【マーセンの街-3】依頼をしたいです
「イェルド様!」
思わず声が弾む。
しかし、イェルドはひくりと頬を動かした。
「なぜ俺の名前を知ってる?」
「聞きました」
「――『狂犬』だって?」
ティーナは言葉に詰まった。
ふっと笑いを溢したイェルドは、襲いかかってきた他の男を片手で捌きながら言う。
「そういうこった。俺に依頼すんのは諦めろ」
「わたしを、覚えていてくださったのですね」
「厄介そうなもんは頭に入れとくのが身のためだ」
「失礼ですね。そういう時はあなたが綺麗だから覚えていたというべきです」
びゅん、と空を舞った男の身体が、ティーナの近くの壁に叩きつけられて、ずるずると落ちていった。
「――と、お兄様が言っていました」
「あんた、ふざけてんのか?」
「いえ。わたしは大真面目です。お兄様の言うことはいつも勉強になります。たまにお兄様が神殿に来てくださったときは、よくお話を聞いていました」
「そういう話じゃねえ」
ティーナの横で起き上がった男が、両手を振り回しながらイェルドへと迫る。
それを見もせずに蹴り飛ばしたイェルドは、溜め息まじりに言った。
「なんでそんなに平然としてやがる。この状況がわかんねえのか」
道の奥から、次々に湧いてくる男たち。
誰も彼もが手に武器を握っていて、控えめに見ても友好的には思えない。
「イェルド! 今日という今日はぶっ殺――ふぐっ!?」
投げ飛ばされた男が数人の男を巻き込んで倒れた。はらはらと、その上に雪が積もる。
「随分、恨みを買われているのですね」
「ああ、買われているんだ。わかったらさっさと立ち去れ」
「わたし、イェルド様に依頼をしにきたのです」
「またその話か。断るっつっただろうが」
めんどくせえ、とイェルドの声に怒気が籠る。同時に三人の男が吹き飛ばされた。
「話だけでも聞いてください」
「嫌だ。おい、俺はあんたを守る義理はねえぞ。巻き込まれても助けねえからな」
「いえ」
ティーナは微笑んで、首を振った。
「あなたはわたしを助けてくださいます」
「あ?」
「いえ、どちらかといえば……見捨てられない、の方が正しいかもしれませんが」
イェルドが舌打ちをした。右手で1人の男の襟首を掴むと、左手を背中に回して槍を握り、後ろから襲いかかってきていた別の男の鳩尾を石突でつく。
ぐ、と男が鈍いうめきを漏らしたとき、襟首を掴まれていた1人目の男が腰からナイフを抜き取ると、イェルドに向かって投げた。
しかし、その瞬間イェルドが男を揺さぶったため、ナイフは明後日の方向へ飛んでいく。
明後日の方向――すなわち、ティーナの方。
迫るナイフを、ティーナは落ち着いて見つめていた。
きらりと切先が光り、それがちょうどティーナの首筋へと吸い込まれようとしたとき、ち、と弾けるような金属音が響いた。
壁に突き刺さった槍が、衝撃にふるふると震えている。
落ちたナイフが、雪に沈み込んで、ぼす、と音を立てた。
「そうでしょう?」
倒れてぴくりとも動かなくなった男たちの中心で、イェルドはもう一度派手に舌打ちをした。
「――で」
イェルドは、倒れた男たちを道の隅に積み上げながら、諦めたように口を開いた。
「俺に何をしろって?」
「ユギラの町までの護衛と道案内を」
「神の顎の近くだっけか?」
「ええ」
イェルドが顔を顰める。
「なんだってそんな辺鄙な場所に」
「用事があるのです」
「何の?」
「雇い主の個人的事情にまで踏み込むのですか?」
「教えねえってことか」
ティーナは首を傾げてみせた。
生贄になりにいくことを話すつもりはない。知らなくても仕事に支障はないし、知ってしまったらイェルドは十中八九気にするだろう。イェルドにまで荷物を背負わせることはないのだ。
イェルドはその様子をちらりと横目で見て、肩をすくめる。
「まあいい。で、金は?」
「相場を教えてください。その額払います」
「馬鹿か? 俺がぼったくったらどうすんだよ」
「それを教えてくださるという時点で、イェルド様は適切な額を提示してくださると信じています」
「あんた、いいカモだぞ」
「あなたは、そんなカモを見捨てられない良い人です」
手を止めたイェルドが、じっとティーナを見つめた。
視線を受けたティーナは、こて、と首を倒す。
「どうされました?」
「あんた、どこの生まれだ?」
「……この国です」
「そんなことは聞いちゃいねえよ」
ぴたり、と布を取り払った槍の穂先が心臓の真上に当てられた。
「見ての通り、俺は敵が多いんだ。あんたに寝首をかかれちゃたまんねえ」
「わたしには無理ですよ。見た目通りのひ弱な女です」
イェルドが鼻で笑った。騙されねえぞ、と囁いて、ティーナに顔を寄せる。
「その魔力は何だ?」
「……驚きました、わかるのですね」
「これでも、お貴族様の姿を見たことくらいはある。俺は平民なんで、魔力なんかこれっぽっちも持ってないがな。生きてくために知っといて損はない」
「わたしが、貴族だと?」
「それ以外にあるか?」
イェルドの目の光が鋭くなる。胸の辺りに、わずかに押されるような感覚があった。
「ええ。確かにわたしは貴族ですが、この魔力は使いません」
「信用できるか」
「信じてください。この魔力は、わたしのものではありませんから」
「何言ってんだ?」
ティーナのものではない。
全て、巨人のためのものだ。
幼い頃からそう言われ続けていたし、そのために神殿に籠って溜め続けた魔力だ。
生涯で一度たりとも使ったことはないし、使うつもりもない。全て、ティーナの命と共に巨人に捧げると決まっている。
魔力を失えば、巨人の生贄としての資格を失う。
「わからないと思いますが、そうとしか言えません」
降りしきる雪が激しさを増した。頭の上に雪が積もり始めても、ティーナは動かなかった。
じっとティーナの目を見ていたイェルドが、溜め息をつくと槍を引いた。
「わかったよ。あんたは嘘を言ってない」
「信じてくださるのです?」
「人間、嘘をつくときはどこかしらにそれが出るもんだ。あんたみたいな世間知らずのお嬢様なら特にな」
「それなら、護衛を――」
「引き受けるとは言ってねえぞ」
気が早いんだあんたは、と溜め息。
イェルドが口を開きかけたところで、くしゅん、と抑えきれなかったくしゃみが漏れた。
「失礼しまし――くしゅっ」
「……おい」
突然頬に触れられ、驚いて顔を上げた。
眉を吊り上げたイェルドの顔が、そこにある。
「あんた、いつからここにいた?」
「わかりません。イェルド様と別れて、斡旋所に行って道を聞いた後にここに来ました」
「はあ?」
イェルドの手が、手袋越しにティーナの手を握り、無言で強く引いた。
ティーナは引っ張られるがままに立ち上がり、素直にイェルドについていく。
先ほどの家の前で、イェルドは足を止めた。
「入れ」
「え?」
「凍死したいか?」
「あ、いえ、でも」
ティーナは口篭った。
「軽率に殿方の家に上がってはいけないと、お兄様が――」
どん、と中へ突き飛ばされた。
「馬鹿が。さっさと入れ。下心なんてねえよ」
イェルドもすぐに中に入ってきて、後ろ手に扉を閉めた。