花火大会 2
「少しは落ち着きましたか?」
隣の東雲さんへ目を向ける。
彼女は俯きながらも小さく頷いた。手にはペットボトルのココアが握られている。
あの後、彼女を放っておけないと思った俺は彼女を連れて駅ビルの中へ。ベンチに座らせるとココアを買って飲ませ、彼女が落ち着くのを待った。
彼女はやはり何も語らない。顔色が悪く、一方で目元が僅かに赤くなっておりそれが痛々しかった。
俺は急かすことはせず、話を促すこともせず、ただ黙って彼女に寄り添い続けた。
「ごめんね……空くん」
漸く彼女が口を開いたのはおよそ十五分程経った頃だった。
「いっぱい迷惑かけちゃった……」
落ち込んだように再び俯く。いつも元気で明るい彼女なだけにこういう姿はどうも落ち着かず、余計に心配になる。
「迷惑なんかじゃないですよ。気にしないでください」
「でも……」
「大丈夫です」
彼女が言いかけたのに言葉を被せる。
「東雲さんは自分のことだけ考えてください」
彼女は申し訳なさそうにしていたが、俺が微かに笑いかけると、やがて小さく頷いた。
普段は人の往来が多いこの場所であるが、今はあまり人がいない。花火の開始時刻が迫っているため、皆そちらへ行っているのだろう。俺達にとっては都合がいい。
近くのテナントから流れてくるBGMを聴き流しながらまた暫く隣り合って座っていると、やがて
「もう大丈夫。ありがと」
彼女は鼻をぐずつかせながら微かに笑みを浮かべた。そして手に持ったペットボトルに目を落としながら口を開く。
「空くん、聞いてくれる?」
俺が何も言わずただ頷くと、彼女はもう一度微笑み、そしてゆっくりと話し始めた。
友達と一緒に花火を見るために集合場所へ行くと、友達とは別にクラスの男子達もおり一緒に回ることになった。その中にはあの茶髪男子もいたらしい。
「正直ちょっと嫌だったけど、友達もいるし大丈夫かなって思ったんだ。それに一人だけ断るのもどうなんだろうって……」
所謂、同調圧力というやつだろう。こういうところでやはり人付き合いは面倒だと感じる。
「今、面倒そうって思ったでしょ?」
「よく分かりましたね」
「こういう時の空くんって分かりやすいよね」
彼女は僅かに笑うがすぐにそれを引っ込めた。
内心嫌々ながらも一緒に出店を巡っていると、いつの間にかあの茶髪男子と二人きりになっていた。少し休もうと彼に言われ近くにあった公園へと入り、友達に連絡しようとしていたところで、彼が唐突に俺のことを訊ねてきたらしい。
「空くんはあくまで講師だって言った。進路相談にのってもらったりで一緒にいることが多いんだって。本当のことだし。後のことは適当に流そうと思っていたんだよ。……けど」
そこで東雲さんの顔が歪んだ。
「あの人、空くんのこと悪く言い始めたんだ……」
『アイツは信用できない』『東雲はアイツに騙されているだけ』『アイツとはもう関わらない方がいい』そのような意味合いのことを言われたらしい。前に一度絡まれたこともあり、その様子は容易に想像できた。
「私、悔しくて……。空くんはすごい人なのに。空くんのこと何も知らない人が空くんを悪く言うのが許せなかった。もうその場に、彼といたくなくて友達を探しに行こうとしたんだ。そしたら」
東雲さんの身体がぶるりと震える。
「急に肩を掴まれて……そのまま柱に押し付けられた…………それで」
彼女は自分の腕を抱くとギュッと強く力を込めた。
「キス……されそうに、なった」
心臓を握られた様に感じた。一瞬、意識と身体が切り離されたように錯覚し、それに抗うように手足に力を込める。喉で「ん……」と小さく音がした。
「あ……してないよ? してないからね⁉ されそうになっただけ!」
そう必死に言い聞かせようとする彼女に、俺は「ああ……」と僅かに頷いた。自身を落ち着かせようと一つ深呼吸するが、上手くできている気がしない。
「『やめて!』て抵抗して思いっきり頬を叩いちゃった。彼もそこでハッとしたみたいで慌てて謝ってきたけど、私……怖くて。その場から逃げ出したんだ。たくさん人がいて、何度もぶつかって睨まれて。それでも謝りながら必死に逃げた。気付いたら駅にいて……そこで、空くんと会ったの」
話し終えた彼女は再び俯いた。
周りに人はいなくなっており、テナントのBGMもどこか虚しく響いている。彼女の手の中のペットボトルのペココ……という音がイヤに大きく聞こえた。
「大変でしたね」
言いながら自分自身に呆れる。こんな言葉しかかけてあげられないのかと、憤りを感じた。けれどそんな俺を他所に彼女は「うん……」と一つ頷く。
「大変だった」
鼻を啜り顔を歪める。
「怖かったですね」
「怖かった」
声が震える。
「無事で良かったです」
「……っ」
俯く彼女の背をぽんぽんと優しく叩く。触れることに躊躇いはなかった。これで糾弾されるならきっと世界の方がおかしい。
東雲さんは微かに身体を震わせながら小さく、けれど確かに頷いた。
いつも明朗な彼女だが、時には恐怖するし傷つくこともある。そんな当たり前のことを改めて実感した。
スマホを取り出し時刻を確認するとあと十五分程で花火が始まる頃合いだった。
「少し待っていてください」
彼女にそう断ると俺はベンチから立ち上がり、少し離れた所へ。スマホを操作し電話を掛ける。
「……はい……それで……はい…………はい、すみません……」
話を終え、彼女の下へと戻る。
「何の電話したの?」
彼女が首を傾げる。
「先約、キャンセルしました」
「え……」
「それどころじゃないですからね」
「そんな⁉……私のせいで」
彼女が立ち上がり顔を歪ませる。
今日はこんな顔ばかりだ。
「いいんですよ。ほら、行きましょう」
俺は再度彼女の背を優しく叩くと歩き出す。数歩歩いて振り返ると、彼女は未だ浮かない表情のままだが、それでもゆっくりとついて来た。それに微笑み、俺は改めて彼女を連れて歩き出した。




