青空の昼食
季節は夏へと近づき暑い日が続くようになってきた。その日差し、気温湿度に辟易するが、これでまだ夏本番という訳ではないのだから笑えない。
今日は半日授業であるため昼過ぎから部活動がある。美術部も同様だ。
俺は早めに家を出るとコンビニで昼食を買い学校へと向かった。食堂前の自動販売機で飲み物も買いそのまま美術室に向かおうとしていたところで
「おーーい! 空くーーん!」
不意に名を呼ばれた。
見上げると高い位置にあるフェンスの上から体操着姿の東雲さんがブンブンと手を振っていた。
あの場所はプールだ。昨日の部活時に明日プールの掃除があると言っていたのを思い出す。
「乗り出すと危ないですよ」
そう注意すると彼女は素直にフェンスから降りた。
周りにはクラスメイトらしき女子がおり、そこから少し離れたところにあの男子もいる。
「あの人は?」
「空くん!」
「空くん?……ああ、あの人が」
漏れ聞こえてくる会話から察するに、東雲さんはクラスで俺のことを話しているらしい。話題にするほど面白くもないだろうに。余計なことを言っていないか心配になる。
そこでふとフェンス越しにあの男子がこちらをジッと見つめているのに気付いた。遠目であるためその表情までは分からない。
お互い目が合うと、彼はすぐに目を逸らし歩き去ってしまった。
「空くん、これからお昼? 部室?」
再び東雲さんが声をかけてきたため、そちらへと意識を戻した。
「そうですよ」
そしてそのまま踵を返す。
早く食事にしたい。そしてその時間はゆっくりと取りたい。
「掃除終わったら行くから待ってて!」
俺は何も答えることなく、後ろ手を振りながら美術室へと向かった。
「待っててねーー!」
後ろからもう一度彼女の大きな声が響いた。
扉を開くと青空が広がっていた。
その真下に立ち、己を解放するかのように腕を上げ大きく伸びをする。身体の筋がぐぐぐと伸び、肩や背中でパキパキと音がした。大きく息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出すと身体が弛緩していくのを感じた。
コンクリートの地面、取り囲むように立つフェンス、そしてその先に広がる空。
陽光に照らされ、風がゆるく髪を揺らす。
どれだけ時が経ってもここが一番落ち着く。
ここ校舎の屋上は在学時からの俺のお気に入りの場所だ。ここは空に一番近いから。
昨今の学校の屋上は開放されていない場合が多いだろうが、この学校も例外ではない。普段屋上へと出る扉は施錠されている。
そんな中、俺はその立ち入れないはずの屋上に頻繁に出入りしていた。顧問の在原先生が融通をきかせてくれたからだ。先生の手伝いをする代わりに鍵を貸してくれた。
勿論学校には秘密だ。今のところ一度もバレたことはない。
卒業しここの生徒ではなくなり取引は終わったが、今でも大目に見てもらっている。
フェンスへと近づきそこからの景色を眺める。眼下にはグラウンドが広がり、周囲を高いネットが囲んでいる。その先、学校の敷地外は田園風景。その中を高い鉄塔が幾つも連なり、遠く青白く霞む山々へとずっと続いていっている。
そして空は青く高く、際限なく広がっている。その青は俺自身もまるまる青く染めてくれそうだ。
もう一度空気をいっぱいに吸い込み、やはりゆっくりと吐いた。
自分がよりこの空の青に染まったかのように錯覚する。
やっぱり落ち着く。
俺はフェンスの前に腰を下ろした。
昔から空を見ることが多かった。こうしていると余計なことを考えずに済む。空を見上げながら何かを想像したり、想いを馳せたり、もしくは無心になったりするのは俺にとって大事な時間だ。
何も考えずに、夏を予感させる陽光と風に撫でられながら空を眺めていると、不意に背後で扉の開く音がした。
「やっぱりここにいたー‼」
振り返るとそこには東雲さんが立っていた。
驚きはない。来るだろうと思っていた。ここが俺のお気に入りの場所であることを彼女は知っているからだ。
彼女は頬を膨らませながら俺の前まで来た。
「部室って言ったじゃん!」
「気が変わったんですよ」
「むー……」
更に頬を膨らませジトッとした目を向けてくる。が、俺が未だ食事に手をつけていないことに気付くと一転パアッと笑顔になった。
「えへへ、えへへ」とニマニマしながら俺の隣に腰を下ろす。
