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待ち望む日々


 驚き振り向くと、目の前に彼女の顔があり重ねて驚いた。慌てて少し身を引く。


「だから……そういうことはそんな軽々と———」


 そう言いかけてやめる。彼女の顔はとても冗談を言っているようには見えなかった。


「夏休みのときのデート、私のせいでダメになっちゃったじゃない? だからさ、あのときのやり直し。今度こそデートしよ?」

「いや……しかし……」


 あのときは確かに一緒に出掛けようとした。一時はそれを許した。しかしあのときと今とでは状況が明らかに違う。

 いくら慣れてきたとはいえ、車椅子で都内まで行くのはまだ早いのではないだろうか?

 何より、彼女の両親がそれを許さないだろう。付き添いが身内でもない人間、それも俺では。

 俺は未だあの事故の責任の一端は俺にあると思っている。彼女が否定し嫌がるため口にこそ出さないが、俺は自分自身のことを許してはいない。


「悪かったのは信号無視した相手と注意が足りなかった私自身。空くんは何も悪くない」


 まるでこちらの心を読んだかのように彼女が言う。

 反論しようとするも、そこで彼女の人差し指がこちらの唇に当てられそれを許さなかった。驚きに肩がビクッと揺れる。


「空くんは自分を許して」


 ぷうっと頬を膨らませながら真っ直ぐに見つめてくる彼女を戸惑いながら見つめ返していると、やがて彼女はゆっくり唇から指を放した。


「今回の事もあまり重く考えないでよ。都内までがだめなら近場でもいいんだ。空くんと二人で出掛けられるなら」


 最早『画材購入のための引率』という大義はなくなってしまった。もっとも彼女は初めから『デート』と明言していた訳だけれど。


「だめ……かな?」


 真剣な目で見つめてくる東雲さん。その表情には期待と不安両方の色が見て取れた。

 彼女のことを考えれば断るのが賢明だ。それが彼女のためであり、自分のためでもある。頭ではそうハッキリと理解している。それなのに即答できないのは何故だろうか?

 頭の中に『正気になれ。冷静に考えろ』という声が響く。けれどその一方でそれと相反する声も聞こえる。

 俺は暫し黙ってその頭の中の声を聞いていたが、やがて大きく息を吐くと彼女へと目を向けた。


「分かりました」

「え……」

「いいですよ」

「本当⁉」

「ええ」

「や、やった———」

「ただし!」


 喜びかける彼女を制す。


「親御さんに正直に話して許可を得ること。それができなかったら素直に諦めること。それが条件です」


 以前のもそうだが、幾ら年が近かろうが未成年の女子と出掛けようと言うのだから当然だ。それに加え今回は彼女の身体のこともある。彼女の両親の意見は絶対だ。


「分かった。パパとママにちゃんと言う」


 彼女は真面目な顔で素直に頷いた。


「あー! 空くんとのデート、楽しみだなぁ!」


 しかし次の瞬間その顔にニマニマと笑みを浮かべた。


「……話聞いていました? 許可が貰えたらですよ?」


 寧ろだめな確率の方が高い。


「分かってるよ。でも、絶対に説得してみせるから!」


 けれど彼女の表情は明るい。その瞳はあの強気な色を帯びている。


「知ってるでしょ? 私、すっごく諦めが悪いの!」


 そうどこか不敵な笑みを浮かべる彼女に俺は


「ええ……そうでしたね」


 諦めたように苦笑を漏らした。




 その後、東雲さんは本当に親御さんの説得をしてみせた。

 その旨をVサインで報告してきたときの彼女は実に良い顔をしていたと思う。

 出掛けるにあたって出された条件は三つ。


・近場であること。

・どこにいるか、逐一報告すること。

・十九時までには必ず帰宅すること。


 当然だろう。寧ろ甘いくらいだ。正直親同伴くらい普通に有り得るだろうとすら思っていた。そのことを彼女に言うと「そんなのデートじゃない!」と大変ご立腹だった。

 話し合いの結果、日取りは学年末テストが終わった後の休日に決まった。

 予定が一つ決まっただけで何か変化があった訳ではないため、日々を普通に過ごす。テスト期間中部活動はないのだが、雑用で俺は変わらず出勤だ。

 東雲さん達は勉強会をするとかで美術室に集まってテスト勉強をしていたのだが、彼女だけソワソワと明らかに落ち着かない様子だった。そして時折ニヤニヤと笑みを浮かべる。

「玲愛、何か良いことでもあったの?」と友人達に訊ねられても「えー? ヒミツー」と含みを持たせつつも答えることはなかった。

 すると皆すぐに俺のことを見て「空先生、何したのー?」とニヤニヤと笑みを浮かべながら囃し立てた。

 解せない。何故俺が関係あると思うのか?


「僕は何もしていませんよ」


 勿論とぼけた。

 誰も信じてくれなかった。

 解せない。


 東雲さんが嬉しそうにカウントダウンしながら過ごす日々は落ち着きなく、騒がしく、そして少し長く感じた。やがてカレンダーを見るのが癖になっている自分に気付き、どうやら楽しみにしているのは東雲さんだけではないことを理解し戸惑った。そしてそれを否定しようにもしきれない自分にも。

 ただその一方で迷いも勿論あった。今からでも取りやめた方がいいのではないかと何度も考え、悩んだ。けれど楽しみにしている彼女を見ていると、どうしてもそれを口にすることはできなかった。

 一日、また一日とゆっくりと日々は過ぎていき、学年末テストを迎え、そしてそれが終わるとついに俺達が待ち望んだ日がやってきた。






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