第3話 新しい家族
放心状態の俺に、兵士が声をかける。
「大丈夫か?」
「あ、はい。ありがとうございます。助かりました」
「危ないところだったな。この先に行ってしまうと、もう止める者もいなくなる。君が機転を利かせて外に出て来てくれたから、我々も対処ができたのだ」
マーガレットの方を見やると、信じられないといった表情で俺を見つめている。
―― 一先ず助かったんだよな、二人とも。
俺の中に温かいものがじんわり広がる。
マーガレットがトコトコと歩いて来て、俺の目の前で地面に膝をつく。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
お兄ちゃんか、俺に妹がいたことはないが、なかなかいい響きだな。
「ありがとう、本当に……」
大きな目に涙をいっぱい貯めて、息が届きそうな距離から俺を見つめ、手を握ってくる。
「無事で良かったな、妹よ」
うん、中々よい響きだ。
こんなことが無かったら、一生言えなかったセリフだろう。
「君たちは兄弟なのか?」と、兵士が問いかける。
(どう答えようか―― )と考えていると、
「はい、私たち兄弟です!」
と、マーガレットが力強く返事をした。
うんうん、名演技だ。
「そうか、あまり似ていないが、君たちは兄弟なのだな。もうじき交代のための馬車が来るから、それに乗って町まで帰ろう」
兵士の言葉は優しく、周りの他の兵士達も皆にこやかに笑っている。
夕刻になって馬車が到着した。
俺とマーガレットはその馬車に同乗し、町へと向かう。
マーガレットは俺の横で、肩をピッタリくっつけて座っている。
「そう言えば、君たちの名前は何ていうんだ?」
と、不意に兵士から問い掛けられる。
「俺は……ユウヤ、です」
「私は、マーガレットです」
何日か馬車に揺られて、港町バーサムへとたどり着く。
石畳の道に沿って石造りの建物やバザーが並び、大勢の人が行き交っている。
近くに海が見えて、潮の香がする。
人と言っても、中には頭の上に耳があったり尻尾があったり、地球の世界とは少し違うようだ。
兵士から「これからどうする?」と問われて、答えに窮してしまった。
こ こでフリーにもなれるし、町が管理する施設に向かうこともできるのだという。
どうしようかと思ってマーガレットの方をチラ見すると、「どうしよう、お兄ちゃん?」と、澄んだ瞳で見つめられ、判断を委ねられた。
少し考えさせてくれと答えて、兵士たちとは行動を別にする。
知らない町の中で、マーガレットと二人きりになった。
「さて、どうしようか、マーガレット?」
「どうしようか、お兄ちゃん?」
「あの、もうお芝居はいいよ。周りには誰もいないし」
「だって私たち、兄弟なんでしょ?」
大きな綺麗な目で俺を見るマーガレット。
「それは、ごめん。あの場はそう言った方が、逃げられる可能性が高いと思ったんだ。だから、もう合わせてもらわなくていいよ」
そう言うと、マーガレットが顔を歪めて、泣きそうな表情になる。
「私…… 私ね、嬉しかったんだ。お父さんお母さんから急に『お前は今日から奴隷だよ』って言われて、知らないところに連れて行かれて、灰色の馬車に乗せられて。もしかしてこのまま死んじゃうのかなって思ってたら、ユウヤさんに助けてもらって…… 何か本当のお兄ちゃんが傍で助けてくれたような気がして」
「……」
「もう……家には戻れないから、お兄ちゃんだけが、私の家族なの」
ああ、そうなるのか。
マーガレットには、同情してもしきれない。
愛情を込めてもらえるはずの親に売られて、自由もなく一人で過ごして、死の恐怖まで感じていたんだな。
何かにすがりたい気持ちは、察して余りある。
それに、かくいうこの俺も、この世界では天蓋孤独なんだよな。
「そうだな、どうしようか、妹よ?」
俺の言葉に、マーガレットは大粒の涙をいくつもこぼしながら、白い歯を見せて幼い子供のように笑った。
とはいえ、行く当てがない状況は変わらないんだよなあ。
確か俺の物語設定では、魔道具職人に拾われるはずなのだが。
けれど、ここでこうして二人元気でいる時点で、もうその設定もご破算なのかも知れない。
なにせ、未来を変えてしまったのだから。
海が見渡せる波止場に並んで腰を下ろし、まったりとした時間を過ごしながら、うつうつと物思いに耽る。
