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【ツェルクの町-1】値切りの天才

 翌朝の出発は早かった。

 

 ティーナが半分寝ぼけている間に、イェルドは諸々の支度と手続き、買い出しからソリの手配までやってのける。

 あまりにもおんぶに抱っこな状況に、報酬の増加を提案したけれど、鼻で笑われてしまった。


「はなっからその分も計算して取ってる」


 そういうものか、と頷いておいたけれど、イェルドだって生活に余裕があるわけではないだろうに。まともな依頼が入らないと、この間言っていたばかりだ。


 それでもやはりイェルドは凄腕だった。ソリで移動しては途中の村や小屋に宿泊し、夜が明けたらまた移動、を繰り返し、雪道にも飽きてきた頃、次の町、ツェルクへと辿り着いた。


 ここまで5日。残りは8日。


 町の広場に足を踏み入れたとき、ティーナは思わず足を止めた。

 町についた時刻が早かったせいか、露台が広場のあちらこちらに立ち並び、客引きの声がひっきりなしに響いている。赤い雪除けの布で覆われた露台の中には、物が焼ける良い匂いがふわりと立ち上っているものまであった。


「……おい」


 ティーナがまるで光に吸い寄せられる虫のように露台から露台を歩き回っていたとき、痺れを切らしてイェルドが声を上げた。


「落ち着け。ガキか」

「ちっこくもちびでもありません」

「そうは言ってねえだろうが。で、何だ」


 イェルドが溜め息をついた。


「何が食いたい」

「え、買って良いのですか!」

「割高だが食いたいんだろ? お前の金だ、好きにしろ」

「それなら」


 そこまで言って、ティーナは言葉を途切れさせた。

 そこかしこから食欲をそそる匂いが漂ってくる。甘い匂いも、ぴりりとした香辛料の匂いも、嗅ぎ慣れない塩の匂いも。時折、生臭いような匂いも。


 全部、気になる。


 そう言ったらイェルドに呆れられるのはわかっていたから、素直に聞くことにした。


「どれが美味しいですか?」

「は?」

「イェルド様のおすすめが聞きたいです」


 イェルドの視線がさっと広場を巡った。

 やがて、イェルドが無言で一つの露台を指差す。頷いたティーナは、胸元から革袋を引っ張り出すと店へ向かった。


「へいらっしゃい! いくつ買ってくかい?」

「ええと、ひとつで」

「銅貨3枚だよ!」

「イェルド様」


 言われる前に、イェルドを見上げた。


「これは相場通りですか?」


 イェルドが店主を見つめた。たらり、と店主の額から汗が垂れる。

 ティーナは、店主へと話しかけた。

 

