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【シクの避難小屋-2】攫ってやる

「それは、あんたがやりたいことなのか?」


 はい、と言おうと思った。

 けれど、喉につっかえたように、言葉が出なかった。


「やりたくないなら」


 イェルドが囁くように言った。


「やめちまえ。俺が攫ってやる」

「何を、」


 ティーナは掠れた笑い声を漏らした。


「お兄様に死ぬまで追いかけまわされますよ」

「そりゃ怖い」


 肩をすくめたイェルドは、ティーナの答えを待っているようだった。

 ぽつりと、本音が漏れた。


「あんまり、やりたくはないです」

「だと思ったよ」

「ですが」


 ティーナは目を閉じた。

 幼い子供たちの笑顔が、断片のように閃いては消えていく。微かな記憶の糸を手繰っていれば、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。


「大切な人を守るために、必要な仕事です」

「他の奴にやらせればいい」

「わたしにしか、できない仕事なんです」


 自らに言い聞かせるように、ティーナは呟いた。

 コップを握る手に、ぐっと力を込めた。それを覆うように、イェルドの手がティーナの手を包み込んだ。


「それなら、俺を連れてけばいい」

「……無理です」

「なぜ」

「遠いところに行くので」

「どこでもいい。着いていく」


 おい、とイェルドが僅かに声を荒らげた。顔を覗き込まれて、逸らしそうになった顔をイェルドの手が包み込んだ。


「わからねえか」

「何が、ですか」


 イェルドは笑って言った。


「俺は今あんたを口説いてるんだ」


 ティーナは深く息を吸った。表情を隠そうにも、顔を逸らすことが許されなくて、堪えきれず息が震えた。


「なんでそこで泣く」

「どうして、わたしなんですか」


 今すぐ拒絶するべきだ。

 わかっていても、どうしても聞いてみたかった。


「わかんねえ」

「そん、な」

「世間知らずで、常識知らずで、危なっかしくて。あとちっこいし、落ち着きがないし」

「ちっこいは余計です」


 イェルドの指が、優しくティーナの涙を拭った。


「だから、俺が守りたいと思った」

「……」

「俺以外に、守られなくていいと思った。それで十分だろ」


 言ってしまいたかった。

 わたしも、好きだと。それでティーナは幸せになれる。


 なれる、けれど。ティーナが生贄になって、その後イェルドは、どうするのだろう。

 だから、次に口に出すべき言葉は決まっていた。


「……仕事に、私情は持ち込まないのでしょう」


 イェルドが突然殴られたかのような顔をした。

 だが数度深呼吸をしたイェルドは、落ち着いた口調で話し始めた。


「――昔、依頼主を殴った。くだらねえ男で、俺に犯罪の片棒を担がせようとした。犯罪の内容はあんたに聞かせるようなことじゃないから言わねえが、まあ酷いもんでな」


 かちゃ、と槍がなる音が響いた。

 イェルドは、微かに荒くなった吐息の中に言葉を混ぜるようにして続けた。


「気がついた時には手遅れで、止めるために一発殴ったら、それが一人歩きしてな。あん時の依頼主が意図的に広めてたとこもあるんだろうが、要は仕事がなくなった。斡旋所は出禁になって、結局もっと悪どいことに手を染めるような羽目になった」


