選ばれし者
エレベーターを降りるとすぐに映画館の入り口が見えた。近づくにつれて徐々にキャラメルの香りが強くなってくる。
「この香り、映画館って感じだよね!」
そうウキウキしている彼女に頷き返した。確かに『これぞ映画館』といった香りだ。きっとこの香りに釣られて皆キャラメルポップコーンを買ってしまうのだろう。
俺は買わないけど。ブラックのコーヒーが飲みたい。
そんな甘い香りに誘われるように俺達は映画館の中へと入っていった。
館内は広く薄暗い。天井付近のモニターでは映画の予告映像が流れており、辺りにはより強くキャラメルの香りが漂っている。
土曜日にしては人が少なく静かだ。丁度上映中だからかもしれない。
彼女を待たせ、予約していた席のチケットを購入し、そのまま売店で飲み物を買う。
俺はアイスコーヒー、東雲さんはコーラそしてキャラメルポップコーンだ。
その購入の際、後ろにいた男二人の会話が耳に入った。
「あの子、メッチャ可愛くない?」
「ん?……おお、そうだな」
「すげータイプなんだけど」
横目で彼らの視線を追うと、その先に東雲さんがいた。分かっていたことだがやはり彼女は人の目を集めるらしい。
「けど……アレじゃな」
「な! 車椅子じゃなけりゃな」
「勿体ねー」
彼らは残念そうに漏らすと、何が可笑しいのかケラケラ笑った。
車椅子だったら何なんだよ?
彼らの声を不快に感じながら注文した品を受け取ると足早に東雲さんの下へと戻った。
それから少しして買い物を終えた男二人がこちらへと向く。そして俺と目が合い、ハッと表情を変えた。睨みつけてやると、二人は僅かに気まずそうな様子でそそくさと逃げていった。
「空くん?」
「何でもないです」
軽くはぐらかしそのまま話題を映画のことへと向けた。彼女に聞かせるようなことではない。
二人で話しながら待っていると、やがて開場を知らせるアナウンスが流れたため、俺達は人が集まり始めている入場口へと向かった。
「えっと……ここですね」
部屋の後方ブロック一列目。座席が並ぶ中にポッカリと空いたスペースがある。
車椅子専用席。
車椅子の観客が映画を観賞するための座席だ。座席と言っても座面等はなく、後ろの列とを仕切る手すりがあるくらいのスペースだ。そこに車椅子を止めてそのまま観賞することができる。
東雲さんの乗った車椅子を止め車輪をロックすると、そのすぐ隣の座席に腰を下ろした。
車椅子専用席がなかなか見やすい位置にあって良かった。劇場によっては最前列にあることもあり、人によっては観づらいとか。古いところではそもそも車椅子専用席自体がないらしい。
これまでこういう席があることは知っていたし、利用しているところを見たこともあるが、まさか
「まさか自分が利用することになるとは思わなかったよ」
東雲さんが苦笑いする。
「東雲さんはこの座席を利用したことのある貴重な存在ですね」
場を暗くしたくなくて俺にしては前向きなことを言うものの、直後、不謹慎だっただろうかと心配になった。けれど
「あははは! 選ばれし者だ!」
彼女は可笑しそうに笑うと俺の話に乗っかる。その表情に気分を害した様子はなく内心ホッとした。
「空くんは映画館ってよく来るの?」
「よくは来ないです。たまにですね」
「誰と?」
「誰とでもない。ひとりですね」
「え⁉ ひとりで映画って楽しい?」
「楽しいですよ? 映画観るのにひとりも大勢もないでしょ?」
映画はその内容を楽しむものだ。観る人数は関係ない。寧ろひとりがいい。誰にも邪魔されずひとりで物語に没頭し、観終わった後その余韻に浸りたい。
「うーん……そうかなぁ?」
けれど彼女はどこか納得しかねるようだ。
「そういう東雲さんは友達と来てそうですね」
「あ、うん! 部活のみんなとはよく来てたよ。最近はちょっと来れてなかったけどね」
彼女は静かに足をさする。
「だから今日、空くんと来れて嬉しいんだ―」
そう言って笑うとポップコーンを摘まみ口に入れた。
そういうことを恥ずかしげもなく言えてしまうところに少々の呆れ、そして照れを感じるが水は差さなかった。彼女が楽しめて満足できるならそれでいい。彼女にとって良い一日になればそれで。
やがて場内の照明が落ちていき、映画の予告が始まった。
俺は隣にいる彼女の息遣いを感じながら座席に深く身体を沈めた。




