未練たらたら令息が新たな恋に落ちるまで
「好きなんだ。彼女を愛してる。
俺が彼女を1番愛してる!
それなのに、なんで………。あいつみたいに、不安にさせたり、泣かせたりしないのに」
学園の談話室。
向かい合って座る一組の男女。
短髪で顔立ちのはっきりした男は、グチグチと恨み節がとまらない。
お陰で剣で鍛え上げられた体躯も、見目も、魅力が半減している。
「はぁ………。そうなんですね。
でも、エドガー様の婚約者はそう思ってないから、別れたいと言ってるのでは?」
エドガーのループし続ける話を聞き続けていたメリアは、呆れた顔で小首をかしげた。
女性にしては短い、肩口で揃えられた黒とも藍色とも見える髪が、サラサラと揺れた。
「ぐっ!! 彼女はあの男に騙されてるんだ!!」
「確かに彼は、複数の女性を侍らせてる噂があるようですね。それだけ魅力的なんでしょう。
あなた以上に」
メリアの言葉が、エドガーの心に突き刺さった。
「うぅ゛っ………。
でも、俺の方が大切にできる自信があるのにっ」
「そうだとしても、それが相手に伝わってなければ仕方ありませんよ」
抑揚のない声と、無表情の顔のせいで、メリアの物言いは突き放すようだった。
けれど
「エドガー様。
彼女に再びアタックするも良し。きっぱり諦めるも良し。道は他にもあります。
ここで管を巻いたり、周りを心配させる道もありますが、私はお勧めしたくありません」
その真剣な瞳はまっすぐ、エドガーに向けられていた。
エドガーはこの時、メリアの紫水晶の瞳に映る、情けない顔をした自分に気づいた。
「………そうか、そうだな。
十分嘆いたし、もう嘆くのは辞めだ」
肩の荷が下りたのか、ずっと曇っていたエドガーの顔に、僅かだが笑みがこぼれた。
「エドガー様のご友人がそれを聞いたら、喜ばれるでしょうね」
「あぁ。俺を心配して、メリア嬢に引き合わせてくれた友人達に感謝しないとな」
エドガーは友人たちの顔を思い浮かべ、目を細めた。
今日の場はエドガーの友人達が、彼の為に設けたものだった。
初めエドガーは、メリアと会うことに気乗りしなかった。同じ3年生とはいえ、これまで接点がなかったからだ。
しかし、噂は聞いていた。
魔力が強く、冷静。
メリアと話をすると、心が落ち着き、自身も冷静になれると。
噂が真実であるとエドガーは今日、身を以て知った。
本当に同じ18歳なのかと思いながら、もっと早く知り合いたかったとすら感じていた。
「………決めた。彼女と話し合えるよう動くよ。
ちゃんと、伝わるように」
エドガーの言葉にメリアは頷き、席を立った。
「それでは私はこれで。
エドガー様が幸せな道に進めますように」
顔はもう見えなかったが、エドガーはメリアが残した祈りの言葉が、とても柔らかく聞こえた。
ここ最近、否定して、否定されてばかりだった自分を、許してもらえた気がしたのだ。
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メリアはもうエドガーなら、大丈夫だと思っていた。
エドガーと婚約者のアンは同い年で、ともに伯爵家。伯爵令嬢の彼女がエドガーを捨て、年下の男爵令息を選ぶなんて良識に関わる行動を、そもそも本気でとるわけがないと考えていたのだ。
しかし、事態は更に慌ただしくなった。
エドガーは未だ婚約者に、惨めったらしく愛を請うているとか。
アンの方は完全にエドガーを拒否しているとか。
エドガーと噂の1年の男爵令息が、アンを取り合っているとか。
エドガーとの話し合いから数週間後。
メリアはエドガーに、アンとの話し合いの場に同席して欲しいと言われた。
「メリア嬢がいれば、彼女も話を聞いてくれる気がして………。お願いだ」
メリアにとってそれは、多々あることだったので問題なかった。
それよりも、エドガーの顔色が良くないのが気になった。
エドガーによると、アンは全く聞く耳を持たず、話すら聞いてもらえない状況らしい。
埒が明かないので、今日が最後という約束で、やっとこの席を設けられたのだとか。
アンの現在愛する男付きで。
部屋にはアンと、可愛らしい顔をした、まだ幼さすら感じさせる男がひっつくように座っていた。
男がメリアに微笑んだ。
薄い好意のようなものを感じ、メリアはこれが女性を惑わせているのかと、合点がいった。
「早く婚約解消して。
いつまでも付き纏われると、迷惑なの」
2人が席についた瞬間から、アンはエドガーに攻撃的だった。
「ちょっと待ってくれ。俺は」
メリアが手を制して、エドガーの話を遮った。
「付き纏いをやめるですね。
他にもエドガー様にして欲しいことはありますか?」
「あなたが未だに私に付き纏うせいで、私が二股をしているふしだらな女と噂されてしまうし、
あなたが未練がましく諦めが悪いせいで、まるで私のほうが悪者のように」
「すみません。
アン様がお怒りと悲しみだというのは分かります。しかし、今は彼にして欲しいことです。
付き纏いをやめる以外、ありますか?」
このままでは、アンの恨み言が止まらないと思ったメリアは、要点だけを求めた。
「もう金輪際、私に関わらず、話しかけないで欲しいわ」
アンはエドガーを睨みつけながら言った。
「分かりました。
今日だけは、彼の話を聞いていただけますか?」
「本当は嫌だけど、その為の場だし、それで今後関わらないでくれるなら、良いわ」
それを聞いて、エドガーは気まずそうにまた口を開いた。
「俺は………君にそんな男、似合わないと思う」
一言、エドガーがそう言った瞬間、アンは烈火のごとく怒り始めた。
「どうしてそんなこと、おっしゃるの!?