 イェルドは苦笑した。


「ずっと後悔してたんだよ。こんな目に遭ってんのは、あん時のせいだって。二度とこんなことするか、ってな。だから仕事と私情は切り離すと決めた」

「それなら、」

「気が早えぞ。まあ聞け。だが、道中あんたに散々いい人だって言われて思った。あの時に大人しく依頼主に従ってたら、結局俺は後悔しただろう、ってな」


 じっと顔を覗き込まれた。真摯な瞳が、じっとティーナを見つめた。


「どっちにしろ後悔するんなら、やりたいように生きてやる」


 吐息が触れるような距離で、イェルドは囁いた。


「ここであんたをひとりで行かせたら、俺はこの先後悔する」

「……わたしの、事情を知らないのに、わたしを止めようとしてるんですか」

「要は大事な奴を守るために、やりたくねえことをやろうとしてるんだろ? 止めるんじゃなくて、俺も連れてけって言ってるんだ。雇うんじゃなくて、俺の意思で」


 駄目だ、と思った。

 これ以上顔を覗き込まれていたら、全て気付かれてしまう。


 ティーナの想いも、死に向かおうとしていることも。


 渾身の力を込めて、イェルドの胸を突き飛ばした。

 思いの外あっさりと、イェルドの手は離れた。黒い瞳が、信じられない、というようにティーナを見つめた。

 振り絞るように言った。


「駄目です。連れていけません」

「なぜだ」

「なぜって……わたしに好意を寄せている殿方と、二人きりで旅だなんて、何が起こるかわからないって」


 お兄様が、と言おうと思った。

 けれどそれ以上の言葉は出なかった。


 代わりに立ち上がって、奥に向かって駆け込んだ。

 ばたばたと足音を立てて部屋に入り、扉を閉めて、鍵がなかったので扉の前にありったけの荷物を積み上げた。


 寝台に頬をつけて、啜り泣く。


 ――俺が攫ってやる。


 ティーナが望めば、イェルドは本当にそうするだろう。

 後悔した。最初に出会った男性に、ぼったくりだろうが護衛をしてもらえば良かったのだ。


 それならば、こんな苦しい思いをすることはなかった。

 イェルドとの幸せと、みんなの幸せと。比べたくもない二つを天秤に乗せて、片方を取らなければいけない、なんて思いをすることは。


 あの瞬間。イェルドと添い遂げる未来を、ほんの少しだけ、夢見た。

 大きな式はあげなくていいけれど、お揃いの指輪はしてみたかった。優しい口付けを想像すれば心がきゅっと震えた。あの大きな身体に、すっぽりと包まれてみたかった。

 そして、二人で旅をするのだ。今みたいに、ずっと。


 強い風の音が聞こえた。屋根から雪が落ちる音と、それに潰されたらしき動物の悲鳴が聞こえた。

 動物が暴れ回っているのだろう。雪が壁に当たるべしゃりという音が何度かして、しんと外が静まった。

 もし、ティーナが逃げ出せば。未来は見えている。


 声が外に漏れないように、毛布に顔を埋めた。

 身の内に込み上げてくる感情のまま、ただ涙を流した。


 10日目の夜は、静かに更けていく。



 ❆’゜:*。



「起きたか」


 イェルドは、昨夜のことなど何もなかったかのように振る舞っていた。

 ティーナもそれに甘えて、食事をとりつつ出発の支度をする。


 洗った外套が乾いているかと、ひっくり返して眺めていた時に、イェルドの声が聞こえた。


「悪かったな」

「……」


 淡々と、イェルドは言った。


「安心しろ。仕事に私情は持ち込まねえ」


 はい、と答えた声がイェルドに聞こえているかはわからなかった。それくらい小さな声だった。

 

 11日目の朝は、水分をたっぷり含んだ重い雪が降っていた。

 灰色の雲が、どんよりと空を覆い尽くしている。


 後ろからざく、と雪を踏む音がした。ティーナの隣に立って、同じように空を見上げたイェルドが口を開く。


「今日の夕方にはユギラに着くだろう」

「え」


 思わず声が上がった。

 ティーナの視線を受けたイェルドは、得意げに笑った。


「この俺が道案内してるんだ。13日もかかるか」


 少々無理な道も歩いたがな、とイェルドが付け足した。


 ティーナは答えられなかった。きゅっと、心臓が縮み上がるような心地がした。

 あと2日あると思っていた。その消失は、重い。


「……そうですか」

「ああ。早い方があんたはいいだろう」


 イェルドは溜め息混じりに言うと、ティーナの先を歩き始めた。


 突然訪れた最後の日は、あっという間に過ぎ去っていった。


 最後の二人での昼食を、雪の中で取った。

 疲れたティーナを、イェルドは変わらずに背負ってくれた。

 広い背中に顔をつけて雪の中を進んでいくのも、これが最後だった。


 そして、イェルドの言葉通り、夕方、ティーナはユギラの町へと足を踏み入れた。

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