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【シクの避難小屋-1】あんたのほうが

「イェルド様!?」

「何だ」


 泰然と立っているイェルドの姿は、一見変わりないように見えた。

 だが、明らかに不自然な棒が一本、身体から突き出していた。そこから漏れ出す鮮血が、真っ白な雪をじわじわと赤く染めていく。


「悪い、汚した」


 そう言って投げられた外套を無視して、イェルドに駆け寄った。


「だって、怪我」

「ああ」


 イェルドは気の抜けた相槌を打った。


「そういえば」

「そういえばじゃないです!」

「確かに。さすがに背負えなくなるかもな、頑張って歩いてくれ」

「そういう、問題じゃ」

「あんたがそこまで動揺してんの、珍しいな」


 ティーナは両手で顔を覆った。

 身の内を吹き荒れる感情の渦に、肩が震える。高ぶる感情に溢れた涙が、顔に残った雪を溶かしていった。

 嫌だ、と思った。


「イェルド様、座ってください」

「あ?」

「座ってください!」

 

 驚いたような顔をしつつも、イェルドはその場に座ってくれた。

 その隣に座って、傷口を確認すると、目を閉じる。


「すみません」


 身体の中の、迸るような流れに集中した。


「信じてくださいと言いましたが、約束を破ります」

「は?」


 魔力を、指先から解放していく。

 長年溜め続けた魔力は、気を抜けば堰を切ったように全て流れ出していきそうになる。そうならないように、少しずつ、少しずつ、できるだけ出口を小さくして、外へと漏らしていく。

 周りの音が、消えた。


 ティーナは魔術の使い方を知らない。

 というか、多くの人間は知らないだろう。魔力というのはあくまでも貴族のステータスを示すひとつの指標であって、実践的に使う物ではなかった。

 魔術を専門に扱う機関もあるが、魔力の保有量が力関係を決める貴族において、わざわざそれを使おうという奇特な人間は少ない。魔術を使えば、それが簡単な物であったとしても、ほとんどの魔力を持っていかれることがざらなのだ。


 だからティーナの使おうとしている魔術は、あくまでも古い本で齧っただけの知識であって、上手くいく保証はどこにもなかった。

 しかし。


 やれる、と思った。

 やらなければ、と思った。


 音が消えた世界で、ティーナはそこにある力を感じていた。自分の中で震える、この身に馴染みきらないほどの莫大な力を。その流れも、その流れをどう変えてあげればいいのかも、感覚でわかった。

 天賦の才、と言うのが、一番正しいのだろうか。そこにある力は、最初から最後まで、ティーナのものだった。


 最後の結び目を捉えて、捻ったとき。

 ティーナの手元が、強い光を放った。


「これは」


 イェルドが呟いた。


「すごいな」


 ぼす、と折られた矢が地面に落ちた。ティーナの視線を感じたイェルドが、首を振った。


「痛くない」

「本当ですか」

「ああ」


 肩の力が抜けた瞬間、がたがたと震えが襲ってきた。

 自分がしでかしたことの意味に、今更気がついたかのように。


「おい、どうした」


 答えられなかった。首を振った。

 もし失敗していたら。うっかり全ての魔力を解放してしまっていたら。


 ティーナの肩には、この国の運命が乗っているというのに。


「仕方ねえ」


 ふわりと、身体が浮いた。咄嗟にイェルドの首筋にしがみついた。

 ぐえ、と声を漏らしたイェルドは、しかし文句を言うこともなく歩き始める。


「近くに避難小屋がある」


 ティーナは頷いた。イェルドはティーナを揺すり上げて背負い直すと、足早に歩き始めた。



 ❆’゜:*。



「飲め」


 ティーナは目の前に置かれたコップをぼんやりと見つめていた。

 ゆらゆらと上がる湯気が、目の前の風景を霞ませる。


「冷えただろう」


 それでもぼんやりとコップを見つめたままでいたら、イェルドが溜め息をついた。


「心配かけて悪かったな」

「……ほんとです」


 ティーナは幼い子供のように呟いた。

 魔力を使ってしまった。そればかりに囚われていた思考が、一度血に塗れたイェルドの姿を思い出せば、今度はそちらに向かって勢いよく走り出す。

 口が勝手に、恨みがましく言葉を吐いた。


「確かにわたしを守ってくださるとは言いましたけど、だからと言ってイェルド様が怪我をしていいと言う意味ではないです。もうあんな真似しないでください。わたしもイェルド様も守ってください」