私は彼を愛してるし、彼だって私のことが好きなのに。私のことが好きだからって、彼との仲を引き裂くことばかりして、あなたって」
「申し訳ありません。
まだ、話の続きがあるようなので、エドガー様の言葉を最後まで聞いていただけないでしょうか?」
メリアが2人の間に入り、アンを宥めた。
不服そうだがアンが黙ったので、メリアは頷いて、エドガーに話の続きを促した。
「その男は君以外にも、女を侍らしている。
君以外の女にも愛を囁いている。
そんな男と一緒になって、君は幸せか?」
「私は彼が好きなの! 彼だって私が好きなの!
彼はモテるから確かに、色んな女性が勘違いするけど、私が1番だってちゃんと言ってくれてるわっ!
そりゃ………、別の女が彼にひっついていると、不安に思うけど………仕方ないじゃない。
彼のことが好きだから、それくらい我慢しないと………仕方ないじゃない」
アンの声は徐々に頼りなくなっていき、仕方ないと言いつつ、迷いがあるようだった。
「アン様が悲しむのは、本当に仕方ないことなのでしょうか。
少なくとも、私の隣りにいる彼は、あなたにそんな思いをして欲しくないそうですよ」
「だから、彼と別れろって? 騙されないわ。
単に私達の仲を引き裂きたいだけでしょう?」
また、アンの目つきが鋭くなり、それはメリアにも向けられた。
「いいえ………。誰と付き合うか、付き合わないか。決められるのはアン様だけです。
私達にできるのはせいぜい、アン様の決めた選択が、アン様にとって良いものであるようにと願うことくらいです」
その言葉に、怒りで上がっていたアンの肩の力が少し抜けたようだった。
「エドガー様。アン様にその男は相応しくないと伝え終わりました。他に伝えたいことはありますか?」
「………その男に質問がしたい」
そう言われ、メリアは意外に思った。てっきり、アンに対する愛の告白がくると思っていたからだ。
「宜しいでしょうか?」
「僕は構わないよ」
アンが激昂しても、男が気にしている様子は全くなかった。今も顔に薄ら笑いを浮かべている。
「彼女以外にも、愛する女がいるか?」
エドガーの声は、普段のものよりも低かった。
「うーん、どうかな。
愛してると言われることはあるけど」
「彼女のことは愛してるか? 女性の中で1番?」
「そうだなぁ。好きだけど、愛と言われるとなぁ」
飄々と答える男。
アンと男の間に、気持ちの温度差があるのは明らかだった。
「そっ、そんなっ!!
愛してると、私が1番だと仰ってくださいましたよね!」
「だって、そう言えば、君が嬉しそうにするから。そう言った方がいいと思って」
「そんなっ………」
悪気なくそう言ってのけた男に、アンの顔色は悪くなった。
「アン様、他の女性。好きだけれど、愛かどうかは分からないし、そこに順番はない。
そういう事で宜しいでしょうか?」
「うーん、そういうことになるのかなぁ」
まるで他人事のようにはっきりしない様子の男に、エドガーの顔が険しくなっていく。
「みんな良いと思うし、それぞれと仲良くしたいかな。………今は君に惹かれてる。
君とも仲良くなりたいなぁ」
男の左手がメリアに伸びた。
「やめてっ!!
