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回想 光が消えた日 2


 月日が流れ周りの人間が徐々に大学に顔を出さなくなってくる中、俺と佐久間の二人はアトリエで制作に没頭する。

 佐久間は所謂写実表現を得意としていた。ものすごく簡単に言うと本物そっくりなリアルな絵のことだ。

 彼の絵を見たとき俺は言葉を失った。圧倒されたのだ。そのリアリティーに。

 よく写実表現に対して誉め言葉として「写真みたい」と言うが、その言葉は適切ではない。洗練された写実表現は体感できるのだ。

 そこには手で触れられそうな量感と質感があり、空気を纏っており、光があり、音があり、匂いがあり、そして時間が流れている。

 彼の絵はまさにそういう絵だった。

 そう感じる者は俺だけではなかったようで、周りの人間も彼の絵を称賛し、時には他学部の人間までもが彼の絵を見に訪れるくらいだった。

『天才』などという者も少なくはなくなかったように思う。そういうとき彼は決まって「俺は天才なんかじゃないですよ」と苦笑いしていた。

 才能の有無、ましてや『天才』かどうかなんて俺には分からないが、少なくともあの絵は彼の努力の賜物だと思っている。彼が努力しているのを俺は間近で見ていたからだ。それを『天才』の一言で片づける連中を浅はかに感じたものだ。

 周囲の声などに惑わされず彼には彼の表現を貫いてほしいと、制作に集中する彼を見ながら思った。


 一方の俺は相変わらず空の絵を描いていた。

 ハッキリ言って俺の絵は全く評価されてはいなかった。

 佐久間の絵を見に来る者達は俺の絵には見向きもしない。たまに声を掛けられてもそれは佐久間のついででしかなかった。

 空というモチーフは絵としてはあまりにありふれていたのだろう。加えて写実的な表現であったため、佐久間の絵と比べた時どうしても見劣りしてしまうのも一要因だったのだと思う。

 特別珍しいテーマや表現ではなく、突出した技術や表現力がある訳でもない。そんな俺の絵はまさに空気だった。

 悔しかった。

 佐久間は勿論、周りの人間が各々評価を得ている中、俺だけが誰の心も動かせないことが。普段必死で作品作りしている俺よりも、遊んでいるだけに見える連中の方が評価されていることが。俺の絵があってもなくても同じものになってしまっていることが、悔しかった。

 俺は人付き合いが嫌いだ。

 誰とも関わりたくないし、ひとりでいたい。そのためなら俺のことなんていないものとして扱ってくれたって構わない。


 ただ、絵は。


 俺の絵だけは見てもらいたい。


 人に共感できず、散々周囲を拒絶してきたくせに共感を得たいだなんて虫のいい話だ。けれどそれでもそれが俺の紛れもない望みだった。


 俺はいいから、絵だけは。


 これまでの俺の人生の中で最も承認欲求に塗れていた時期だっただろう。常に満たされず、劣等感とやり場のない苛立ちを抱えながら描き続ける日々。

 苦しかった。

 それでも空を描くことをやめられなかったのはそれが俺の描きたかったものだからだ。誰に言われるでも決められるでもなく、自らが心から望んだもの。

 俺は俺の見る空で人の心を動かしたかった。

 称賛される佐久間を横目に、俺はひとり黙々と空の絵を描いていた。

 この頃の俺が描いていたのはもっぱら青空だ。

 高く広く透明で、どこまでも続いていて果てのないような青い空。


『この空の先に何かあるのだろうか? あったとしてそれは何だろうか?』


 そんな想いを馳せながら何度も見上げた青空。

 こうして描き続け求め続ければいつかその『何か』を見つけることができるのではないだろうか? そんな荒唐無稽な、人によっては無駄と捉えられることを信じ、俺は筆を振るった。

 所詮は自己満足。されど自己満足。この生きづらい世界を自らの意志をもって生きていくための、俺の指針であり目的地だ。

 空の果てを見据え、負の感情に纏わりつかれながら、想像の翼を大きく広げこの広大な青い空を藻掻き、羽ばたき、求め続けていた。


 大学二年目になると周りの生徒は更に減る。

 何らかの事情で大学をやめたり、必修の単位が取れず留年してしまったりとその中身は様々だが、大抵はただサボっているだけな気がする。

 そのくせ作品の講評のときだけは顔を出し、当たり障りのないそこそこの作品を提出して必要な単位だけは取っていくのだから要領が良いというか何と言うか。上手い生き方にも感じるが、高い学費に見合っているかは疑問だ。

