何てことはない
この胸騒ぎは何なのだろう。
彼女のことで色々あり過ぎて神経過敏にでもなっているのだろうか? もしくはここのところ会わない日が多かったことで、寂しさから無意識に僅かでも離れることを拒んでいるのだろうか?
「ははは……」
思わず笑いが漏れた。
前者はともかく後者に至っては本当に俺らしくない。俺はいつからこんなに人に執着するようになったのか。
いや……違う。
人に対してではなく、彼女、東雲さんだからだ。
初めから良い子だとは思っていた。けれどその一方で鬱陶しくも思っていた。毎度毎度俺に絡んでくるのを煩わしく感じていた。なのに、共に過ごすうちにいつの頃からか嫌に感じなくなり、当たり前となり、あろうことか心地良さを感じるまでになってしまっていた。そして今や俺自身が彼女と共にいることを求めている。
馬鹿げたことだ。
相手は未成年の高校生。俺のような人間がそんな感情を向けるのは不健全というものだ。そう頭では理解しているにもかかわらず、その自分の気持ちを全否定することができない。
初めてだ。誰かに対してこんな感情を抱くのは。
俺は大きく首を振った。
ここのところ自分らしくないことが多過ぎる。その結果多くの人に迷惑や心配をかけてしまっているのだ。これで更に彼女にまで心配をかける訳にはいかない。
しっかりしなければ。
週末、俺は家でゆっくりと休んだ。
考えるのは次の部活動のこと。課題、モチーフはどうするか。どの部員にどう指導するか。
あとは東雲さんのこと。
彼女も三年生になる。受験を本気で考えているならそこも気を配ってやらなければいけない。勿論身体のこともあるし、親御さんとも相談しなければならないが、それら全てをひっくるめてそれでも受験したいと言うなら俺もできる範囲で応援してやりたい。
それと会話の話題をいつも彼女に委ねてしまっているのがずっと気になっていた。口下手な俺ではあるが、たまには頑張ってこちらから話を振ってみてもいいかもしれない。
俺にできることは少ない。ならせめてできることは精一杯やりたい。
俺は未だ立ち止まったままだ。けれど少なくとも立ってはいる。顔は上げている。もう蹲ってはいない。後は歩き出すだけだ。
前を向けているならいつかまた日が昇る日が来るかもしれない。また歩き出せるかもしれない。
また絵を描けるかもしれない。
俺にこう思わせてくれたのは、きっと……。
そんな希望を抱きながら俺は週末を過ごした。
そして週明け、気持ち新たに学校へと行った俺は、在原先生から東雲さんが転校したことを伝えられた。
引っ越しの話は前々からあったらしい。
主な理由は生活環境だ。
彼女の自宅も学校も決してバリアフリーが行き届いているとは言えない。今後長く生活していくことを考えたらやはり不便だし、手助けしてもらうのも限度がある。
彼女の祖父母の家はしっかりとバリアフリーを考えた造りになっているそうで、今後はそこで暮らしながら特別支援学校に通うことになるらしい。
それと、このままこの学校に留まったとしても、彼女は進級できないそうだ。
長い入院生活により授業が受けられておらず、出席日数も足りない彼女を進級させる訳にはいかないらしい。彼女本人にはもう随分と前にそのことは伝えられており、本人も納得していたそうだ。
ルールは守らなければならないし、言い分も分かる。ただ、それでも酷だと感じた。
『みんなと一緒に卒業したい』それが彼女の望みだったから。
彼女はそれらのことを言葉は勿論、表情や態度にも出さなかった。だから俺はこれからも一緒に当たり前に学校生活を送っていくものだと思い込み疑わなかった。まだ暫くは一緒なのだと。
先週末のあの日、彼女の態度に違和感を覚えたのは間違いではなかった。
彼女は最後のつもりだったのだ。
何故何も言ってくれなかったのだろう?
本人も、部員も、在原先生も、誰も、何も。
その答えをくれたのは森川さんを始めとした東雲さんの友人達だった。
「玲愛が、空くんには絶対に言わないでって……」
彼女に懇願されていたのだと泣きながら教えてくれた。
これは、きっと良いことだ。
彼女の今後の人生を考えたら良いことのはずなのだ。
諦めなければいけないことはあったが全てではない。友人と離れ離れになるのは寂しいだろうが、今生の別れという訳ではないし、連絡だって幾らでも取り合える。
将来進みたい道だってこれで閉ざされてしまった訳ではない。本人次第で如何様にもなる。きっと彼女なら叶えられるだろう。そう信じられる。
だから悲しむことではない。寧ろ喜んでやるべきだ。新しいところでの彼女の新たな生活を応援してやるべきだ。
俺にとっても何てないことだ。
また前に戻るだけ。
彼女がいなかった頃に戻るだけ。
だから何てことはない。
この胸の痛みも、きっと何てことはない。




