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【ユギラの町】旅の終わり

「こちら、報酬です」


 ユギラの町、と呼んでいたけれど、村と呼んだ方が相応しいような場所だった。

 宿屋も一軒しかなく、おまけに安い方だ。農民たちが屋根から雪を下ろす掛け声が時折響く中、ティーナとイェルドは広場で向かい合って立っていた。

 丸ごと革袋を渡せば、イェルドは眉を上げた。


「相場を考えろ」

「わたしの気持ちです」


 革袋をティーナの手に押し戻そうとしてくるイェルドから、一歩、二歩下がった。

 ティーナが持っていたところで仕方がないものだ。両腕を交差させて絶対に受け取る気のないことを示す。

 溜め息をついたイェルドは、胸元に袋をしまった。


「確かに受け取った。だが多いな」


 イェルドは何気ない風を装って笑った。


「だから最後に、ひとつ要望を聞こう」


 イェルドの言わんとすることはわかった。

 連れて逃げて――と、そう言う最後の機会だった。


「それなら」


 ティーナは微笑んだ。


「今この場で、雪うさぎの物真似でもしてください」

「……は?」


 完全に意表を突かれた顔のイェルドが可笑しかった。


「それが駄目なら、シカでも」

「ふざけてんのか?」

「ふざけてないと思いました?」

「あんたは真面目にそういうことを言うときがある」


 それが駄目なら、とティーナは両手を空に伸ばした。

 

「お兄様の物真似でもいいです」

「知らん奴の物真似をしろと……いや、あんたの兄が言いそうなことは想像つくぞ」


 しばし視線を彷徨わせるようにして考え込んでいたイェルドは、おもむろに口を開いた。


「――差し出されたハンカチは、洗って返すだけでは駄目だ。刺繍の一つでもしなさい」

「……どうしてわかるんですか」


 ふっとイェルドが笑う。


「――受け取った花は、目立つように玄関に生けること」

「ええ」

「――花を贈る時は、花言葉を事前に調べて。赤い薔薇なんか情熱的で良い」

「ええ」

「――追うだけでも、受け身になるだけでも駄目だ。相手を翻弄するんだ」


 すらすらとイェルドの口から、およそイェルドが言わなそうな言葉ばかり出てくる。

 ティーナの中の「お兄様語録」にそっくりなものから、聞いたこともないものから、ひとしきり披露したところで、息も絶え絶えになったティーナが制止をかけた。


「も、もういいです」

「まだまだあるが」

「わたしよりお兄様に詳しいのが解せません」

「あんたはよく兄の話をしてくれるからな」


 仲の良い兄妹だったのか、と聞かれたので、素直に頷いた。


「家族の中で、わたしをティーナと呼ぶのは、お兄様だけでした」

「は?」

「わたしの本名、ティーナじゃないんです」


 想像もしていなかったのだろう。動きを止めたイェルドに、ふと悪戯心が動き出した。


「でも、わたしはもうティーナです」

「……そうか」

「ちっこくも、チビでも、お守りが必要でもありませんし、ちんちくりんでも、――あんたでも、ありません」


 最後は早口で言い切って、イェルドを見上げた。

 イェルドの目に光る複雑な色に、きちんと意味が伝わったことを悟る。

 イェルドが噛み締めるように呟いた。


「ティーナ」

「はい」


 思わず笑みが浮かんだ。

 幸せな微笑みだった。こんな思いをさせてくれた分、イェルドには感謝しなければいけないと思った。


「元気でな。運が良ければ、また」


 ありふれた別れの挨拶に、微笑むことで答えた。


「どうぞお元気で」


 ティーナはくるりとイェルドに背を向けた。

 ユギラの町から、神の顎(デヴメント)までは、少し歩けば着く距離だという。

 暗くなるまでには、たどり着けるだろう。


 たどり着いたその先に、何があるかはわからないけれど。


 町の道を足早に辿れば、すぐに北門へと辿り着いた。


 誰も足を踏み入れたことのない、真っ白な雪がどこまでも続いている。

 一歩一歩、雪の中を歩き始めた。

 今までイェルドがつけてくれていた足跡がどれだけ有り難かったか、すぐに悟った。雪は重いし、一歩踏み出すと足の甲の上に積み重なって、次に足を引き上げるのに苦労する。

 前後左右から降りかかってくる雪を両手で払いながら歩けば、すぐに手袋越しに冷たさが染み込んできた。


 身体はすぐに汗ばんだ。指先と足先だけが冷え切っていた。


 枯れ木の横を通り過ぎたとき、ふと黒いものが目に入って、ティーナは顔を上げた。

 それは蛙だった。蛙はその腹を、木の枝で貫かれていた。


 百舌鳥(モズ)早贄(はやにえ)


 太い枝に磔になった蛙は、乾燥して小さくなり、凍りついている。

 百舌鳥という鳥は、食料のなくなる季節に備えて、手に入れた獲物をこうして保存するのだという。


 どこかで聞き齧った知識が頭を掠めて、胃の奥が嫌な感じに蠢いた。

 ティーナは真っ黒な蛙から目を逸らし、ひたすらに前へと進み続ける。


 もう歩けない、と思っても、背負ってくれる人はいない。

 喘ぐように息を吸って進んでいれば、急に伸ばした手が奥へと突き抜けた。


 到着したのだ。


 ゆっくりと雪をかき分ければ、大きな洞窟が、ぱっくりと口を開けていた。


 ――天井からは鋭く尖った氷柱(つらら)が垂れ下がり、身体の中まで凍りつきそうな冷気で満たされている。


 その噂は、全くの嘘だった。

 冷気で満たされているのは本当だけれど、外の気温と大して変わらないどころか、雪が積もっていない分暖かくすら思える。

 もちろん氷柱があることもなく、剥き出しの岩肌が多少凍っている程度だ。

 

 代わりに、どこまでも暗い深淵が、ティーナの進むべき道として広がっていた。


 一歩足を踏み出せば、かつん、と足音が響いた。

 灯したばかりの灯りが、一歩歩くたびに揺らぐ。細かい影が、ちらちらと姿を変えて洞窟の壁に作り出されていく。

 

 怖い、と思った。


 思い返せば、今までそんな気持ちになったことはなかった。

 イェルドの家について早々男たちに絡まれた時も、イェルドが何者かの存在に気がついた時も。

 それ以外に、町で知らない男性に話しかけられた時も、暗がりに連れ込まれそうになった時も、良いカモと思われてしつこく付き纏われた時も。

 全く、怖くなかった。


 それが、見上げるように高い背中が、ずっと前にあったからなのだと、今更気づく。


「イェルド様」


 小さな声で呟いた。

 少しだけ、力が出てきた気がした。


 かつん、かつん、と足音だけが響いている。

 その時だった。


 後ろから、かつん、と音がした。

 思わず足が止まる。息を詰めれば、明確に、かつ、かつ、と素早い足音が聞こえた。


 ティーナは振り返った。


 顔を隠した男の手の先で、銀色の刃が、真っ直ぐにティーナの心臓を狙っていた。

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