雲の流れは遅いものの、そうかからず再び太陽は顔を出すだろう。

 影に沈むのなどほんの一時のことだ。天気も、そして人生も。

 そんな空をフェンスに背を預け見上げながらココアをまた一口飲んだ。大分冷めたとろみのある甘さが口の中に広がり俺はやはり顔を顰めた。

 そこで扉の開く音がしたため慌てて目を向ける。


「お、悪い子だー」


 扉から顔を覗かせたのは在原先生で、俺はホッと安堵する。そんな俺を他所に先生は意地の悪い顔で近づいてきた。


「サボりですか?」

「君がそれを言うかな?」

「僕は休憩中です。もう少ししたら生徒の様子を見に行きますよ」


 今日も昼過ぎから部活動だ。春休みで時間も早く天気もいいので、部員は学校の敷地内に散り風景を描いている。

 在原先生は「ふーん」と気のない返事をすると煙草を咥え火を着けた。


「ここ禁煙なんじゃないですか?」

「さぁ? そもそも立ち入り自体が認められてないし」


 もっとダメじゃん。


 吹き出された煙が青空に漂いすぐに消えた。

 暫く二人無言で空を眺めていたが


「寂しくなっちゃったねぇ……」


 不意に先生はそう呟くと細く長く煙を吐いた。


「毎年この時期は別れが付き物だからね。多くの生徒を送り出してきたけど、やっぱり何人送り出しても慣れないもんだね」


 在原先生は担任になったことはないらしいが、それでも多くの生徒と関わっており、その分だけ別れを経験している。やはり思うところがあるのだろう。


「ま、今回はちょっとイレギュラーだったけどね」


 また吸い煙を吐く。

 煙が散っていく中に見た先生の横顔は俺の知る先生にしてはどこか寂しそうに感じた。


「明るくて元気で、良い意味でみんなを巻き込む子だったから尚更ね……いなくなると寂しいものだ」

「……そうかもしれませんね」

「へぇ……」


 先生が目を細める。


「……何ですか?」

「いや、変わらないと思っていたけど……そうでもないのかなって思っただけだよ。改めてね」

「何のことでしょうか?」


 在原先生は携帯灰皿を開くと吸い殻を揉み消す。そして新たな煙草を咥えると火を着けた。


「空君達がここを卒業したときのこと、覚えてる?」


 数年経っているがそれぐらいのことはまだ覚えている。俺の人生における数少ない卒業の日のことだ。もっとも全てを覚えているかと言えばそれは怪しいが。


「卒業式の後、美術部の卒業生と在校生全員で集まったじゃない? 美術室に。みんなが卒業を喜び祝い祝われながらも別れに涙を流していた。ウチの美術部は基本みんな仲が良いからね」


 大きないざこざはなかったように思う。内心どう感じていたかは知らないが、確かに表向きは仲が良かったかもしれない。喜びや悲しみを共有できる人間が集まっていた。


「そんな中、唯一人君だけは違ったよね。みんなが別れを惜しむのを冷めた顔で眺めていた。涙ひとつ流さずに」

「……ええ、そうでしたね」


 それは良く覚えている。『この人達は何でこんなに泣いているのだろう』と本気で疑問だった。別れを惜しんでのことなのだろうが、それはそんなに泣く程のことなのだろうか? 全く共感できず、正直引いていたくらいだった。