「素直に売ってくださいます?」

「……銅貨一枚っす」

「ありがとうございます」


 ティーナは店主からそれを受け取って、イェルドに向かって胸を張った。


「わたし、成長したでしょう?」

「ああ。だがそれの相場は半銅貨一枚だ」

「……」

「良い勉強代だろう?」


 教えてくださいよ、とぼやいた後、ティーナは受け取った料理へと目を落とした。

 薄くこんがりと焼かれたパイのようだった。中にはたっぷりと肉や野菜が入っていて、程よい焼き目がつけられている。

 一口齧って、飛び上がった。


「熱いです!」

「そりゃそうだ」

「初めてなんですよ。いつも毒味のせいで冷めていたので」

「……」


 イェルドが視線を逸らした。

 ふうふうと冷まして、慎重に口に入れれば、素朴な甘みと肉の旨みが口中に広がる。鼻の奥にまで上ってくるチーズの香りに、思わず頬が緩んだ。


「美味しい……さすがイェルド様です」

「そうか」


 そっけないイェルドの様子が気に掛かって、じっとその顔を見上げた。

 しかしイェルドの方は、ティーナに興味なさげに広場の方を見つめている。だが思い返せば、最初はそうだった。


 ぺろりと平らげ、少々品がないと思いつつ指先に残った塩まで舐めとったあと、ティーナは立ち上がった。


「少し出かけます。イェルド様はついてこないでください」

「は? 護衛だぞ」

「野暮用です」

「どこでそんな言葉覚えた」


 イェルドを尻目に、立ち上がって露台の一つへと向かう。

 まだ食べたいのか、という顔をされたのは不本意だったけれど。値切り交渉は学んだのだから、今度こそ、イェルドの助けなしに適切な値段で買ってみせる。


 手に入れたものを片手にイェルドの元へ戻れば、イェルドは退屈そうに腕を組んで壁に寄りかかっていた。

 そこに、買ってきたものを差し出す。


「は?」


 同じような薄い生地に包まれた料理だが、中身は全く違う。

 干された果物がぎっしりとつまり、木の実や貴重な砂糖も使われている。ずっと感じていた甘い匂いの正体は、どうやらこれのようだった。


「差し上げます」


 イェルドは言葉も出ないという様子だ。

 ティーナは首を傾げた。読みが違っただろうか。


「ずっと見つめていたので……甘いもの、お好きかと思ったのですが」

「……」


 イェルドは答えない。

 

「余計な、お世話でしたか」

「いや」


 しばらく言葉を探すように目を閉じていたイェルドだったが、噛んで含めるようにティーナへと言う。


「あんたは雇い主で、俺に金を払ってる。俺は空気だと思ってればいいんだ」

「空気ではないです。いろいろ教えてくださいますし、あ、このお菓子もきちんと半銅貨一枚で買えましたから!」


 イェルドが目を見開いた。

 毒気を抜かれたように苦笑を溢して、ティーナの手からそれを受け取る。


「あんたは値切りの天才だな」

「え?」

「そいつの相場は銅貨2枚だ」

「あら」


 笑いが漏れた。


「悪いことをしましたね」

「商売ってのはそういうもんだ」


 イェルドが菓子を握る手に力を込めた。半分に割った片方を、ティーナへと差し出す。


「食え」

「わたしはイェルド様に買ってきたのですが」

「あんたの読みは正解だ。これは美味い」


 だから、とイェルドは言って、強引にティーナの手の中にそれを押し込む。


「あんたも食ったほうがいい」

「それなら、遠慮なくいただきます」


 齧り付いた菓子は、優しい甘さがした。思わず笑みが漏れる。

 イェルドが口を開いた。


「明日からはソリが使えなくなる。歩くぞ」

「え、そうなのです?」

「知らなかったのか。だから13日もかかるんだ、距離は大したことねえ」


 本当に甘いものが好きなのだろう。あっという間に菓子を平らげたイェルドは、指先で北を示す。


「ここは最北端のでかい町だ。こっから北は村はあるが、向かう人間はほぼいない。通りを整備する人間がいないから、ソリも使えない。それだけの話だ」

「わたし、歩けるでしょうか」

「背負わねえぞ」

「期待していたのですが」

「残念だったな」


 ティーナが丹念に指先に残った砂糖を舐めとっていると、上から笑い声が降ってきた。


「あんたでもそういうことすんのか」

「お兄様に見られたら怒られますね」

「そりゃ大変だ。次に会うときまでに癖直しとけよ」

「……そうですね」


 ティーナは笑った。

 やや苦しい微笑みになっていないか心配だったけれど、イェルドは気づいた様子もなく言葉を続ける。


「まあ歩けなくても気にすんな。急ぐ旅でもないんだろ?」

「ええ。ですが日程が増えるとイェルド様への給金も増えます」

「そりゃ願ったり叶ったりだ。遠回りでもするか」

「それも悪くはないですね」


 驚いたような目がティーナを見下ろしたけれど、ティーナが一番驚いていると思う。

 早いほうが良いと思っていた。この旅を長引かせるなど、考えもしなかった。

 今までは。


「なんて、冗談だ。お守りはもう十分だ」

「わたしはちっこくも、ちびでも、ガキでもありません」

「だからそこまで言ってないだろうが」

 

 イェルドが呆れたように笑った。


「しっかし、ユギラは遠いし寒いぞ。よっぽどの用事なんだな」


 それはきっと、イェルドからすれば世間話の続きだった。


「……野暮用です」

「またそれか」


 イェルドは何を見るとでもなく露台を見つめている。

 その姿を目に入れないように、ティーナは俯いた。


 イェルドも話しすぎたと思ったのか、口を閉じる。

 隣に並んで立っているのに、間に2人を隔てる帷が降りているような気がした。


 仕事に、私情は持ち込まない。

 イェルドはそう言った。イェルドはその信念に則ってティーナに踏み込まないようにしているし、ティーナもあまり踏み込まれても困る。

 雇用主と、雇われた護衛。それ以上でも、以下でもない。


 次第に激しくなっていく雪の中、ティーナはぼんやりと立ち尽くしていた。

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