約束(仮)
終業式が行われた。今日で一学期が終わり、明日から夏休みに入る。
休みの間も美術部の活動はあり、それに合わせて俺も出勤となる。平時と異なり毎日という訳ではないが全体の半分程の日数は予定されている。
「夏期講習中、空くんに会えないのやだなー」
隣を歩く東雲さんがむくれる。
今日の部活が終わり、いつも通り駅へ向かって歩いていたところ唐突に彼女がボヤいた。
彼女は夏休み中、予備校の講習会に参加するため、その間の部活動には出れない。
「僕は静かでいいですけどね」
「またまた~空くんも寂しいんでしょ?」
イタズラっぽい笑みを浮かべ、指で肩をつついてくる彼女を俺は無言で躱した。
「無視しないでよー!」
彼女が俺の肩を掴みガクガクと揺さぶってくる。頭が激しく揺れ、脳も揺れる。
やめてくれ、気持ち悪くなってくる。あと前を歩いている生徒の目が痛い。
「休み中ずっとって訳でもないでしょ?」
「それでも寂しいの!」
彼女が講習会に参加する期間は二週間。
通常はおよそ四週間で、受験生は原則全日程昼夜共に受講する。東雲さんは二年生であり、まだ芸大美大受験を正式には認められていないため、家族で話し合った結果今回はその半分の日数の受講にしたらしい。
「講習がないときは部活に来ればいいじゃないですか」
「それじゃ足りないよ! 空くん成分が!」
「……何ですか? その成分……」
「空くんからしか摂れないものだよ!」
「……効能は?」
「肌艶が良くなります」
「コラーゲンか何かですか?」
「あとテンションが通常の倍になります」
「じゃあ摂取しなければ普通になるってことですね。やっぱり会わない方がいいんじゃないですか? 静かで」
「だめーー!」
そしてまたガクガクと肩を揺さぶる東雲さん。
ああ、脳が揺れる。少し気持ち悪くなってきた。
「じゃあ連絡先教えてよ。そうすれば夜話できるし」
揺さぶるのをやめ、彼女が名案とばかりに目を輝かせた。
「嫌ですよ」
それを俺は迷うことなく断る。
「何で⁉」
「前に話した通りですよ」
これまでも彼女から連絡先を求められたことは何度かあったが、その度に断ってきた。
一つは人に連絡先を教えたくない俺の性分。
もう一つは教え子、それも未成年の子とのプライベートでの繋がりは避けるべきだと思ったからだ。
業務連絡や緊急連絡だけならまだしも、私的なやり通りはやはり良くないだろう。公私混同は望ましくない。
「じゃあ電話番号!」
「何がじゃあですか。何も譲歩していないでしょ、それ」
「いいじゃん。電話番号くらい」
「だめです。個人情報ですからね。東雲さんも気を付けないとですよ?」
SNS上で見ず知らずの人と繋がりその後事件へと発展するケースはいくらでもある。未成年の被害者も多い。人を信用することは大事なことなのだろうが、その一方で易々と信用しないのも大事なことだ。それが結果的に自分の身を守ることになる。
「空くんは見ず知らずの人じゃないよ?」
「それでもです。それに僕が本当はどんな人間かなんて分かりませんよ?」
他人のことなんて分からない。たとえ家族だって満足には理解することはできない。それ以外なら尚更だ。人を百パーセント信用なんてできないし、してはいけない。
「空くんは信用できる人だもん!」
「ありがとうございます。でも連絡先は教えません」
「むーーー!」
彼女がむくれるが、折れる気はない。これは彼女のためでもあるのだ。……俺が面倒というのも確かにあるが、それでもあくまで彼女のためだ。
それから暫し不満気な彼女だったが、やがて俯き「分かった……」と渋々ではあるが諦めた。けれどそこで再びパッと顔を上げ俺を真っ直ぐに見る。
「その代わり、八月中旬にある花火大会に一緒に行って! それで我慢する」
「……はい?」
彼女の唐突な申し出に思わず声が裏返った。
毎年八月中旬頃に隣町で花火大会が開催される。
有名な花火大会に比べるとその規模も知名度も小さなものであるけれど、それでも娯楽の少ないこの地方都市においては大イベントであり、近隣からかなりの人が集まって来る。
