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君はすごい人です


 門限が迫ってきたため、俺達は帰宅の途へついた。

 列車は次が終点駅であることもあって空いており、俺達はドア付近に並んで立った。

 車窓から見える景色が後ろへと流れていく。

 過ぎ去っていく建物の間に西日がチカッチカッと輝き、やがて景色が開けると夕暮れの空が広がった。西日に照らされる街はシルエットとなり、そのノスタルジックな光景が今日という一日が終わりに向かっていることを告げているようだ。

 俺の隣の東雲さんも差し込む西日に照らされながら、黙ってその景色を眺めている。

 先程から彼女は殆ど喋らない。

 それだけあの男との一件は彼女の心を抉ったのだろう。励ましはしたものの、どんな優しい言葉もどこか空虚で、あまり彼女のためになった様には感じなかった。

 そうして何も言葉を掛けてやれないまま、列車は減速していき、やがて駅に到着した。

 ホームへと降りた俺達は東雲さんの列車乗り換えのために別のホームへと移動する。幸い次の列車まではあまり待たなくて済みそうだ。

連絡路を通りホームへ降りるエレベーターを待っている際、不意に東雲さんが振り返り俺の袖を摘まんだ。

「もうちょっとだけ一緒にいたい……」

 驚きも戸惑いもなく、俺は無言で頷くと連絡路を引き返し改札を出た。いつものコンビニで飲み物を買いそれぞれ一口飲むと漸く一息ついた。


「空くん……ごめんね」


 ココアの缶を両手で持った東雲さんが俯き目を伏せる。


「何で君が謝るんですか? 君は何も悪くないでしょう?」

「それでもだよ。また迷惑かけちゃった」


 その言葉に彼女の心情を知る。


「迷惑だなんて思っていないです」

「空くんは優しいからそう言ってくれるけどさ、でも私がたくさんの人に迷惑かけちゃっているのは確かだよ。友達にも、パパやママにも……空くんにも」


 これまで彼女自身が迷惑をかけてしまったと感じたことは、罪の意識として消えずに彼女の中に蓄積されてしまっているのだろう。人のことを気遣える彼女だからこそ軽くは見れない。簡単には忘れられない。

