デートの約束
帰りの電車で俺達に会話はなかった。
花火大会帰りの客で混雑する車内で、ふたり揃ってドア横に立ちぼおっと窓の外を眺めていた。
駅に着くと全員が降りる。列車は回送となり、ここから先は別の列車への乗り換えとなる。東雲さんの最寄り駅はここからまだ幾つか先だ。
列車の来るホームへ移動すると俺達は揃ってベンチへと腰を下ろした。
列車が来るまでの十数分、彼女をひとりで待たせる気にはなれなかった。そして彼女も何も言わなかった。
ホームの先端付近なため人はあまりいない。
ホームの先、駅周辺や線路上には照明や非常灯、信号機等数多の人工の光が輝いている。
イルミネーションのような魅せることを意図した人工の光は正直苦手なのだが、そういう意図のないこの人工の光は綺麗だと思えた。
そんな輝きをふたり並んで眺めながら温い風に髪を揺らしていると、やがて「空くん」と東雲さんが視線はそのままに口を開いた。
「私、本気で芸大美大受験してみようと思う」
「そうですか」
驚きはしなかった。彼女の意志は分かっていたのだから。
「パパとママも絶対に説得してみせる。私の本気伝えてみせる…………だからさ、もしそれができたら」
彼女がこちらへと振り向いた。真剣な表情の彼女が真っ直ぐに俺を見上げる。
「私とデートして?」
「…………はい?」
間の抜けた声が出た。何故それでデートすることになるのか?
「前に空くんが言ってた都内の大きな画材店連れて行ってよ。そこで受験に必要なもの教えて?」
「それは……」
ふたりきりで、ということなのだろう。
普通に考えれば答えはノーだ。地元の花火大会でさえ渋ったのだ。遠出となればなおさら、更にデートだというならより問題だ。
けれど
俺は暫し考えると自分のスマホを取り出し操作する。そしてそのまま彼女に差し出した。
「え……これって……」
彼女が目を見開く。
「僕の電話番号です。学外で会うなら必要でしょ?」
「でも、私まだ説得できてないよ?」
戸惑う彼女に俺は試すような笑みを向けた。
「絶対に説得するのでしょう?」
彼女がそう言うのだからそうなるだろう。彼女は諦めが悪いのだから。
東雲さんは一瞬ポカンと呆け、そしてすぐにパアッと満面の笑みを浮かべた。
「うん‼」
喜々とした笑みを浮かべながら自分のスマホを操作する。そして突然立ち上がると、そのままホームの更に先へと駆けていく。
何事かと見守っていると、やがて彼女が立ち止まり、同時にスマホに着信が入った。画面に表示されているのは知らない番号だ。
スマホを操作し耳に当てると『もしもし?』と声が聞こえた。
視線の先には数多の光をバックにスマホを耳に当てる東雲さんの姿。
「言い忘れていましたが……」
俺は小さく笑みを浮かべた。
「浴衣、似合っていますよ」
『直接言ってよぉ! あと遅い!』
二重に聞こえる彼女の声。
ジト目でぷくっと頬を膨らませた顔は、すぐに笑みで弾けた。
自宅のベッドに仰向けに寝転がりぼんやりと天井を眺める。
思い浮かぶのは東雲さんのこと。
花火に照らされた彼女の姿が、その表情が、言葉が忘れられない。
掲げたスマホの画面には新たに登録された番号、そして彼女の名前。それを暫し眺め、やがてスマホを閉じると立ち上がった。
部屋のクローゼット。
自分の過去を閉じ込めた扉。
あの日から一度も開けていない。もう二度と開けまいとすら思っていた。
俺はどうするべきなのだろう? どうしたいのだろう?
俺は手を伸ばし扉のノブに触れ、そしてすぐに放した。
夏休みの残りの日々は何事もなく過ぎていった。
部活動では文化祭に向けた作品制作が行われ、俺はその指導にあたった。合わせて東雲さんが予備校の夏期講習で描いた作品の講評を行う。
夏期講習は受験生のレベルや雰囲気を知ることができ、本人にとっては有意義だったようだ。
彼女の芸大美大受験の件は必死の説得の甲斐ありどうにかご両親に認めてもらえたらしい。
彼女は新学期から夏期講習を受けた都内の大手予備校に通う。
学校終わりに時間を掛けて都内まで通うのはなかなか大変だろう。それに今後は美術部に顔を出せる時間は大幅に減ることになるため、その分会える時間も減るだろう。
そのことに寂しさを感じ、そんな自分に驚く。
とは言え、全ては彼女の将来のため。俺は彼女を応援するだけだ。
約束していたふたりで出掛ける日取りも夜、電話で話し合い、夏休みの最終週に行くことに決まった。
その日を最大限に楽しむために宿題を終わらせようと頑張っているらしい。
「デート楽しみだね!」
「デートじゃないですよ。僕はただの引率です」
「そんなこと言って、本当は楽しみなくせに~」
「さて……どうでしょう?」
そんな風に返すも、否定しきれない自分に気付いていた。
楽しみなのだ、東雲さんと出掛けるのが。自分自身でも驚くことなのだがそういうことらしい。
柄にもなくソワソワと落ち着かず、それを周囲に、特に彼女には悟られないように気を付けなければならなかった。
そうして日々は過ぎていき、ついに当日を迎えた。
いつもの駅、待ち合わせの噴水前に着いたとき、まだ約束の時間まで二十分あった。
大分早く着いてしまった。どうやら俺は自分が思っている以上に今日を楽しみにしているらしい。
人付き合いなんて煩わしいだけだったはずの自分のこれまでと違う、そのらしくない様に驚き戸惑うものの、けれど不思議と嫌な気分ではない。
きっと彼女だからなのだろう。
俺は噴水の縁に腰かけ、時間の経過の異様な遅さを感じながらどこかソワソワと落ち着きなく彼女が来るのを待った。
ところが約束の時間になっても彼女は来ない。
普段時間を守る彼女には珍しいことだ。電車が遅れでもしているのだろうか? けれどそれなら連絡の一つでもありそうなものだが、未だそれもない。
何かあったのだろうか?
胸の内に不安を感じ始めた。
更に時間は過ぎ、こちらの連絡も繋がらない。時間の経過と共に彼女への発信履歴が増えていくにつれその不安はより大きくなっていった。
そして約束の時刻から大分過ぎ、いよいよ美術部顧問の在原先生経由で彼女の自宅に連絡してもらおうか考えていたとき、突然スマホに着信が入った。
東雲さん、ではない。知らない番号だ。それが余計に俺の不安を煽った。
スマホを操作し耳に当てる。
「もしもし?」
反応がない。何やらガヤガヤと雑音ばかりが聞こえる。
「……もしもし?」
訝しみながら再度声を掛けた。
『…………空先生?』
か細い声が聞こえた。誰だ? これは?
「はい、そうですよ。誰…………森川さんですか?」
何故彼女がこの番号を知っているのだろうか?
彼女の声色、雰囲気に嫌な予感が大きくなり、心臓の音がドッ、ドッと速くなっていく。
『空先生…………玲愛が……玲愛がぁっ!』
電話の向こうの彼女の震える声を俺はどこか遠くに、現実感を持てないまま聞いていた。
何故、俺の絵は俺から大切なものを奪っていくのだろう?
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