 もし本気で接して時間を重ねた故のその涙なのだとしたら、俺は誰とも本気で接することができなかったということなのだろう。

 けれどそれは当然だ。そもそも本気で接する気などなかったのだから。

 共感できないから関わらない。俺は人と共感することを諦めていた。


「そんな君が今回は随分とシケた顔でいるからさ」


 彼女と出会うまでは。


「……多く関わった生徒がいなくなったんです。僕だって多少寂しくなることだってありますよ」

「多さだけじゃないね。深さ……もでしょ?」

「……そうかもしれませんね」

「おや、素直」

「意地張るところでもないですからね」


 惚けたところできっとこの人には通用しないだろう。それなら素直になった方がいい。自覚があるなら尚更。


「どうだい?」

「え?」


 先生は空に煙を吐く。それはやはり漂う間もなく散って消えた。


「彼女と離れてみて」


 その顔は心底意地の悪いもので、俺は僅かに顔を顰めた。


「いつも君が指導のときに言っていたことでしょ?『離れて見てみろ』て。彼女と離れてみて、近くにいたときには気付けなかったものは見えたかい?」


 俺は小さく舌打ちし、黙って先生を睨みつけた。

 昔からこの人のこういうところは苦手だった。こちらが触れられたくないところ、言い返せないところを的確に突いてくるのが本当に腹立たしい。

 やはり彼の方が大人だと思い知らされる。


「意地悪し過ぎたかな」


 何も言い返せない俺を見て在原先生は「うえっへへ」と癖のある笑い声を上げた。

 それからまた暫くお互い無言でいたが、やがて先生は再び口を開いた。


「引っ越しの話が出たときね、東雲さん随分と抵抗したらしいんだよ」


 振り向くと先生は空を見上げていた。手に持った煙草はもう大分短くなっている。


「今の学校でみんなともっと一緒に過ごしたい。一緒に勉強したい。一緒に卒業したい」


 そこで先生はこちらに振り向くと俺の顔を真っ直ぐに見た。


「空くんと、もっと一緒にいたい……てね」


 心臓が大きく跳ねた。一瞬頭が真っ白になりすぐに彼女の顔が浮かぶ。

 手に持ったココアの缶が僅かにヘコんだ。


「抵抗して抵抗して、頑なに引っ越しを受け入れなかったそうだ。そして彼女なりに頑張ったようだね。親御さんを納得させるために。できることは自分でやるように努力してみたみたいだ」


 彼女が頑張っていたのは俺も知っている。できることをし、できるはずのことをし、できることが増えるとその度に喜んでいた。そのときの笑顔を俺は忘れられない。


「親御さんも彼女の意志は尊重したかったらしい。けれど心配は拭えず、彼女に内緒で引っ越しの話は進めていたみたいだ。そしてここにきて漸く彼女自身も引っ越しに納得した様で本格的に話を進めたらしい」

「彼女は……」

「ん?」

「彼女はどうしてここにきて引っ越すことを受け入れたんでしょうか?」


 それだけ抵抗してここにいることを望んでいた彼女の心を変えた要因とは何だ?


「さあ? そこまでは聞いてないけど」

「……そうですか」

「……空くんさ、彼女が引っ越したのは自分のせい……だなんて思っているんじゃない?」


 ビクリと肩が跳ねた。そしてそれを見逃さなかった先生はハアッと大きく溜息をついた。


「前にも言ったけど、彼女は君のことを全く責めてはいないと思うよ? そういう考えすら浮かんでいないんじゃないかな? あの子の場合。そんなことは君が一番よく分かっているでしょ?」


 分かっている。彼女が俺を責めていないことぐらい分かっているつもりだ。

 好意は持ってもらっていたと思う。そこの自覚はあるし、それが分からない程鈍感でもない。けれど


「分からないですよ……そんなの」


 それでも彼女が内心で何を思っていたかは分からないのだ。想像するだけなら幾らでもできる。自分の都合の良いことでも悪いことでも幾らでも。けれどそれはどこまでいっても想像でしかない。

 彼女の想いを知ることはできない。

 彼女は俺に何も言わずに行ってしまったのだから。


「まぁ……分からないよね」

「分からないならゼロじゃない。彼女が僕に不信感を持っていてもおかしくはないですよ」


 俺は何か間違えたのだろうか? だとして何がいけなかったのだろうか? それがなければ別の未来があったのだろうか?

 多くの疑問に多くの答えがまとまりなく浮かんでは消え、堂々巡りを繰り返す。渦巻く感情は罪悪感と後悔、そして多分の喪失感。

 俺はまた失ってしまった。


「変わったと思っていたけど、そういうところは相変わらずだねぇ……」


 在原先生は呆れたように笑うと、吸い殻を携帯灰皿で揉み消しパチンとフタを閉めた。


「空君、ちょっとおいで」


 そう言うと先生は屋上の出入り口へと歩いていく。


「どこにですか?」

「いいから。ついておいで」


 俺は立ち上がるとココアの残りを一気に飲み干し、先生の後を追って歩き出した。






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