幸せのおすそわけ
「よかった……よかったよぉ……」
東雲さんが目にハンカチを当てる。
映画館の外、エレベーターへと続く静かな廊下に鼻を啜る音が響く。
「まさか、あんなに泣くとは……」
「だってぇ……」
振り返った彼女の瞳は赤く潤んでいる。けれどそこでハッとして慌てて前に向き直ると再度ハンカチを目に当て鼻を啜った。
映画は青春恋愛ものだった。
上映中から啜り泣くのが聞こえていたが、ラストシーンで決壊したらしく、少々大変だった。その後お手洗いで極々薄めに施されていた化粧を直し、今に至る。少しは落ち着いたようだが彼女の様子を見るに完全に落ち着くにはまだ暫くかかりそうだ。
「寧ろ空くんは何で平気なの?……あんまり面白くなかった?」
鼻をぐずつかせながらチラッとこちらを伺う彼女は少し不安そうだ。
「そんなことありません。面白かったですよ」
恋愛ものに興味がないため正直期待はしていなかったのだが、思いのほか面白かった。良い映画だったと思う。
「でも、全然泣いてないし」
「僕はそうそう涙なんて流さないんですよ。昔からね」
高校を卒業する際、周りの同級生がボロボロ泣いているのに内心引いていたくらいだ。たとえ感情は動いても泣くまでには至らない。それによって誤解されることもあるが、まぁ、どうでもいい。
「東雲さんは……言うまでもないようですね」
再びハンカチを当てる彼女を見て苦笑が漏れた。
彼女が楽しめたのなら何よりだ。
その後エレベーターに乗り、下の階へ向かった。
途中止まった階でエレベーター内が(主に車椅子によって)いっぱいだったため、見送ってくれる人がいた。二人揃って頭を下げると、構わないとばかりに手を振ってくれた。それには感謝しかなかった。
エレベーターを降りると飲食店フロアへ。予定通り昼食にしようと思ったのだが、昼時であるためどの店も大分混雑していた。入ろうと思った店が満席であるためすぐには入れず順番待ちの人が多くいたため、断念せざるをえなかった。
中には明らかにスペースに余裕があるにもかかわらず断られた店もあった。バリアフリー面の不備を理由にしていたが、店内を見る限り体のいい方便に感じる。腹が立ったものの、揉め事を起こしたくなかったため大人しく引き下がった。
「ごめん……空くん」
気落ちした様子の東雲さんがぼそりと呟いた。
「何で東雲さんが謝るんですか? 君は何も悪くないですよ。他を探しましょう」
彼女を励まし店を探す。が、休日なこともありどこも混雑していて入れる店はなかなか見つからない。
俺はともかく東雲さんはこれを『デート』だと思っている。ならばそれに相応しい店に連れていってあげたい。そのためファーストフード等は控える。綺麗な服を着ているためラーメン等の汁が飛びそうな店も控える。そうして候補を絞っていくとますます入れる店はなくなっていった。
そうして店を探しているうちにビルの外に出てしまった。この付近に良い店はあっただろうかと頭を悩ませていると、東雲さんが俺に振り向いた。
「空くん! 私あれが食べたい」
そうして彼女が指差したのはたこ焼きだった。ビルの入り口脇にある小さな店で、辺りにはたこ焼きの良い香りが漂っている。祭りを彷彿とさせる香りだ。
「たこ焼きが食べたいのですか?」
「うん。普段からよく食べるんだ。美味しいよね」
「確かに美味しいし、僕は構わないですけど……」
デートにたこ焼きってどうなのだろう? 正直相応しくはないように思う。高級店である必要はないと思うが、せめて落ち着いて食事できるところに。
「空くん、変な気遣ってるでしょ?」
「え……」
呆ける俺に「ふふっ」とどこか嬉しそうに笑う東雲さん。
「たこ焼きにしよ! ほら早く早く!」
グイグイと引っ張る彼女に負けてたこ焼きを買う。その際店のおじさんに仲良しカップルだと思われ一玉ずつおまけしてもらえた。
東雲さんは「えへへ、えへへ」と終始ニマニマしていた。
天気が良く比較的暖かいため外で食べることにし、話し合った結果、俺達は駅ビルの屋上へと向かった。
駅ビルの屋上は庭園の様になっており、草木や花が植えられ自然の彩りを感じられる空間だ。家族連れやカップルも多く、ゆっくり過ごすのに向いている。
ベンチを見つけて座ると早速たこ焼きを食べ始めた。
「ん~! 美味しい~!」
東雲さんははふはふと美味しそうに頬張った。かなり熱そうだがそれでも美味しそうというのが勝った。
その様を眺めているとそれに気付いた彼女が首を傾げる。
「ん? 何? 空くん」
「いや……美味しそうに食べるなって」
「だって美味しいもん。美味しいものを食べると自然と顔が緩むよ」
「そういうものですか」
自分も一口頬張り、その思っていた以上の熱さに目を見開く。冷ましながら食べるものであることを失念していた。はほはほと苦しむ俺を見て東雲さんがケラケラと笑った。
冷たい水で流し込み、美味しそうに食べる彼女を見てふと思う。
「写真とか撮らなくていいのですか? そういうのSNSとかに上げるのでは?」
話には聞くし、周りにもそういう人間は多くいた。俺は全く興味ないけれど。
「んー……けど冷めちゃうし。やっぱり出来立ての熱々を食べたいじゃん?」
「これならそんなにすぐには冷めないと思いますよ」
口の中を少し火傷した俺の確かな見解だ。
「そっか……じゃあ、空くん撮って?」
スマホを渡される。彼女がたこ焼きを頬張ろうとするところを写真に収めた。
「うわぁ……何か恥ずかしいね」
俺からスマホを受け取り画像を確認しながら彼女が笑った。
「空くんも撮ってあげようか?」
「いや、いいです」
「SNSに上げないの?」
「上げないですよ。SNS自体やっていないです。寧ろすると思います?」
「あははー確かに」
自分のことを世間に発信する必要性を感じないし、他人にも興味はない。繋がりも求めてはいない。
「大体何でSNSに上げるんですか?」
個人情報を何故自ら晒すのか? 実際それによるトラブルも多いと聞く。
「んー……幸せのおすそわけ?」
「疑問形じゃないですか……。何れにせよ興味ないですね。分ける必要もない。そんなもの見ず知らずの他人と共有なんてできないですよ」
「え? できるよ? 共有」
「東雲さんはできるのかもしれませんね。まぁ共有しようとする意志自体は否定しませんよ。ただ、本当に共有できているかは正直怪しいですね」
少なくとも俺にはできない、しようと思えない。誰かと何かを共有なんて。それができる程他人を信用していないから。知らない人間なら尚更だ。
「でも、空く———」
「冷めますよ?」
自分のたこ焼きをつつきながら彼女の物を指差す。
彼女が「わわっ、そうだった」と再びたこ焼きを食べ始めるのを横目に、自分もたこ焼きを口に入れた。