 共有のアトリエはガラガラで俺と佐久間の二人だけなんて日もざらになっていった。

 この頃の佐久間は公募に作品を出品するようになっており、幾つかの公募で入選を果たしていた。本気で作家を目指している彼にとっては大事なことだろう。その実績は信用となり、新たな人との繋がり、そしてチャンスになるのだから。

 会場で見る彼の油彩画はやはり異彩を放っており一際目を引いた。正直、大賞の作品よりもよっぽど魅力的に感じたくらいだ。

 佐久間も大賞作品を評価しつつも悔しさはあるようで「次こそは大賞を取る」と息巻いていたが、毎度入選止まりだった。彼ほど上手い者でも容易に入賞できない。必ずしも上手い下手で決まらないところが絵の面白さであり、難しさだ。

 そしてまさに彼はその後者に悩んでいたようで、制作中彼の顔が辛そうに歪むのを何度も見た。

 絵を描くことは楽しいことだ。けれどそこに何らかの結果を求めると必ずしも楽しいことばかりではなくなる。他者の存在が不可欠になり、それが増えれば増える程喜びは増すが、同時に辛さも増してくる。楽しく自由に……では済まされなくなる。自己完結は許されない。

 そうして見るときっと俺は作家には向かないだろう。

 他人に興味がなく、繋がりを求めない。描く絵は自分が求めるもので、そこに他人の想いは一切反映させない。

 良く言えば自己表現、悪く言えば観賞者を置き去りにした独り善がりな表現。

 そんな人間が作家としてやっていけるとは思えない。

 将来について考えなければいけない。漠然とではあるがそう感じていた。



「なぁ、空も公募に出そうぜ」

 ある日、アトリエに来るなり佐久間はそう言ってパンフレットを見せてきた。

 それはとある一般企業が主催している公募の募集要項だった。平面作品の公募としてはかなり大きなもので全国から多くの作品が集まる。大賞は勿論、入選するだけで箔がつくと言われており、若手の内に一度は受賞しておきたいもの、らしい。

 俺ですらその存在を知るくらいに有名なものだ。

 俺は勿論断った。自信がなかったからだ。俺が出品したところで結果は目に見えている。

 けれどそれに佐久間は食い下がった。


「お前なら必ず良いところまでいけるからさ! 一緒に挑戦しようぜ」

「嫌ですよ。無駄です」

「何でだよ?」

「普段全く評価されていない僕が参加したところで仕方がないでしょう?」

「はぁ? 何言ってんだよ」


 佐久間は首を傾げた。


「評価はこれからつくものだろ? これから出品するんだから」

「それは……」

「それに、自分の作品、自分自身が評価してやらないで誰が評価してくれるんだよ」


 俺は言葉を失った。色々言いたいことはあったはずなのに何も口にできなくなってしまった。


「それに、俺は空の絵、良いと思ってるよ」


 そう言って笑みを見せた彼の顔は今でも忘れられない。

 その後、大分悩んだ末、俺は公募に出品することに決めた。

 自信がないのは変わらない。俺が選ばれる程甘くなんてないはずで、期待などまるでしてはいなかった。ただ


「自分が評価してやらないで……か」


 佐久間のその言葉は俺の心に残った。

 ただそれだけだ。


 俺は出品に向け新作に取り組んだ。

 大きな青空の絵だ。

 制作中、公募のこと等余計なことは極力考えないようにし、ただ自分が描きたいもの、美しいと感じるものを意識し、そして自分が探している『何か』を求め筆を振るった。

 作品が完成したのは搬入日ギリギリ。自分でも納得のできるものを描き上げた。


「久しぶりに楽しかったな……」


 アトリエの壁に立て掛けた絵を眺めながら満足感に笑みが漏れた。


 無事に出品が終わり、それから時が経ったある日の昼過ぎ、大学の食堂でひとり食事をしているとスマホに着信が入った。知らない番号だ。怪しく思いながらも電話に出る。そして


「……え」


 電話の相手の話を聞き、俺は呆けた声を漏らした。




本日は2回更新いたします。

続きは17時33分公開予定です。

お楽しみに。

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