彼に色目を使ってたのね! 卑怯な女!!」
「やめろ! 彼女に触るな!」
2人は怒鳴り、エドガーが男の手を払い除けた。
その時。メリアはしっかりと、男の手首に光るものを見た。
「待ってください」
メリアが男の手をとった。
「なんで………。君も、その男のことが」
エドガーの言葉は、男に釘付けになっているメリアに届いていなかった。
「どうしたの?」
男が甘い声と顔で、メリアを覗き込むように見る。
「このブレスレット。素敵ですね」
「あぁ、ありがとう」
男の手首につけられた、薄桃色の珠が連なったブレスレット。
「よく、見せていただけませんか」
「いや………大切なものだから、それはしたくないな」
「外すことができないのですか?
したくないのですか?」
「うーん………外したくないかな」
いきなり始まった2人のやり取りに、アンもエドガーも見守るしかない。
「もし、私が触れて壊すのが心配なのであれば、机の上に置いて頂くだけでも結構です」
「えー………外したくないんだけど。
………まぁ、誰も触れないなら」
男は渋々と言った様子で、気が重そうにゆっくりブレスレットを外した。
その瞬間。
「「あれ?」」
アンと男が同じ言葉を発した。
「もう一度伺います。
このブレスレット、見ても宜しいですか?」
「うん……。
大切な物のはずだけど………。どうぞ」
先ほどと違う返答にエドガーは驚いた。
メリアがブレスレットを手に取り、様々な角度から見たり、触ったりしている間。
アンと男は、ひっついていたのを離れ、気まずそうにしている。
「このブレスレット。魅了魔法がかかっています」
メリアがため息を漏らすように告げた。
「はっ!? まさか!!
人の心に干渉する魔法は高度で危険なもの。何百年も前になくなったはず………」
エドガーは驚いて、メリアの手にあるブレスレットを凝視した。
「呪文は消えても、こうやって魔法を付加した品は時々残ってるんです。
とても珍しいですが………」
「そんなっ………。それじゃあ………2人は………」
「魅了魔法に干渉されていたと思います。
どうですか? お2人とも」
メリアの問いかけに、アンと男は毒気を抜かれたような顔になっていた。
「………さっきより落ち着いています」
小さな声でアンが答えた。
メリアは男にブレスレットの事情を聞いた。
男は学園入学前に、男爵家に引き取られ、ブレスレットを家の宝物庫で見つけたという。
「見た瞬間、付けなきゃって思ったんだ。
平民だった僕は、特に高貴な女性が苦手で怖かったのに………。なんであんな行動がとれたんだろう」
ブレスレットを付けていた記憶を思い出したのか、男はガタガタと震えだした。
メリアとエドガーは顔を見合わせた。
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ブレスレットはメリアから、城で魔道具管理の職に就いている父に渡り。王宮で、何人もの魔法師、国王立ち会いのもと、壊されたそうだ。
あのブレスレットは、素質のあるものしか使えない品物だった。
男爵家の男はその素質があり、ブレスレットに呼ばれ、魅入られてしまったのだろう。
男爵家はこのブレスレットの存在を知らなかったとし、大きなお咎めはなかった。
アン以外にもいた男にぞっこんだった女性たちは、目が覚めたようだ。しかし、男は複数の女性たちから未だ追われている。女性が苦手なところが、可愛くてたまらないのだそうだ。
あのブレスレットは本来、好意を抱かれやすくする程度のものだった。だから、見逃され、今世まで残っていたのだろう。
けれど、そもそも魅力が高い彼が使ったことで、本来より強い力が発揮されたのではないかと、メリアは推察している。
「良かったですね。アン様が婚約解消したいと言ったのは、魅了魔法のせいだったと分かって。彼女の意思ではなかったんですから」
エドガーに礼がしたいと言われ、メリアはエドガーの屋敷のテラスでお茶を振る舞われていた。
「そう………だな」
浮かれない顔のエドガーから、メリアはそっと目をそらした。
「これで元通りですね」
暫くの沈黙の後、エドガーは重そうに口を開いた。
「………俺は、アン嬢が婚約解消したいと言い出したのは、魅了魔法のせいだけではないと思ってる」
「………どうしてそう思われるんです?」
「大半の女性は浮足立つ程度で、恋人や婚約者を捨てるほど彼にのめり込んだ女性は、一部だったからだ」
「………個人差の範囲では?」
「そうかもしれない。
でも、思ったんだ。
彼に特にのめり込んだ女性たちは、元々彼に惚れてたんじゃないかって」
メリアの瞳が無意識に瞠目した。
