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【ランデルの町-1】常識知らず

「戻れ。はしゃぐな」

「わかりました」


 びゅう、と景色が通り過ぎていく。どうにかイェルドの誤解を解くことにも成功し、出発して最初に目に飛び込んできたのは一面の銀世界だった。

 雪を被った畝に落ちる影は青く、真っ白な山は鋭く猛々しい姿を晒している。深い緑に覆われた木々や、すっかりと葉を落とした枝が、風に揺れていた。


 雪は強く日差しを照り返していて、目はちかちかしてくるけれど、時折雪うさぎが顔を出したり、見慣れない植物が生えていたりするのだから見落とせない。

 

 一度は素直にソリの中に身体を戻したティーナだったが、次第に前のめりになっていく。


 その姿を見たイェルドは、ひとつ、溜め息をついた。

 ぐっと襟首を掴んで、今にも落ちそうな小柄な身体を引き戻す。


「レディはもっと壊れものに触れるように扱うべきだと、」

「お兄様が言ってた、だろ。ほら落ち着け」


 ティーナは唇を尖らせると、大人しくソリの中に収まった。

 そんな二人の姿を、犬に繋がれた綱を握る青年がにこにこと見つめる。犬の首につけられた鈴が、りん、と軽やかな音を立てた。


「仲がいいんっすね!」

「どこが」

「そうでしょう?」


 青年は正反対の反応を返され、ぱち、と目を瞬かせた。

 気の良い青年は、少しばかりのお金で次の街までソリに乗せていくことを引き受けてくれた。聞けば、北の村から野菜を売りにきた帰りなのだという。


「お二人はどういう関係で? ……もしや」

「護衛として雇われてる」

「そっすか」


 ちぃ、と青年が声を漏らす。

 

「にしてもお嬢さん、」

「ティーナで良いです」

「ティーナさん。えらい美人さんっすね」

「あら、お上手ですね」


 ティーナは笑って返す。褒められたらこうすれば良いと、お兄様が教えてくれたのだ。

 青年はぽりぽりと頬をかいて、道の先へと視線を戻す。

 後ろから、イェルドの視線を感じた。 


「なんでしょう?」

「慣れてんな」

「そうでしょうか? 実は父と兄以外の殿方と話したことは数えるほどしかないのです」

「は?」


 イェルドが呆気に取られた顔をした。

 青年に聞かれないように声を低めて、かくかくしかじか、と説明する。


「わたしは幼い頃から神殿で育てられたのですが、神殿は男子禁制でした」

「そうか」

「ですので殿方のことは、イェルド様が教えてください」

「……おい」


 じろり、と冷たい目を向けられて、戸惑った。

 古い木のソリの座面に座り直したティーナは、ことんと首を傾げる。


「どうしました?」

「それ二度と人前で言うんじゃねえぞ」

「……? わかりました」


 ティーナは素直に頷く。教えられたことはきちんと吸収する主義だ。

 そんな話をしている間にも、ソリは順調に進んでいき。

 日が傾く頃には、目的地だった町――ランデルへとたどり着いた。


「お世話になりました」


 微笑んで外套を摘もうとする手を、イェルドが押さえる。


 出発したマーセンの町よりも王都から離れているせいか、人通りは少なかった。誰も彼もが分厚い外套に身を包み、雪を避けるように俯いて歩いている。

 今日は特に冷え込む。露台もほとんどが店仕舞いをしていた。


「やめろ。あんたは二度と外套を触るな」

「どうやって着替えれば良いのです?」

「喧嘩売ってんのか?」


 イェルドは、きょとんとしたティーナの表情を見て溜め息をついた。


「あんたは常識がなさすぎる」

「イェルド様が教えてくださるのでしょう?」

「あー、わかったから。とりあえず宿を取るぞ」


 一歩歩くたび、足元できゅ、と雪がなった。よく踏み固められていて、足を取られるようなことはない。

 種々の色や風合いの木で作られた家は、どれも急な屋根を持っている。薪がたっぷりと仕舞われた小さな小屋もあちこちにあった。薄く開けられた窓から、煮炊きの煙が立ち上っている。

