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回想 光が消えた日 6


 俺は何か間違っていただろうか?

 俺はただ自分の望む絵を描きたかっただけだ。楽しく描き続けたかっただけだ。それの何がいけなかったというのだろうか?

 ただ、事実として多くの人間に嫌われ、佐久間も大学をやめてしまった。俺が原因で才能ある彼の人生を台無しにしてしまった。それが現実だ。

 俺と俺の絵が人の人生を狂わせた。

 俺はこのままここにいていいのだろうか? 絵を描いていていいのだろうか? そう自問自答するも答えは出ず、ひとり悩みながら時間だけが過ぎていった。

 そんな中、俺は唐突に絵が描けなくなった。

 何も思い浮かばない。あんなにも沸き上がり溢れるようだった青空のイメージは、まるで夜の闇に閉ざされた様に黒一色に塗りつぶされてしまっている。

 筆を持っても一向に手をつけられず、画面は真っ白なまま。来る日も来る日も大学に来ては何も描けずに帰るだけ。真っ白な画面を見つめ続けるだけの日々。戸惑いと焦りが募っていく。


 楽しくない。


 心ここにあらずで注意散漫になり、バイトでも普段しないようなミスをし、周りに迷惑をかける。


 楽しくない。


 必死に貯めた金で学費を払い、けれどその大学でまともに絵も描けず時間を浪費ことに意味などあるのだろうか? そんな思いが何度も浮かぶ。けれどその一方で『自分には絵しかない』『諦めたくない』という思いもあり、相反する思いの板挟みで動けなくなっていた。

 相談しようにもそんな相手はおらず『ああ、自分は本当にひとりなんだ』といことを改めて実感する。

あんなに親しいと思っていた佐久間ですら内心俺を嫌悪していた。それを思うともう誰も信用できなかったのだ。

 自問し、葛藤し、嫌悪する。筆を握るも何も変わらず、焦りが募る。

 目の前には大きなキャンバス。真っ白な画面。

 何のイメージも沸かず、頭を抱え、歯軋りする。筆を持つ手は震え動かない。

 描かなければいけない。求めるものがある。俺にはこれしかないんだ。

 手を無理やり動かす。描くというより叩きつけるよう、殴りつけるよう。荒々しく筆を動かしていく。

 何を描いているのかも分からない。きっとこれではいけない。それでも止めることはできなかった。

 俺は描かなくてはいけない。その思いが強迫観念となり止まることを許さない。


 楽しくない。

 楽しくない。

 楽しくない。


 息を切らし、汗を流し、歯を食いしばって俺はがむしゃらに絵を描いた。




 ふと気づくと目の前には闇があった。

 生っぽい艶のある黒がぬらぬらと光っている。遅れてそれがキャンバスの画面だと気付いた。

 黒一色に塗りつぶされたキャンバスの大きな画面。

 俺は呆然としながら数歩後退り、そこで何かを踏みよろける。見ると辺り一面に筆や刷毛が転がっている。そのどれも黒い色がついており、散乱するペーパーパレットにはどれも黒い絵の具が広がっていた。


 これ……俺が?


 信じられず、身を硬くし


「いっ……⁉」


 鋭い痛みに自らの手を見た。握り込んだそれは中程より折れた筆。

 ささくれが手のひらに突き刺さっており、滲み出た血が手の甲を伝いポタポタと床へと流れ落ちている。

 しばしそれを他人事のように見つめ、やがて


「……はは」


 乾いた声が漏れた。再び絵に目を向ける。

 壁に掛かった真っ黒な絵。

 光のない、何もかもを吸い込んでしまう夜の闇のような絵。

 まるで今の俺の心のようだ。

 手から抜け落ちた折れた筆がカランと乾いた音を響かせ床に転がる。


 その日、俺の空から光が消えた。




 大学を辞めよう。

 そう思い至るのに迷うことはなかった。

 油研にその旨を伝えたところ教授と助手さん達に大慌てで止められることになる。そして散々話し合った結果、休学という形で落ち着いた。

 大学を去り、部屋を引き払い、地元へと帰ってきた。

 事情を聞いて何も反対することなく迎え入れてくれた両親には感謝しかなかった。そして申し訳なさも。俺のことを応援してくれていただけにその期待に応えられなかったのが悔しかった。

 絵は数枚を残し処分。画材等の道具は部屋のクローゼットの奥へと押し込んだ。あの日から一度もクローゼットは開けていない。


 昔から他人に共感ができなかった。

 愛想がなく、社交性もなく、友人もなく、特別な才もない。

 そして今や存在意義もない。

 ないないづくしの人生。

 残ったのはこの青空だけ。

 見上げる空は青く、高く、広く、透明で、果てなどなさそうにどこまでも続いている。変わることなくこの頭上に広がっている。

 けれど俺の中の空はあの日からずっと闇に包まれたままだ。

 光ひとつない、全てを飲み込み消し去ってしまうような暗闇。行先どころか自分が今どこにいるのかさえも分からない。

 見上げる青空を一羽の鳥が飛んでいる。

 大きな翼を羽ばたかせ、行先を見据え、風を切り、自由に飛ぶ鳥。その像が太陽に重なり、その眩しさに目が眩んだ。

 鳥は夜目がきかないため暗闇を飛ぶことはできないらしい。

 未だ日の昇らないあの想像の空を俺が再び飛ぶことは叶わない。夜の闇の中、翼が折れ、向かう先も見失い、冷たい地面でただひとり蹲るだけ。

 この空の先にあるかもしれない『何か』を知ることは今の俺にはもうできない。

 あの青空は遠く。日の昇る気配のない空は今も暗闇の中だ。






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― 新着の感想 ―
暗闇の中から色を見つけるのは確かに難しいですね(-_-;)
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