「言っとくが、俺だって好きで怪我したわけじゃねえぞ」


 イェルドの指が、思い出すように傍に置かれていた槍をなぞった。


「あれはその辺の盗賊とかじゃねえ。明らかになんかの組織だ、訓練されてるし連携をとっての戦闘にも慣れてる。面倒なのに目ぇつけられたな、あれで全部だといいんだが」

「心当たりはないんですか?」

「あんたこそないのか?」

「ありすぎて絞れません」


 例えば他国の兵とか。今の王朝を快く思わない者とか。

 ティーナが生贄だと知れば、ティーナを殺したい人間などたくさんいるだろう。生贄については極秘なのも、それが理由だ。

 だから問題は、どこからその情報が漏れたか、ということ。


「何か、手掛かりになりそうなことはありませんでしたか」

「黒い布で顔を覆ってたんで、何も。引き剥がしてみたが知らねえ顔だった。ああだが、言葉は綺麗なこの国の発音だった」

「となると、国内に関係者がいますね……」

「絞れたか?」

「全然」


 ティーナは溜め息をついた。現王朝に不満を持っている人などたくさんいて、それに国内の人間をけしかけたのがまた国内の人間とも限らない。


「だがつけてきてた奴らの気配が減った。そいつらなんじゃないか」

「多分、違います」


 彼らはティーナの監視役だ。とはいえ、ティーナの身に危険が迫れば助ける。

 きっと彼らは返り討ちにあったのだ。けれどそれを、イェルドに言うわけにはいかない。

 どうしようか、と顔を上げたけれど、イェルドはその先を追及するつもりはないようだった。


 代わりに、指先で床を叩いて言った。


「いい加減飲め。アデラに無理言って譲ってもらったんだ」

「……アデラさんとは」


 素直な言葉が出た。


「長い付き合いなんですか?」

「そうだな。傭兵時代からか」

「そうですか」


 ティーナはコップを手に取った。あの時はあんなに美味しく感じたお茶が、今では色のついた水のようにしか見えない。

 一口啜ってみても、その印象は変わらなかった。


「浮かない顔だな」

「そうですか」

「おい」


 突然手からコップが奪われた。

 イェルドの目つきの悪い目が、じっとティーナを覗き込んでいた。


「どうした」

「どうもしません」

「な訳ないだろ」

「イェルド様は、」


 視線を逸らして言った。


「仕事に私情は持ち込まない主義なのでしょう」

「……ああ」


 イェルドが立ち上がった。荒々しくコップをティーナの前に置いて、奥へと消えていく。

 突然胸に、つん、と針で刺されたような痛みが走った。


「すみません」

「……」

「心配してくださったのに」

「ほんとだよ」


 溜め息まじりの返事が返ってきた。奥からもう一つのコップをとってきたイェルドは、どすんとティーナの横へ腰を下ろす。


「……羨ましかったんです」

「何が」

「アデラさんが」


 イェルドが驚いた顔をした。覗き込んでくる視線を避けるように、お茶を一口飲んだ。


「イェルド様と、仲が良さそうで」

「……」


 ティーナが依頼人である限り、イェルドとの間にはどう足掻いても超えられない溝がある。

 そして依頼が終わった後の未来は、イェルドと普通に過ごせる未来は、ない。


「わたしも、」


 あんな風に話してみたい。

 ティーナはその言葉を飲み込んだ。


 イェルドが話してくれた、南の国に行ってみたかった。イェルドに常識がないと愚痴を言われながら、二人で旅をしていたかった。

 二人で。二人きりで。


 ティーナは、お茶のコップを覗き込んでいるイェルドを見上げた。

 座っていても首が痛くなるくらい背が高くて、黒髪で、目つきが悪い。無愛想で口は悪いけれど、ティーナのように困っている世間知らずを見捨てられない、お人好し。


「だったら」


 イェルドが口を開いた。


「あんたの目的が終われば、俺の仕事も終わる」

「……もし仮に仕事が終われば、アデラさんのようにわたしとも接してくださいますか?」

「アデラとあんたは違う」

「どう違うのです?」


 イェルドは目を閉じた。口を何度か開いては閉じて、間を持たせるようにお茶を飲んだ。

 唇を湿らせて、呟く。


「さあな」

「待った甲斐がありません。もう少し具体的に答えてください」

「あんたのほうがちっこい」

「喧嘩売ってるんですか」

「あんたのほうが、」


 イェルドが口を開きかけて、閉じて、また開いた。


「可愛い、と言ったら?」


 ティーナは顔を上げた。

 イェルドは目を伏せていて、その表情は見えない。けれど、その耳が赤くなっているのが、薄暗い室内の中でも、よく見えた。


 好きだ、と思った。


「……その言葉だけで、十分です」

「どういう意味だ」

「わたしの目的は、生涯をかけてすることなんです」

「一生続ける、ってことか?」

「そうともいえますね」


 ティーナは俯いた。耳からこぼれ落ちた髪の毛が表情を隠してくれるのがありがたかった。

 イェルドの声が聞こえた。


「あんたは、その目的を果たしたいのか?」

「え? はい」

「それはあんたがやりたいことなのか?」


 その声は、ティーナの心の底まで見通そうとするような、かつてなく真剣な色を帯びていた。

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