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時間は戻せないよね


 駅の改札まで来ると、彼女を待たせて窓口へ向かった。名を告げると勝手知っている駅員さんがすぐにそれを認めた。

 車椅子で電車を利用する際、乗車下車に介助が必要になる。そのため事前に駅に話を通しておくのだ。過去に駅のホームで実際にその場面を目にしたことがあったが、連れがとは言え自分がその立場になるとは思わなかった。

 列車が遅れていることを聞き、彼女の元へと戻った。


「列車遅れているみたいですね」

「うん。そうみたい」


 彼女の目の先、電光掲示板には『遅延』の文字が表示されている。


「ホームで待ちますか?」

「ううん、ここで待ちたい…………空くん、まだ時間大丈夫?」

「付き合いますよ」


 改札前のコンビニで飲み物を買い彼女に手渡した。


「ココアでいいんですよね?」

「うん! ありがと」


 彼女は礼を言いながら受け取り、財布を出そうとしたため、俺はそれを手で制した。

「何で?」という表情をする彼女。


「ご馳走してあげます」

「でも……悪いし」

「いいですから」


 無糖のコーヒーのプルタブを開け一口飲んだ。

 東雲さんは遠慮気味であったが、俺の気持ちが変わらないのを認めると「ありがと」と再度礼を言い、プルタブを開けると口を付けた。

 ほう……と吐き出された白い息にココアの温かさを感じる。

 帰宅ラッシュの時間帯のため改札前に人は多く、加えて遅延によりそれが滞留している。その雑多な空気に少し辟易した。


「車椅子だと通学も大変ですね」

「あはは、まぁね。でも少し慣れてきたよ」


 彼女は苦笑しながら車椅子を撫でた。


「親御さん、自動車で送り迎えしてくれるって言っているのでしょう?」

「うん。でも迷惑かけちゃうし。もうたくさん迷惑かけちゃってるからさ」


 そうして自嘲気味な笑みを浮かべる。

 彼女の家での様子を俺は詳しくは知らないが、以前と同じようにいかないことは多いだろう。手を借りなければいけないことはきっと多い。彼女の親御さんはそこら辺のことを気にしなさそうだが、彼女自身はその限りではないようだ。


「せめて自分でできることはしたいんだ」

「良い心がけですね」

「でしょ? もっと褒めてくれてもいいんだよ?」

「調子に乗るのはよくないですね」

「むうぅ……!」


 むくれる様がおかしくて、その頭をわしゃわしゃと撫でると、彼女は「ひゃああ!」と可笑しそうにはしゃいだ声を上げた。

「えへへ、えへへ」とニマニマしながら乱れた髪を直す彼女を横目に見ながらコーヒーを飲み、ふと気になっていたことを訊ねる。


「やりたいことがたくさんあるって言っていましたけど……他にどんなことがあるのですか?」


「うん……とねぇ……」と暫し考える彼女だったが「たくさんあり過ぎてまとめられないや」と笑った。


「羨ましい限りですね」


 それなら少なくとも退屈はしなさそうだ。


「あー……けど、あれはやりたいかな」

「あれ?」

「文化祭」


 文化祭は昨年夏休み明けに開催されたのだが、そのとき彼女は丁度入院していた。

 後になって当日に撮影した写真や動画を見ていた際、少し寂しそうな表情を浮かべていたのを覚えている。


「クラスの出し物に参加したかったし、友達がやっているバンドのステージも観たかった。それと美術部の作品展示も参加したかったな。みんなでお揃いのシャツ着て、きっと楽しかっただろうなって。そのために絵も描いていたし……発表できなかったのは残念。…………あと」


 東雲さんがこちらを見上げた。


「空くんと文化祭回りたかった」


 ピクリと肩が揺れた。何か言おうとするも妙な恥ずかしさ、そして彼女が浮かべる少し寂しそうな表情に言葉に詰まり口を噤んだ。

 そのままジッと見つめてくる彼女だったが、やがて「なんてね!」とお道化た調子で破顔した。


「流石に時間は戻せないよね」


 そう言う彼女の横顔はその笑みに反してやはり少し寂しそうで、俺の心をざわつかせた。


「だから来年まで我慢!」


 自分を納得させるように言うとまたココアに口を付け、コクリと喉が動く。ほあ……と吐いた白い息はすぐに霧散し消えてしまった。

 そこで駅員さんがやってきた。遅れていた列車がそろそろ到着するらしい。


「じゃあ、空くん、私もう行くね。話付き合ってくれてありがとう!」

「はい。気を付けて帰ってくださいね」

「うん! またね空くん」


 彼女は自ら車椅子を操り、窓口前から改札を通ると駅員さんを伴いホームの方へと向かっていく。が、そこで立ち止まると振り返り、いつものようにこちらに大きく手を振った。

 俺が手を振り返すと満足そうに微笑み、今度こそ行き交う人々の中へと消えていった。

 彼女が見えなくなると、俺はグイッとコーヒーを飲み干し、ゴミ箱に空き缶を捨てる。そして帰宅者で混雑する構内を自宅へと向かって歩き出した。




 風呂から上がりバスタオルで髪を拭きながらベッドに腰かける。水のペットボトルの蓋を開け喉に流し込むとベッドに倒れ込んだ。

 頭に浮かぶのはやはり東雲さんのこと。

 理不尽な目に合いながらも、心折れず、諦めず、前向きに進んで行こうとしている彼女。

 そんな彼女を改めてすごいと感じる。

 自分にはそれができなかった。

 画材が仕舞ってあるクローゼットに目をやり、すぐに逸らす。

 諦め心が折れると同時に筆を折った。それで新たな人生に踏み出すかと思えばそんなこともなく、そして未だに一歩も進めていない。

 自分にできないことをできる彼女を眩しく感じる。

 そんな彼女に対して俺は何がしてやれるだろう? 自分がなんて烏滸がましいことかもしれないが、それでも何かしてやれることはないだろうか? 義務感などではなく、ただただ俺が彼女に何かしてやりたいのだ。

 あの笑顔をもっと見たい。見ていたい。


 あー……けど、あれはやりたいかな


 文化祭


 不意に彼女の言葉が浮かんだ。反響する言葉を聞きながら天井を見つめ僅かに思案する。やがてベッドから起き上がると机の上のスマホを取った。

 彼女のために俺がしてやれるかもしれないこと。

 俺はスマホを操作すると耳に当てた。






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― 新着の感想 ―
何か動き出すのかな?(*^-^*)
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