謝らないでくれ
娘に会っていってくれと東雲さんの自室に通された。彼女に悪いと遠慮したのだが、是非という申し出を断り切れなかった。
彼女はベッドで眠っていた。思っていたより顔色は良く、小さな寝息を立てている。
呼吸に合わせ布団が上下するのを見て、彼女が今ここに生きていることを実感し心から安堵した。けれどそれと同時に恐怖する。こんな風に会うことが叶わない未来があったかもしれない。
途端に背筋が冷たくなる。同じだ。あの夏の日、彼女が事故にあった時と。
恐怖は当時の記憶その光景を思い起こさせ、当時と今の想いが重なり混ざり合い大きくなっていく。
鼓動が速い。息苦しい。
俺は首を振ってその光景をはらい、それから逃げるように意識を周りへと向けた。
明るい色調の部屋だ。女の子らしい部屋と言うのは適切ではないかもしれないが、少なくとも俺の部屋よりは可愛らしい部屋だと思う。その一方で部屋の隅に立て掛けられたキャンバスがどこか異質に感じた。
部屋を眺めていると、ふと勉強机に置かれた写真立てが目に留まった。
東雲さんと俺のツーショット写真。学内展示の際に撮ったものだ。
彼女は俺の腕を抱いて笑顔を浮かべ、対して俺は苦笑いだ。
そのすぐ隣の卓上カレンダーにはある日付に大きなハートマークが描かれており、その中に『空くんとデート』と書かれていた。
それに気恥ずかしさを、そしてそれ以上に胸を締め付けられる様な痛みを感じる。
あの日俺は彼女の期待に応えられたのだろうか?
彼女を楽しませてあげられたのだろうか?
辛い思いをさせてしまっただけではないのか?
俺は
「空……くん?」
ハッとして振り返るとベッドの中の東雲さんがこちらを見つめていた。
「すみません。起こしてしまいましたか」
ベッドの脇にしゃがむと彼女がこちらに手を伸ばしてくる。
こちらも手を差し出すと、すぐにキュッと握られた。弱々しい、すぐに解けてしまいそうな力だ。
俺も握り返すと彼女は微かに笑った。
「具合いはどうですか?」
そう訊ねるも彼女は何も答えず、虚ろな瞳でぼおっとこちらを見上げてくる。
寝起きでまだ寝ぼけているのだろうか? そう思い再度口を開きかけたところで
「空くん」
先に彼女が口を開いた。
「何ですか?」
「ごめんね」
「え……」
一瞬何を言っているか分からなかった。しかしすぐに理解が及ぶとそこで改めて絶句した。
「ごめんね。空くん。迷惑ばかりかけて……ごめんね……」
繰り返し謝罪する彼女を唖然として見つめ返す。
何故彼女が俺に謝るのだろう?
何故俺は彼女に謝らせているのだろう?
彼女は何も悪くないのに。悪いのは俺なのに。
「謝らないでください。君は何も悪くありません。寧ろ悪いのは僕の方です。本当にすみませんでした」
彼女の手を握ったまま頭を下げる。
悪いのは俺だ。
だからそんな顔しないでくれ。謝らないでくれ。
自分の身体が微かに震えているのが分かった。震えは手から手へ、彼女へと伝わっていく。
そこで彼女の手に僅かに力が籠った。
「違うよ」
頭を上げると、彼女がゆっくりと首を振り微笑む。
「違う」
それから俺は彼女に謝り続けたが、彼女は首を振り微笑むだけでそれを認めなかった。
言うべきこと言いたいことは山程あるのにそれを上手く言葉にできている気がせず、全てが空虚に感じ、もどかしく、悔しかった。
自分が弱いことは分かっていた。けれどここまでだとは思わなかった。俺はこんなにも弱かったのか。
やがて言葉も尽き、ただただ俺は微かに震える手で彼女の手を握り続ける。
彼女はその手を握り返すとやわらかく微笑み、目を閉じるとやがて静かに寝息を立て始めた。
その後も俺は暫くの間、彼女の手を握っていた。




