第31話 球技大会
気が付くと、俺は見慣れた六畳の部屋のパソコンの前にいた。
無事にまた地球に帰ってきたのだ。
時間は夜の10時過ぎ。
明日からは、少し忙しくなるだろう。
ブルジア共和国への出張手配、スケジュール調整、市場調査、プレゼン資料作り等々、やることが山積みだ。
今日は早く寝よう。
翌日朝、いつもの駅へ向かい、電車に乗り、会社へと向かう。
今日も体がいたって軽い。
オフォスで自分の席に座り、社用パソコンを立ちあげ、メールチェックをする。
市場調査はマーケティングの姫宮さんが進めてくれているのだったよな。
俺は製品比較資料と開発ロードマップを英語でまとめ直そう。
正面と脇に座る先輩や同僚と雑談しながら粛々と進めていると、姫宮さんから社内チャットが入った。
『ユウヤさん、お疲れ様です。良かったら打ち合わせを兼ねて、お昼ご一緒しませんか?』
打ち合わせか、別に断る理由はないよな。
『お疲れ様です。了解です、社食の前で待ち合わせしましょうか?』
『はい、よろしくです!』
昼休憩時間の少し前、俺はトイレに行くふりをして、早めにオフィスを出た。
姫宮さんとの待ち合わせを職場連中に見られたら、何を突っ込まれるか分かったものではない。
社食の入り口に着くと、既に姫宮さんが待っていた。
今日も素敵だな。
タイトミニから下へ伸びる健康的な美脚が、とても眩しい。
メニューを選び皿をピックアップしてから、俺達は窓際の席へ座った。
雑談形式で仕事の情報交換をするが、流石姫宮さんは仕事が速い。
既に市場調査結果の素案はできているようだ。
「ところでユウヤさんは、球技大会は何に出場するんですか?」
「え、球技大会?」
あー、全く興味が無いので、すっかり忘れていた。
この会社では年に一回、市の公園にある体育館と運動場を借り切ってのスポーツイベントが催される。
会社の福利厚生の一環だが、別に運動が得意でもない俺たちにとっては、かなり煩わしい。
部門別に分かれての対抗戦で、俺が所属する開発部でも、若手中心に担当が割り振られている。
げっ、確かこの土曜日だから、もうすぐじゃないか。
「えーと確か、野球だったかな。姫宮さんは?」
「私はバスケットなんです。良かったら、見に来て下さい。楽しみですね」
「姫宮さんは、スポーツ得意なの?」
「いえ、そんなことは無いんですが、学生時代にクラブでやってまして」
「へえ、そうなんだ」
万年帰宅部だった俺は、その手の世界はあまり知らない。
学生時代体育では4以上の成績は取ったことがなく、苦痛でしかなかった。
今回だって、頭数が足りなのでどうしてもと、半ばパワハラ気味に決められたのだ。
風邪ひいて、熱でも出ないかな。
ランチが終わってオフィスに戻ると、後ろからガシっと肩を掴まれた。
「え、先輩、何ですか?」
「お前今日、姫宮と一緒に飯食ってただろ。そこんところ、詳しく教えてくれよ」
うーむ、やっぱり会社の中って、下手なことできないのだな。
―― それから数日間、俺は自分の担当の資料を何とかまとめ上げて、上司確認へ回した。
明日は球技大会、残念ながら体調は絶好調で、欠席する理由が見当たらないし、天気予報も終日晴れマークだ。
しょうがない、目立たないよう、さっさと終わらせよう。
翌日土曜日、俺は着替えのジャージの入った袋を担いで、とぼとぼと市営公園へと向かった。
更衣室で着替えて一旦全員が運動場に集まり、会社役員の挨拶と開会宣言によって、幕が上がる。
野球の試合は7回までで、俺たちの第一試合は少し後から始まる。
パンフレットを眺めながら、
(姫宮さんのバスケの試合が早速あるな。見に行ってみようか)
バスケット会場の体育館はかなり広く、他にもバレーやバトミントンも開催されている。
第一試合マーケ部対人事部、選手整列の中に姫宮さんもいる。
普段見ない、Tシャツとジャージ姿だ。
身長が高めの選手が多い中だと、姫宮さんはかなりちっこいな。
試合開始の笛が鳴る。
細かいパス回しの中で姫宮さんにボールが回ると、小回りが利いたドリブルでどんどん相手の中に切り込んでいく。
そこからパスやシュートを繰り出して、点差をどんどん広げていった。
(姫宮さん、上手じゃん)
プレーもそうだが、それよりも目が行ってしまうのは…… ごめんなさい、胸元だ。
ドリブルで進むたびに、他の選手よりひと際目立つ大きな胸が揺れる。
ついスマホで撮りたくなってしまうが、それをやると明日から顔が見れないな。
それともう一つ気になるのは、「カスミ、ナイスー!」と時折飛ぶ声援だ。
俺と同期の高野は技術企画部所属で、次の野球の試合の対戦相手でもある。
奴もこの会場にいて、間近で姫宮さんを応援しているのだ。
結局試合は、マーケティング部の勝利で終わった。
喜ぶ選手の輪の中に高野もいて、何も違和感が無い様子だ。
ただ何となくだが、姫宮さんが回りをきょろきょろして、一瞬俺と目が合った気がした。
さて、ぼちぼち野球会場へ戻るかな。
開発部の課長兼監督から、試合のオーダーが発表された。 俺は7番ライト、まあこれが期待度の表れだろう。
試合が開始されて、俺たちは先攻、相手ピッチーはあの高野である。
高い身長から投げられる速球に、味方打線は手も足も出ない様子だ。
だが、何か違和感がある。
遠目からだが、俺自身は、そんなに速い球だとは感じないのだ。
野球場脇の観客席に目をやると、まばらな観衆に交じって、姫宮さんの姿が見えた。