「待っててくれたんだね。そんなに私とお昼食べたかったの?」
「待っててくれって言ったのはそっちですよ?」
「またまた~素直になればいいのに~」
「いただきます」
彼女の言葉を無視して手を合わせると袋からサンドウィッチを取り出し食べ始める。
「ああ! 待って待って!……いただきます!」
彼女も慌てて鞄から弁当の包みを取り出して広げると、手を合わせて食べ始めた。
可愛い弁当だ。
「……手作りですか?」
「あ、うん。そうだよ。料理得意なんだよね」
「自分で作っている? 親御さんに作ってもらっているのではなくて?」
「うん。ママ毎日仕事で朝早いんだ。だから自分で作ってるの」
「へぇ……」
素直に感心した。
朝早く起きて自分の弁当を用意するなんてなかなかの手間だと思う。それも毎日となれば尚更。
自分だったらまず無理だ。三日続くかも分からない。そんな早起きするくらいなら買ってしまった方がいい。
「どう? 私のお弁当。美味しそう?」
「可愛い弁当ですね」
「美味しそう?」
「……美味しそうです」
それだけの事で彼女は嬉しそうにする。それが妙にこそばゆくて
「美味しそうなのと美味しいのは別物ですけどね」
ついそんな余計なことを言ってしまう。
それに彼女は「むぅ……」とむくれた表情をしたが、すぐにニヤリと笑みを浮かべた。
「じゃあ、一口食べてみる?」
「……はい?」
間の抜けた声を出す俺の目の前に箸に挟まれた玉子焼きが差し出される。その箸は今しがた彼女が使っていたものだ。
「いや、いいです。遠慮しておきます」
そう断るも、彼女は構わず「ん! んーー!」と玉子焼きをずいっと差し出してくる。
逡巡すること少し、諦めた俺は箸に極力触れないように玉子焼きをくわえた。
塩コショウで味付けされた玉子の自然な旨味が口の中に広がる。
「どう?」
「……美味しいです」
俺の言葉に彼女は満面の笑みを浮かべた。そしてそのままもう一つの玉子焼きを自分の口の中に入れる。
「ん、美味しい」
言葉通りに美味しそうに頬を緩める彼女に思わずこちらの口元も僅かに緩む。
美味しそうに食べる姿は良いものだ。
周囲を小鳥が鳴きながら飛び交っている。
サンドウィッチのパンを少し千切りまくと、小鳥が数羽群がりパン屑を啄んだ。何て鳥だろうか? 鳥には詳しくない。
その光景を眺めていると、ふとその群れから離れたところにいる一羽の鳥が目についた。他の鳥よりも若干黒いその鳥は群れには加わらず、一羽で何もない地面をつついている。
「あの鳥、何だか空くんみたいだね」
同じく見ていたらしい東雲さんが指でさして可笑しそうに笑う。
ちょっと納得してしまったのが何だか無性に悔しい。
鳥の生態には詳しくないが、孤独体質な鳥もいるのだろうか? もしいるのであれば自由にすればいいと思う。必要以上に群れることもない。勿論生存できる限りではあるけれど。
そうしてその鳥を眺めていると、そこにもう一羽口にパン屑を咥えた小鳥がやって来た。
孤独体質な鳥が距離を取るとトットットッと近づき、また距離を取るとやはりトットットッと近づき追いかける。
「あの鳥は東雲さんみたいですね」
お返しとばかりに言い指をさす。
「あははは! そうかも」
しかし彼女は嬉しそうにするばかりで、俺は顔を歪めた。自分が小さい人間に感じる。そしてものすごく恥ずかしい。言わなければ良かったと後悔した。
やがて追いかけてきた鳥が口に咥えたパン屑を半分地面に落とすと、残りの半分を食べた。そして追われていた鳥は暫し躊躇うような様子であったが、やがて近づきその半分のパン屑を食べた。
「私達みたいだね!」
東雲さんはそう言うとその二羽を微笑ましそうに眺めた。
よくそんな恥ずかしい事を臆面もなく言えるものだ。どうもいたたまれず逸らそうとした俺の顔の前にミートボールが差し出された。
「空くんももう一口どう?」
笑顔でズイッと差し出してくる彼女を今度は手で制す。
「いや、本当にもういいですから」
顔を逸らし誤魔化すようにサンドウィッチを食べる。本当に居た堪れない。顔に妙な熱を感じる。
そして何が可笑しいのか彼女が「あははは」と笑うとその熱がより増すのを感じた。
やがてその二羽の鳥が揃って羽ばたいた。
それを目で追う。二羽が消えていく先には青空が際限なく広がっている。