今年も例年通りに開催予定のようで、街中にポスターが貼ってあるのを見かける。
「それは美術部のみんなで行くってことですか?」
「違うよ。私と空くんの二人きりでだよ」
「ええ……」
「そんな嫌そうな顔しないで!」
彼女が頬を膨らませて俺の腕をペシペシと叩いてくる。
「嫌そうなんじゃなくて嫌なんですよ」
「もっとひどい! 何で⁉ そんなに私と花火行くのが嫌なの?」
「東雲さんと一緒なのが嫌な訳ではありません。誰であってもです。あとはただ単純に花火大会に行きたくないですよ。あの人ごみの中に入るのはどうもしんどいです」
それも夏場。纏わりつく熱気と湿度の中だ。時間帯が遅く、日差しこそないものの熱帯夜と言って過言ではないところに更に人ごみとなると正直笑えない。想像しただけで吐き気がする。
「それに当日、同じ学校の生徒も大勢来ますよね? その子達に一緒にいるところを見られて何て言うつもりですか?」
「勿論デートって言うよ!」
「それ絶対にだめですからね?」
腰に手をあて胸を張りドヤ顔を浮かべる彼女に溜め息をつく。
「僕は講師で東雲さんは生徒ですよ? その関係性分かっていますか?」
「でもウチの学校の教師じゃないじゃん」
「それはそうですけど、それでも講師」
「まだ大学生じゃん」
「……それもそうですけど、僕は年も上で君は未成ね」
「少ししか違わないじゃん」
「…………とにかくだめです」
「むーーー‼」
三度肩をガクガクと揺すられる。
いよいよ本格的に気持ち悪くなってきた。
けれどそれでも折れることはできない。学生同士、年の差も大きくはない。交際している訳ではなく、やましいことは何もない。そう過敏になることではないのかもしれない。けれどそれで何か問題が起こってからでは遅い。仮に何の落ち度もなかったとしても周りがそれを理解してくれるとは限らない。誤解を生むようなことは端からしない方が無難だ。
ガクガクと肩を揺すっていた彼女だったが、それは徐々に弱まっていきやがてその手を止めた。膨らんでいた頬は萎んでいき、そのまま俯いてしまう。
歩道の真ん中で立ち止まり向かい合う俺達二人を見て、帰宅中の生徒達が怪訝な表情を浮かべながら抜き去っていく。
俯く彼女の表情が見えない。
もっと優しく諭すべきだっただろうか? これでも大分気を遣ったつもりなのだが。こういうのはどうも上手くいかない。
「東雲さ———」
「みんな」
「え……」
心配になり声を掛けようとしたところで彼女の声が被さった。
上げた彼女の顔に浮かぶのは多分な不安、そして僅かな期待。
「美術部のみんなも一緒だったらいい? 空くんが引率でみんなで花火を見るってことならいいかな? 別に人の多い中心まで行かなくてもいい。離れたところで。屋台巡ったりするのが嫌ならどこかに座っててもいい。私買ってくるから。一緒に行って、花火を見てくれればそれ以上ワガママ言わない。それでも……だめ?」
真っ直ぐに向けられた瞳には俺の顔が映っており、ゆらゆらと揺れている。彼女の手が俺のシャツをキュッと僅かに握った。
俺は彼女の瞳を暫し見つめていたが、やがて一つ大きく溜め息をついた。
「当日何も用事がなくて、気が向いたら行きますよ」
我ながら甘い。
「……ホント?」
目を丸くした東雲さんが小さく声を漏らす。それに対して俺は僅かにけれど確かに頷いた。
「本当⁉ 絶対だよ⁉」
「ええ」
彼女は俺のシャツを握ったまま再び俯く。そのままふるふると身体を震わせ、そして
「やったーー‼ 空くんとデートだーー‼」
感情を爆発させるように歓喜の声を上げた。
「いや、まだ決まった訳じゃないですよ? 暇で気が向いたらですよ? それに皆来るんですよね?」
あとデートではない。俺は困惑しながらはしゃぐ彼女を諭す。
「空くんとデート、空くんとデート!」
「だから、まだ……」
「浴衣とか着てみようかな?」
聞いちゃいない。
こうして東雲さんと花火大会に行く約束(仮)をした。




