西瓜割り
僕は頼んだ炒飯が水浸しになったような顔をしたに違いない。
Fase1
もう厭だ――
僕、もう厭っすよ――
軍手を嵌めた両手がぶるぶる震えるので、鎌を落っことしそうになる。
握りの部分には保持力を効かせるために自転車用のグリップが無理矢理取り付けてあるので――ひどく間抜けな鎌に見える。
俺だって厭だよ、でも貰うもん貰っちまったんだ、今更帰れんだろうが――
物陰からライトであちこち照らしながら、桜木さんが怒鳴る。
ああ! 伊庭、右上、お前の右上――
桜木さんが言うが早いか――僕は右上の空間を――薙いだ。
どうすか――
ヘッドライトで照らされた桜木さんに目で問うと――
頼んだ炒飯がそこまで美味くなかったような――顔をしている。
いやどっちなんすか桜木さぁん!
マジで勘弁してくださいよ、僕は――
視えないんすからね――
僕は――泣きそうな声でそう叫んだ。
人気なんかもちろん無い廃墟のホテル。
荒れ果てたそのホテルの大広間は、僕たちの怒号で――やけに活気に満ちていた。
Fase2
もう厭なのだが――
僕がその風変わりなバイトを始めたのは、今年の夏からだ。
始めたと言っても、自主的にやり始めたのではない。
僕は今でも、あれは事故だったと思っている。
夏休みの――暇な夜だった。
動画サイトで心霊スポット探索の動画を見ていた僕は――
馬鹿な事を、思いついてしまった。
僕も行ってみようかな――
暇な高校生が直ぐに行ける心霊スポット等、そう都合良くあるわけ無いが――
ネットで調べると、冨塚トンネルという如何にもな場所がヒットした。
わりかし近い。
原付でそのトンネルの入り口まで行って、動画くらい撮影してみようかな。
何か写ってたら――意外とバズるかもしれない。
うひひ。
その時の僕を、今でも説教してやりたいと思う。
危ねえだろうがよ、そんなところに行ったら。
霊とかそんなんじゃなくて、事故や不審人物に遭うかもしれないでしょ。
全く、何を考えてるんですか貴方は高校生にもなって――
後半はキャラが変わってるが、とにかくそれくらい説教してやりたい。
トンネルには霊などいなかった――というか視えもなかったし、動画にも何も写っていなかった。
でも――
不審人物は、いた。
その人は、桜木さんと名乗った――
Fase3
もう厭なんだろ、解るよ――
だがな、伊庭、そのな――
擦ったぞ、と桜木さんは言った。
僕は頼んだ炒飯が水浸しになったような顔をしたに違いない。
ちゃんと視てくださいよ桜木さぁん!
半泣きで叫ぶ僕に、桜木さんはすまなさそうに、でも馬鹿みたいに大声で弁解した。
いやちゃんと視えてんだよ、ぐるぐる回ってるもん。
それにあれだ、擦ったっつってもあれだぞ、惜しかったぞ。
ビーンボールくらいだったぞ――
じゃ当たってねえじゃねえか桜木この野郎――
怒りにまかせて鎌を闇雲に振り回したくなるが――
桜木さん曰くそれをやると「散る」のだそうだ。
羽虫か何かか、霊というのは。
結果として――迎撃するしかない。
幸い今日は1類だけだが、2,3類になるともう駄目だ。
僕は足元の床が抜けないように、よろめきながら姿勢を低くした。
安物の安全靴がみしり、と音を立てる。
何だよもう――
何だよもう――関係ないだろ、僕は――
恨み言があるんならそいつんとこ行けよ――
そいつんとこ行けったらよぉ、と、思わず弱音を大声で叫ぶ。
だからお前が当ててやるんだろが。
大丈夫だよそういう鎌なんだから。
当てりゃこっちのもんだから。
な、当てりゃよかろうなんだから。
当たったらお前あれだぞ、俺たちもそいつも――
すげえ離れた所から桜木さんが鼓舞してくる。
正直五月蠅い。
恐怖で口数が増えているのだ。
桜木さんうるさ――
伊庭ぁ!正面――正面!
僕は――鎌を大きく振りかぶる。
目に力を込めて正面を凝視すると、微かに――
やっぱり何も視えねえよぉ、という僕の叫びと、振れえっ、という桜木さんの声と――
鎌を振り下ろすのは殆ど同時だった。
Fase4
もう厭です、割に合わねえす――
荒い息を吐きながら、僕はそう桜木さんに言った。
やっと物陰から這い出てきた桜木さんは、そんな僕にお構いなしにご機嫌だ。
やっぱすげえよ伊庭、お前才能あるよ――
まあ、この鎌使える時点で才能大アリだけどな。
あれだ、才能の玉手箱だからな――
もう、まるで僕の話を聞いていない。
自転車のグリップを取り付けた、珍妙な農具にしか見えない鎌を突き返しながら、僕は決然と言った。
もう僕、やりませんからねホント、こんなバイト、もう厭なんすよ、なんすか廃墟やらトンネルやらで鎌ぶん回すバイトて、僕はもっとこう、カフェとか本屋とかで女の子と一緒に働くようなんがいいんすよ、次は桜木さんがやればいいでしょ視えるんだから――
伊庭、お前すげえ早口だなあ――
桜木さんは呆れたようにそう言った。
いや俺もな、悪いと思ってるよ伊庭。
でも俺、視えるだけだからさ。
この農具みたいなの使えないんだもん。
いいじゃないか人助けにもなるんだからよお――
もともと天然パーマの桜木さんの髪が、汗ですごいことになっている。
この人も――怖かったのだろう。
少しだけ溜飲が下がった、と思ったのだが――
廃ホテルの外へ出ても桜木さんの喋りは止まらない。
おかげで良い動画も撮れたしな、一石二鳥だぜおい。
いいだろ伊庭、お前にも分け前はあるんだから。
うひひ。
こんなに向いているバイトは無いぜ。
それに伊庭はさ、カフェだの本屋だの似合わねえって、女の子と一緒にてお前――おまえ――
ばっふぅ、と噴き出す桜木さんをどつきたい気分ではあったが――
暗闇に聳える廃墟を振り仰ぐ。
人助けには――なったの、か――
でも――
僕が助かってねえっての――
僕は――改めて大きく溜め息を吐いた。
これは――
僕が高校生の時にやった不思議なバイトの話だ―
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