 それはきっと大事なことだろう。ただし限度はある。


「それは仕方のないことです。君が気にすることじゃあない」


 彼女は悪くない。望んでこうなった訳ではないのだ。


「心ないことを言う人間は、まぁ、います。残念ながら。けれどそんな連中の声を一々真に受ける必要はないです」


 差別や侮辱に取り合うことはない。ましてやそれで無理に自分を変えたり、気に病む必要はない。


「人に迷惑かけて踏ん反り返っているなら話は別ですが、君はそういう人ではないのですから。だから堂々としていてください」


 未来に向かって歩んでいこうとしている彼女を障がい者というだけで邪魔することは許さない。あの男も、その他の人間も。そんな連中こそ『障害』ではないか。


「空くん……」


 その顔を見るに全ては納得できてはいないだろう。けれどそれでも彼女は微笑んだ。陰りのある笑みだ。日中に見せてくれた笑みとは似ても似つかない、不安を抱かせる笑み。


 無理して笑わないでくれ。


 そう思うもそれを口にすることはできなかった。それが正しいことか分からなかったから。

 俺は彼女の肩に手を置くと数回優しく叩いた。


「あの花火の日に君は言っていましたよね。彼と話すと」


 花火が上がる中、自分の気持ちを確認するように、自分に言い聞かせるように


「謝って、それで自分の想いをちゃんと話すと」


 そして宣言するように彼女は言っていた。


「ちゃんと言った通りにできましたね。」


 その瞬間、ふるっと彼女の肩が揺れる。


「辛くて悲しくても、逃げ出さずに、ちゃんと彼に向き合えましたね」


 彼女の震えが大きくなる。すんっと鼻を啜る音が雑踏の中に微かに聞こえた。


「よく、頑張りましたね」

「…………うん」


 震える微かな声は確かに俺の耳に届いた。

 俯き肩を震わす彼女の頭に手を乗せ、優しく撫でる。

 俺らしくない行為だ。こんなのは俺のガラじゃない。それを自覚しながらも俺は彼女の頭を撫で続けた。

 駅の改札前、大勢の人の目がある中ではあるが今は気にしない。今この時に限って俺は間違っていないと信じているから。


「君はすごい人です」


 俯き、肩を震わせながらも彼女は小さく頷いた。




 やがて次の列車が到着する時刻になり今日はお開きとなった。


「じゃあ帰るね。空くん。今日はありがとう! 楽しかった!」


 笑みを浮かべる東雲さんの顔は目元が若干赤くなっているものの、それでも先程よりはずっと良い顔に感じる。

 それにより俺の心もほんの僅かだが軽くなったように感じた。俺も大概単純だ。


「ええ、僕も楽しかったです」


 自分にしては素直に言うと、彼女は一瞬驚いたように目を丸くした。


「うん!」


 そしてすぐにパアッと笑みを浮かべた。


 明るい笑み。

 いつもの彼女の笑み。

 俺が見たい笑み。


 それが嬉しくて自然と口元が緩んだ。


「バイバイ! また明日ねー!」


 彼女は手を振ると窓口前から改札を通り、いつもと同様に再度こちらに振り返ると大きく手を振った。窓から差し込む西日が彼女を包み、どこか現実離れしたような幻想的な黄金色に輝かせ、同時に確かにこの世界に実在するのだと証明するように彼女の影を長く伸ばす。


 綺麗だな。


 そう自然と感じた。

 ブンブンと手を振る彼女にこちらも手を振り返す。すると


「またデートしようねー‼」


 彼女が人目もはばからずに大きな声を響かせたため思わず咽かえった。

 改札周辺の決して少なくない人々が何事かと俺達のことを見る。大多数の怪訝な目の中に僅かに生温かい目を感じ、いたたまれなくなった。

 集中する正負両方の奇異の目の居心地の悪さといったらない。

 俺が「やめろ、やめろ!」と身振り手振りで伝えると、彼女はしてやったりという笑みを浮かべる。そして西日に照らされ、多くの陰と影が行き来する雑踏の中へ消えていった。




 帰宅し、自室のベッドに倒れ込む。

 見慣れた天井を見つめながら考えるのは例のごとく東雲さんのこと。

 彼女は自分が周囲に迷惑をかけてしまっていると負い目に感じている。

 前に学校で聞いた陰口、今日のあの男の暴言、彼女に対する心ない言葉、悪意を目の当たりにした。きっと俺が知らないだけでもっと多くの悪感情に晒されているのだろう。

 それらのものが彼女を傷付け、更に彼女の抱える負い目をより大きなものにしてしまっている。

 そのような連中は無視してしまえばいいのだが、それが容易でないことは俺も身をもって理解している。

「気にするな」「君は悪くない」その言葉がどれだけ本心からのものであっても、当人はそれを簡単には受け取れない。真面目で誠実な人間なら尚更だ。頭では理解しても心が納得してくれない。そして探す必要のない自らの粗を探し、それを負い目として気に病んでしまう。

 一方で言葉を掛ける方もその言葉をどこか空虚に感じてしまう。

 実際俺の言葉が彼女のためになっている気がしない。どれだけ言葉を尽くそうともそれが本人に響かなければ意味がないのだ。

 では、他に何ができるのかと言えば何もないのが現実だ。

 善人がいる一方、確実に悪人がいるこの世界。

 そんな世界で生きていくことのなんと難しいことか。無視も住み分けも同じ社会で生きている限り徹底はほぼ不可能だ。

 だから心配になる。

 彼女はこの先どれだけの心ない言葉、理不尽に晒されていくのだろう?

 全てが未確定の未来。まだ見ぬ彼女の苦しみに不安を、そして憤りを感じた。

 けれどその一方で彼女なら大丈夫なのではないか、という根拠のない期待もある。

 俺なんかよりずっと強い彼女ならどんな悪意も跳ね返し、先を見据えて自らの歩みたい人生を歩んでいけるのではないかと、そんな漠然とした想いがあった。


 私……負けないよ


 あの日の言葉通りに彼女なら。

 そんな不安と期待を行ったり来たりしながら週末を過ごし、そして週明け。

 自宅のリビングで朝食のコーヒーを啜っていると、テーブルの上に置いていたスマホが震えた。その震えの長さからどうやら電話らしいと急ぎ手に取り、画面に表示された相手の名前を確認するとそこで眉を寄せた。すぐに電話に出る。


「もしもし?」

『ああ、空君? おはよう。今大丈夫かな?』


 聞こえてくるのは美術部顧問の在原先生の声だ。


「おはようございます。大丈夫ですよ。どうしたんですか?」


 先生からの電話など普段ないため不思議に思いながらカップに口を付けようとして


『東雲さんのことなんだけど』


 そこでカップを止めた。


『東雲さん、病院に運ばれたらしい』






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うるうるしてましたが…… 急ぎ続き読みます!
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