「仮にそうだとしても、魅了魔法で気持ちが倍増されてしまっただけでしょう。
それに、アン様が彼に惚れているのを承知で、目を覚まさせたかったのでは?」
「あぁ………。
アン嬢は彼に騙されていると思って、目を覚ましてやりたかった。
けど彼女は、ブレスレットの有無関係なく、彼女の意志で、彼に惚れていた。
そのことが今回の件で、よく理解できたんだ」
「それでも………
1番アン様のことを愛しているのはエドガー様なのでしょう?」
メリアは、アンを1番愛しているのは自分だと言っていたエドガーを思い出し、心が痛んだ。
「………。昔から知っているアン嬢が、悲しむのを避けたかったのは本当だ。
でも俺も、婚約者じゃない彼女を愛してないことに気づいたんだ」
エドガーは視線を下にさげ
「俺が大切に、愛したかったのは婚約者っていう存在で。アン嬢、本人じゃなかったんだ」
そう言い「俺もちゃんと、彼女と向き合えてなかったってことだな」と、付け足した。
メリアが少し眉を寄せ、心配そうにエドガーを見た。
「安心してくれ。あの後、落ち着いたアン嬢と話し合えたから。
結論は、そもそも関係がきちんと築けていたら、こんな事になっていない、だった。
彼女に言われたよ。婚約者として上手くやっていけると思ってた。でも、自分の気持ちを蔑ろにしてしまったから、事件は起きたって。
2度と繰り返さない為に、別れたほうが良い。
2人でそう思ったから、両親たちにも説明して、婚約は解消した」
メリアは野暮だろうかと思いながら聞いた。
「………良かったのですか?」
「アン嬢は可愛い顔立ちの男が好みらしいからな。俺とは真逆だ。こればっかりは、どうしようもない!」
エドガーは大きな体が揺さぶりながら、道化のように大げさに笑った。
「それに俺も、気づいたんだ。
婚約者だからじゃない、君だから愛しいんだと言える相手が良い。
幸せな道に進めますようにと、俺に言ってくれた人のお陰で、自分がそう思ってることに気づけたんだ。
それで、その優しい言葉をくれた彼女に恋をした」
「えっ?」
「メリア嬢、俺は君に惚れている。
………迷惑だろうか?」
メリアは困惑した。エドガーはアンと元に戻ると思っていたから。
「私は………。
エドガー様は一途で素敵な方だと思います。
ですが、今はきっと、恋に一区切り打てたことで、救われたという気持ちと恋を、勘違いしてるのだと思います」
予防線を張った。
メリアは知られたくなかった。
一途に想われているアンを、羨しいと思っていたことも。
エドガーの失恋に、本当はつけ込みたいと思っている自分の浅ましさも。
「確かに俺は、問題を解決してくれたメリア嬢に感謝している。
それに何度も君の前で、アン嬢を愛してると嘆いたものな。
勘違いしてると言われても、仕方がないか………」
納得したかと思われたエドガーだが、ガタッと立ち上がると、メリアの手を掴み、自身の胸へあてた。
「なっ!?」
「分かるか?
メリア嬢のお陰で、落ち着いたはずの鼓動が。
今は君を前にするだけで、こんなにも激しく脈打っている。
メリア嬢が彼の手を取った時。とてつもなく嫉妬した。
俺だって君に触れられたかったから。
キスをしたい。独占したい。メリア嬢の瞳に映るのは俺だけが良い。そう思っている。
これが恋じゃないとでも?」
エドガーの瞳には、正しく燃え盛る熱が宿っていて、メリアはたじろいだ。
「俺が未練がましいのは、よく知ってるはず。
これから、俺に追われる覚悟をしてくれ。
俺はしつこいから、何年もきっと追い続けるぞ。
幸い、メリア嬢は一途な男が嫌いじゃないみたいだからな」
エドガーが少し意地悪そうに、片方の口角だけ上げ「さっそく、口説かせてくれ」と笑った。
「メリア嬢の冷静で、人のために祈ってくれるほど思いやりのある性格が好きだ。
澄ました顔も好きだが、取り乱した顔も、とても魅力的だろうな。ぜひ、俺だけに見せて欲しい。
頬を染められ、頬を染め上げてしまいたい相手に出会えて………本当に俺は幸せだ」
そしてエドガーはメリアに顔を寄せ
「俺を救って、突き落として、鼓動を壊した責任。
必ずとって貰うぞ」
耳にキスするように囁いた。
エドガーはメリアからそっと離れたあと、なおも表情が読めないメリアを見て、その頬を撫でながら、寂しそうに笑った。
その時、屋敷の中から、エドガーの名を呼ぶ声がした。
「君を捕まえれるよう、せいぜい頑張るから。
俺以外には簡単に奪われないでくれ」
今度はエドガーが祈るような言葉を残し、屋敷に入って行った。
メリアはエドガーの姿が見えなくなると、全身の力が抜け、うつむき、体を縮こませた。
熱くなった耳と、早くなった鼓動を抑えるために。
ー完ー