1回は両チームとも3者凡退、2回表の攻撃も足も出ない。
2回裏の先頭バッターは、4番の高野だ。
応援女子の黄色い声援を受けながら、悠々とバッターボックスへ入る。
3球目、快音と共に、奴の放った打球がライト方向、俺の遥か上目掛けて飛んだ。
完全な長打コースだ。
しかしまあ、追いかけるだけはしてみるか。
俺は球に向かって全力疾走を開始した。
すると、打球は思ったよりも遅くぐんぐんと追いつき、フェンス手前で俺のグローブにすっぽりと収まった。
会場が静寂に包まれた後、チームメイトが「ナイスキャッチ!」と叫ぶ。
俺は取ったボールをピッチャーに投げ返すと、そのボールはダイレクトにピッチャーの胸元へと飛んだ。
(なんだ? 今までに感じたことの無い違和感だ。まるで自分の体が、別人のそれになったような。いや待て、そうではない。むしろ自然な感じだな。そう、ムーンガイアにいた時と同じだ)
3回表、先頭バッターは俺だ。
バッターボックスに入ると、マウンド上の高野がじっと睨んでいる。
きっと、さっきの見事な当たりをアウトにしてしまったからだろう。
バットを構えると、「ユウヤさん頑張ってー」と叫ぶ声が聞こえた。
声の感じと方向からして、多分姫宮さんだろうな。
はいはい、精一杯やらせて頂きます。
高野が投げた初球、当てること優先して、軽く合わせたつもりだった。
しかしボールは麗な放物線を描いて、センターの外野スタンドへすうっと吸い込まれていった。
一体何が起きているのか、よく分からない。
ただ思うのは、ムーンガイヤではこんなことが自然だったこというとだ。
一たび魔物と対峙すると、その速い動きにも負けてる場合ではない。
その場で機転を利かせて倒さないと、こちらがやられるのだ。
もしかして、体がそっちに慣れてしまったということか?
人生で初めてのホームランの味を噛み締めながら、ゆっくりとダイヤモンドを一周する。
その裏の相手の攻撃の際、事件が起きた。
相手バッターの打球がピッチャーを直撃して、それ以上投げられなくなったのだ。
あーあ、大変だなと他人事で構えていると、監督からお呼びがかかった。
「早乙女、お前が投げろ」
「ええっ! そんなの俺、やったことないっすよ」
「誰もやったことが無いんだ。お前さっき、ライトから凄い球投げただろう。あの調子で頼む」
えええ~、そう言われても。
これもパワハラになるんじゃないのかよ?
しぶしぶマウンドに上がった俺は、
(こんな時に『必中』のスキルなんか使えたらなー)
と冗談で思いながら、「必中発動」と念じた。
すると、全身に稲妻が走ったような感覚に見舞われた。
(まさか――)
俺の投げた初球は、狙った通り外角低めのコースに寸分たがわず決まる速球だった。
味方も相手も観客席も、シーンと静まりかえる。
これで確信した。
異世界ムーンガイアで手に入れた能力は、この世界へも引きつがれている――
結局この試合は、3対0で俺たちの勝利に終わった。
この試合で俺は3本のホームランを放ち、相手には1点も与えなかったのだった。
大方の予想を覆す結果に味方チームは呆気に取られ、高野は肩を落としてすごすごと引き上げていった。
試合後にベンチから外へ出ると、ざわついた人垣の中から、姫宮さんが飛び出してきた。
「あの、あの、ユウヤさん、おめでとうございます。凄かったです!」
「ありがとう。姫宮さんも、試合勝てて良かったね」
「はい、こうなったら、一緒に優勝しちゃいましょう!」
(優勝かあ、あまり目立ちたくはないんだけどなー)
好むと好まざるとに関わらず、昔から人前で目立った経験は無い。
幼少の頃はそうでもなく、お遊戯会や運動会では頑張って真ん中にいたいといった気持ちもあったかも知れない。
だが年を重ねていくうちに、それに伴う弊害、例えば過度な期待や妬み、負けた時の敗北感に苛まれる自分とか諸々が煩わしくなり、自然とそういった場からは遠ざかっていった。
それもあってか、一人で浸れる世界に酔いしれるようになり。
別にそれで不満も感じない。
むしろ幸せを感じながら、ままここまで来たのだ。
けど、今回はチームの面々が盛り上がりまくってるので手も抜けず、その後も相手チームには全く点を与えないまま、結局そのまま優勝してしまった。
姫宮さんのバスケチームも順調に勝ち上がり、決勝で強敵を破って見事優勝を果たした。
表彰式では、勝利の立役者として、俺が代表で表彰状を受け取ることになった。
俺の横に立っている姫宮さんは、にこにこしながら何度も、こっちに視線を向けていた。
その夜の開発部の打ち上げ会は、大盛り上がりだった。
まさか誰も、優勝チームが出るとは思っていなかったものだから、部長をはじめ管理職各位もご機嫌で、大いに酒が進み、話に花が咲いた。
「早乙女え~、お前があんなに野球が上手いとは、知らなかったぞお」
「いや全く。ところで早乙女、姫宮さんがお前のこと、応援してなかったか?」
「ははっ、それは、仕事仲間のよしみということなのでしょう」
「本当かよ? でも最近お前ら、なんか雰囲気よくねえかあ?」
その場は胡麻化したが、確かに俺も、姫宮さんのことは少し意識してしまう。
野球の試合でも、高野ではなく俺の方を応援してくれていたっけ。
一体あの二人は、どういう関係なのだろう?
「よーっし、二次会行くぞ二次会、なあ早乙女!!」
「はは……」
その大盛り上がりは、日付が変わった後も延延と続いていった。