 雪が音を吸い込んでいるかのような、静かな町だった。


「静かですね」


 思ったままのことを言う。しかしイェルドは、何度目かもわからない溜め息をついた。


「これでも賑やかな方だ」


 イェルドが一軒の家の前で足を止めた。

 大きな煙突が屋根の上に鎮座し、そこから煙が空へと吹き上がっている。よく見れば、扉の横に木でできた看板がかかっていた。


「ここが宿屋だ。町に大体二種類ある。裕福な方と、そうでない方だ」

「ここはどちらなのです?」

「どっちだと思う?」

「後者、でしょうか」

「前者だ」


 イェルドが扉を押し開いて、中へ入っていく。ティーナはその後ろ姿を追いかけようとして、迫ってきた扉を慌てて両手で受け止めた。

 てっきり押さえていてくれるものかと思っていた。


 ティーナの様子を気にすることもなく、イェルドは奥へと進んでいく。


「部屋を取りたい。二つだ」

「二つぅ?」


 中は人でごった返していた。部屋の壁に大きな暖炉が取り付けられており、それを取り囲むようにして人々が思い思いにくつろいでいる。

 木のコップを持っている者も多かった。むせかえるような酒気が漂っていて、ティーナは思わず口元を押さえる。お酒はあまり得意ではない。


 イェルドはそのうちの一人に話しかけていた。どうやら彼が、この宿屋の管理人らしい。


「まあいいけどよ」


 ちらりと管理人の視線を感じた。ティーナは外套を摘もうとして、止める。

 代わりに微笑みを浮かべて見せた。


「……いいのか、一緒じゃなくて。今なら部屋が一つしかなかったってことにしてやるぞ」


 声を潜めているつもりのようだが、しっかり聞こえている。

 イェルドは首を振った。


「雇用主だ。あんたが期待するような関係じゃねえ」

「それでもよくある話だろう。なんせ、長い旅で二人きりの若い男女だ」

「俺は、仕事に私情は持ち込まない主義だ」


 はいはい堅いねえ、と店主が笑った。

 そのまま二つの鍵を受け取ったイェルドは、ティーナに向かって手招きする。人混みを掻き分け、小走りになってイェルドの元へ向かえば、鍵のうちの一つが渡された。


「好きに使え。部屋は上だ」

「イェルド様はどうされるのです?」

「俺は少しここで情報を集める」

「情報?」


 ほんっとに、とイェルドが呟いた。その口調に若干の苛立ちを感じた。


「すみません」

「違う。悪い、苛立ってた」

「何かありました?」

「ああ」


 生返事だった。けれどその目は、口よりもずっと雄弁だった。

 ふっと投げられたイェルドの視線は、集まっている男の中のひとりに向いていた。


「お知り合いですか?」

「雇用主が、雇った駒の事情まで詮索すんのか?」

「それもそうですね。失礼いたしました」


 イェルドは面食らったように顔を引いた。


「聞かねぇのか?」

「え、イェルド様が話されたくないと思いましたので。違いました?」

「違くはないが、」


 そこで言葉を切ったイェルドが、ゆっくりと息をついた。


「ほんとに、なんというか、俺たちは違ぇんだな」

「そうですか?」


 ティーナは首を傾けた。さらりと髪が揺れて、肩を滑る。

 確かにイェルドは下町に馴染んでいて、ティーナとは育った環境から何から全く違う。

 それでもティーナは、出会った時からイェルドを好ましく思っていた。だから、違うと強調するイェルドが不思議だった。


「ああ。あんたは素直で、汚れてない」

「汚れて、ない……」


 神殿にいたころは、いずれ巨人(マーグ)に捧げられる身として、毎日身を清めるように言われていたけれど、イェルドが言わんとしていることはそれではない、というのはわかる。


「ああ。気をつけろよ」


 何に、とイェルドは言わなかった。

 しかし、それを問えるような雰囲気ではない。イェルドの視線は、先ほどの男から離れなかった。

 ただならぬ空気を感じ取ったティーナは、大人しく部屋に上がることにする。


「ええ。それではお先に失礼します」

「……ああ」


 ティーナの声が聞こえているかはわからなかったけれど、とりあえずイェルドが頷いたのを確認したティーナは、上の階へ続いているという階段へと足をかけた。

 一歩上るごとに、ぎし、と木の音がなる。手すりなどというものはない。落ちないように慎重に、壁に指を沿わせながら上がれば、2階にたどり着いた時には指先が埃と煤で真っ黒になっていた。


 手を洗いたいけれど、洗えるような場所もない。

 与えられた部屋にたどり着いたティーナは、ぎしりと音を立てる寝台に腰掛けた。少しばかりはしたないが、座れる場所がそこしかないので仕方がない。


 ティーナは目を伏せた。


 イェルドと出会ってから今まで。長い2日だった。今までぼんやりと消化していた1日、という時間の長さを、思い知らされた気分だった。

 そのつもりはなかったのに、次第に身体が傾いていく。ふわ、と小さなあくびが漏れた。ぽす、と寝台に頭が包まれたのを感じるが、起き上がる気力はどこにも残っていなかった。


 手からこぼれ落ちた鍵が、床に落ちてかちゃ、と音を立てたのが、残っている最後の記憶になった。

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