彼女らしい
八月に入り夏休み真っただ中、美術部は今日も各々の作品制作をしている。
二学期になるとすぐに文化祭がある。美術部では例年通り作品の展示を行うつもりだ。そのため皆それぞれ自分のテーマで作品を作っている。
自分のイメージを元に絵を描く者もいれば、普段通り静物や石膏を描く者もおり、本当に様々だ。
文化祭へのモチベーションは高く、皆でお揃いのシャツを作り当日はそれを着るらしい。ちなみに俺の分もあるとか。こういうのは正直苦手なのだが、流石に着ない訳にはいかないだろう。
そもそも文化祭当日、部外者である俺が参加する必要があるのか訊ねたところ「え、当たり前でしょ?」と在原先生に即答された。そして文化祭へ向けての企画進行をほぼ丸投げされた。流石に細かい手続き等は先生がやってくれるが、都合よく使われている気がする。
そうして手の空いた先生は今美術準備室の片づけをしているようだ。
「こういうときでもないとできないから」というのが彼の弁である。
ただ進捗は芳しくない。物臭な先生の性格に加えて生徒達にちょっかいを出され今一つ集中できていないようだ。
「うわっ、何この筆⁉」
運び出されていた備品を物色していた生徒が声を上げた。その手には大きな保存瓶が抱えられており中には大小様々な筆が入っている。
「ん? ああ、それは美術部の卒業生の筆だよ。この部の伝統でね。部員は卒業時に使っていた筆を残していくんだ」
面倒くさそうに資料を仕分けていた先生は瓶を受け取り、表面のラベルを見ると「これは一昨年までのものだね」と呟いた。
確かにそんな伝統があったような気がする。瓶は一つではなく幾つかあり、準備室に保管されていたはずだ。
「へぇ、面白いね。あ! じゃあ空先生の筆もあるの?」
部員達が俺を見たため、俺は僅かに考えるふりをしてすぐにやめた。
「どうだったでしょうね? 忘れました。多分ないんじゃないですかね」
「そうなの?」
目を向けられた在原先生は「空君は……どうだったかねぇ」と瓶を見つめる。
「空君の言う通りないかもね。強制って訳でもなかったし。それに空君はこういった伝統とかに唾吐きかけるような子だったからねぇ」
酷い言われようだ。ただ、あながち間違ってもいないため何も言えない。
「流石に唾吐きかけるまではいきませんよ」
「じゃあ、今からでも貰える? 筆」
「え、嫌ですよ。面倒くさい」
「ほら、こういう子だからねぇ」
「うえっへへ」と笑う先生に、生徒達もケラケラと笑う。対して俺だけが苦々しく顔を歪め溜め息をついた。
その後も生徒達の話を聞き、先生のボヤキを流しながら作品制作の指導をし、夕刻になると部活動を終えた。
皆が部室を後にする中、俺は講評を頼まれたため居残っていた。相手は東雲さんだ。今週は講習会はないらしく部活に参加している。
講習会で描いたらしい木炭デッサンを数枚見ながら良い点、改善すべき点を伝えていく。
「予備校で講評はしてもらったんですよね? 何でわざわざ僕のところに持ってきたんですか?」
大きなカルトンを背負ってくるのも大変だろう。
「空くんに講評してもらいたかったの。私のこと一番分かってる空くんに」
「……なるほど」
反応しづらいことを言われてしまった。それだけ信用されているということだろうが、彼女のことを理解できているかは分からない。せいぜい数か月の付き合いだ。
木炭デッサンはモチーフこそ新鮮であるが、クオリティーはいつもとさほど変わらない。数日間で技術が大幅に上がる訳ではないため当然だ。いつもと異なる慣れない環境で描いたことを考えれば寧ろ立派なものだろう。
ただ、受験生の作品を間近で見れたのは大きな刺激になったようで
「みんなすごい! 特に浪人生の絵がメッチャ上手い!」
彼女は興奮気味に語った。
「高校生からしたらそうでしょうね」
後になって思えばそれ程でなくても、その当時は先輩達の作品はすごいものに見えるものだ。俺にも経験がある。
当時俺は受験生の絵に打ちのめされた。絵に自信を持っていた自分が実はたいしたことなかったということを思い知らされた。
「差がハッキリして落ち込んだりしていないですか?」
俺は多少落ち込んだ。腐りこそしなかったが大分しんどかった。けれどそれに対して彼女は
「してないよ」
そう即答した。迷いのない声だ。
「へぇ……」と思わず声が漏れる。
「まだまだ先があるって実感できてワクワクする。私ももっと上手くなるよ!」
「……君らしいですね」
「来週の講習会も頑張る!」
そう言って笑う彼女を『強い』と感じた。自分とは全く違うと。俺はあんな風には笑えない。笑えなかった。
記憶の中の自分が浮かび上がる。俯き座り込む自分。不甲斐ない自分。
俺は慌ててそれを振り払った。
「応援しています」
「うん!」
屈託のない笑顔に思わず目を逸らしてしまった。
「あ、そうそう。来週の日曜日の花火大会行けそう?」
絵を仕舞い終えた彼女が期待のこもった目を向けてくる。そのキラキラした目に一瞬たじろいだ。
「……すみません。その日は外せない用事ができてしまって……行けそうにありません」
嘘ではない。その日たまたま贔屓にしている画材店から手伝いを頼まれていた。
彼女との約束と手伝い。二つを天秤にかけ、俺は手伝いを選ぶことにした。
勿論悩んだ。仮とはいえ彼女との約束をそう易々と破っていいとは思わない。
それでも別の用事を選んだ。
理由は彼女、東雲玲愛と少し距離を取った方がいいと思ったからだ。
俺達の距離は講師と教え子にしては近すぎる。部活中の関りは極端に多く、下校や食事も共にするのが当たり前なのはやはりおかしいだろう。
彼女が俺に対して何らかの好意を持ってくれているのは分かっている。そこまで俺も鈍感ではない。
けれどそうであるならなおさら距離感を誤ってはならない。俺達にやましいことは何もないが、周りから見てどう感じるかは別の話だ。以前、在原先生も言っていたが俺たちは異様に仲良く見えるらしい。そして俺達の事を見ている者は意外といる。
万が一誤解を与えてしまい、大事になってしまったら辛い思いをするのは東雲さんだ。
俺は別にいい。勿論何事もないならその方がいいが、それでも俺だけならいい。けれど東雲さんが……自分の未来に向かって懸命に進んでいこうとしているこの子がその未来を閉ざされるなんて事があっては絶対にならない。それも俺が原因なんて絶対に許さない。
安易な行動をしてはいけない。花火大会なんてもってのほかだ。
それに、彼女には俺なんかよりもっと相応しい人がきっといるはずだ。
「そっかー……」
東雲さんはかなり残念そうであったが、意外とすんなりと納得した。もう少しごねるかと思っていただけに拍子抜けだった。
「他の皆と行ってきてください」
仲の良い友達となら俺などいなくても彼女はきっと楽しめるだろう。その方がよっぽど健全だ。
「屋台の食べ物の写真撮ってくるから」
「……そこは花火じゃないんですか?」




