【神の顎〈デヴメント〉-3】どこまでも
「おかしいと、思わねえか?」
「何がですか?」
イェルドは、手に持ったままの黒い布をくるりと回した。
「嫌な気配が消えた」
「ずっとつけていた、という気配ですか」
「ああ。綺麗さっぱり。いつどこにいても、視線を感じていたはずが、この通りだ」
この通り、と言われてもティーナにはわからない。
そういうものか、と素直に頷いて、続きを促す。
「ってことは、今襲ってきたのが、気配の正体ってわけだ」
「……気配の人たちが、全てこの人たちに殺されたわけではないのですか?」
「こいつらは襲ってきたとき、身綺麗なままだった。血痕もねえし息も切らしてねえ。明らかに誰かを殺してきた後の姿じゃない」
「気配の人たちが逃げ出した、とか」
「ティーナ、あの気配に心当たりがあるって言ったな? 逃げるようなやつか?」
「気配の人は、わたしにつけられた監視役だと思います。わたしが勤めを果たすか、最後まで見張る役目があったはずです。……全員逃げ出すとは、思えません」
「胸糞悪ぃ」
悪態をついたイェルドは、怒りを逃すように一度舌打ちをすると、ティーナへと視線を戻した。
「ってことは、シクであん時襲ってきたのもそいつらの仲間だ」
「え、」
「気配が減ったって言っただろ。まあすぐに補充されたが」
イェルドは黒い布を持ち上げると、軽く振った。
「あん時言った黒い布も、これだ。あいつらもこれで顔を覆ってた」
「……つまり、王宮が、わたしの命を狙っていたということですか」
「そうなるな」
「なんで」
「俺に聞かれても」
イェルドが肩をすくめる。しかし、黒い目をわずかに期待で輝かせたイェルドは、興奮を抑えるようにゆっくりと言った。
「だが、一つ言えんのは、国を救うって運命をティーナにやらせたはずの王宮が、ティーナを殺そうとしてたってことだ。国を救ってほしくない? んな訳ないだろ。ってことは」
「――真っ赤な嘘?」
ティーナは呟いた。
暗く澱んだ道に、一筋の光明が差した気分だった。
「わたしが生贄にならないと国が滅びるというのも、そもそも巨人の生贄が必要というのも、嘘?」
「ありえない話じゃねえだろ。元々おとぎ話みたいなもんだ」
どうして、と声が漏れた。
それならばどうして、王宮はそんな嘘をついたのだろう。
「どんな理由があるにしろ、王宮はティーナを殺したかったってことだ。その理由に心当たりはないか?」
巨人の生贄の条件は。
強い氷の魔力を持った、貴族。
「魔力は、貴族の地位……」
生まれつき、伯爵家にしては異常なほど、王族や公爵家を凌ぐほどに強かった魔力。
魔力に優れているというだけで、本妻と互角に渡り合っていた愛人。
ティーナは、ぐるりと周りを見渡した。
どこまでも続く、分厚い氷で覆われた洞窟。全て、ティーナがやったことだ。
そしてまた、少しずつ、けれど着実に、ティーナの中に魔力は溜まり始めている。18年分、と思っていたけれど。おそらくあと一月もあれば、ティーナは同じことができるだろう。
いくつもの要素が絡み合って、ひとつの推測が弾き出される。
「――強い魔力を持つわたしが、邪魔だった?」
イェルドが顔を顰めた。
「そんなことでか?」
「貴族にとって魔力の有無は致命的です」
「それなら適当に暗殺でもなんでもすればいいだろ」
「物騒ですね」
「普通の発想だ」
ティーナは首を振った。
「無理です。魔力は遺伝します。強い魔力持ちは、それだけで厳重に守られるんですよ」
あっけない――あまりにもあっけなくて、くだらない、真相。
そのためだけに、こんな大掛かりな嘘が用意されていたのか。
「歴代の巨人の生贄は、子爵家や伯爵家ばかりから出ていました。貴族内の力関係が崩れることを恐れているのだと思います」
「くだらねえ」
イェルドが吐き捨てた。
「そんなことのために、ティーナは」
「そうです。でも、」
ティーナは、イェルドの手を握りしめた。
「この嘘がなければ、わたしはイェルド様に出会えませんでした」
「……」
「だから、これでよかったんです」
は、とイェルドの吐息が漏れた。
「俺はそんないい男じゃねえよ」
「そうですね」
「そこは否定するところだろうが」
イェルドに睨まれた。ティーナは笑って返す。
「良い男だと困ります。イェルド様の魅力は、わたしだけが知っていれば良いんです」
「……」
「イェルド様?」
「……こんなになるなんて聞いてねえぞ」
イェルドが、赤くなった顔を隠すように天井を見上げた。すかさず落ちてきた水滴に、くそ、と悪態をつく。
ティーナはゆっくりと話しかけた。
「わたしをここから攫って逃げれば、イェルド様はお尋ね者になります」
「どうせ『狂犬』だ。牙を剥く先は壮大な方がいいだろ?」
「とりあえずはわたしを死んだことにするのが良いと思いますが、どうせバレると思います。国外に出なければいけなくなるかも」
「どこでもついてくと言った」
「……またあなたを雇えますか?」
イェルドは肩をすくめた。
「報酬次第だ」
「相場を教えてください。その額払います」
イェルドが笑う気配がした。
「ぼったくるぞ」
「どうぞ」
「それなら」
立ち上がったイェルドが、ティーナへと手を差し伸べた。
「ティーナ、あんたが欲しい」
「……相場を考えてください。多すぎです」
震えそうになる声を抑えて、ティーナはぼやいた。
そのまま、微笑んでイェルドを見上げる。
「だから、その分なんでもひとつ要望を聞いてください」
「物真似でもすればいいか?」
「いえ」
ティーナは、差し伸べられた手を取った。
「わたしを攫って、逃げて」
イェルドが、にやりと笑った。
「いいだろう」
これにて完結となります。
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