青い波の上をゆったり滑る船に、遠くから聞こえる海鳥の鳴き声。
海風が頬を撫でて心地よい。
―― それから数日間が経過するが、状況に変化はない。
町の教会に出入りして何とか食いつないでいて、マーガレットは不満一つ漏らさないが、もうそろそろ限界だ。
町の施設に行くかな――
と真剣に思い始めた頃、ふいに後ろから声を掛けられた気がした。
振り向くとそこには、腰に剣をさし、旅の装束に身を包み大きな荷物を背負った、初老の男が立っていた。
「急に申し訳ない。ちょっといいかな?」
「? 何でしょう?」
「怪しいものじゃあない。私はリカルドというものだ」
「……」
「不躾なお願いで申し訳ないのだが、右肩を見せてくれないか?」
「はい?」
「ちょっと人を探していてね。もしかして君がそうかなと思ったのだが、右肩に目印があるかどうか、確認させて欲しいんだ」
? 何言ってるのか分からないな、この人。
しかし、目は真剣だ。
俺は右手の裾を肩までまくり上げる。
すると、見覚えのない黒い痣が目に入った。
その形は、開いた本に似ているような。
リカルドという男はそれを凝視した後、俺の顔をみやりながら、
「少し話があるんだ。ちょっと場所を移さないか?」
と告げた。
簡単に名前を伝えた後、「腹が減っていないか?」
と問われて、つい「減ってます」と答えてしまった。
何せ奴隷扱いされて以降、ずっとまともな飯を食った記憶がないのだ。
俺たちはリカルドに連れられて、海の見える洒落たレストランに入った。
地球の地中海地方にあるような開放的な造りで、開け放たれた大きな窓から爽やかな風が潮の匂いを運んでくる。
「何でも好きなものを頼みなさい」
と言われても、俺は文字が読めない。
「マーガレット、俺の分も頼んでくれないか?」
「うん、分かった」
リカルドはウェイターを呼び、マーガレットがメニューを指さしながら、注文を伝えていく。
しばらく待つと、ウェイターが両手一杯の料理を運んでくる。
香草と一緒に焼いた魚、じっくりと煮込まれたシチュー、レア気味に焼かれた塊肉…… 見た目でも楽しませてくれる料理がテーブルの上に並ぶ。
マーガレットが、「こんなの初めてだあ」と、目をキラキラと輝かせる。
あー、美味い。久々人間らしいものを食べている実感が湧く。
無言で食べ物を口に運ぶ俺たちを、リカルドはワインのような物を口にしながら、微笑ましく目線を送っている。
満腹だ。
流石に、礼の一つは言わないと、天罰が下るだろう。
「あの、リカルドさん、ありがとうございます。とっても美味しかったです」
「そうか、それは良かった」
「ところで、話ってなんですか?」
食べるのに夢中で失念していたが、何の用事もなく飯だけ奢ってくれる聖者は、この世にはほぼいないだろう。
「そのことなんだが……」
リカルドは真顔になって俺を見据える。
「アイナ村にある私の家まで、一緒に来て欲しいのだ」
おいおい、また話の展開が急だな、一体どういうことだ?
「アイナ村って、どこにあるんですか?」
「ここから南東へ、歩いて7,8日のところだ」
「どういった理由でしょうか?」
「君を養子として迎えたいのだ」
何?
話が飛びすぎてて良く分からないな。
養子、つまり、この人の子供になるってことか?
「養子、て仰いました? よく意味が理解できませんが、一体どうして?」
「唐突で戸惑わせてしまったのは申し訳ない。だが、私はそのためにここへ来たんだ」
「なぜここに? なぜ、俺なんかに?」
「神のお告げだよ。リテラ様のね」
――リテラ?
あの女の名前と同じだな。
これは単なる偶然か?
「俄かに信じがたいかも知れないが、リテラ様は私の夢の中で、『西の港町にいる、右肩に英知の紋章がある少年を探しなさい』と申された。半信半疑ではあったが、丁度こちらへ行商で来るついでもあったので、仕事終わりに町中を探していたんだ。そうしたら、君に出会えた」
待て待て待て。
こ の人は、夢に見たことを真に受けて、見ず知らずの俺を自分の子供にしようとしているのか?
少し胡散臭い気もして来た。
「リカルドさん、お申し出は嬉しいんですが、でも夢に見ただけで、そんなことになるんでしょうか?」
「細かいことはまた話す機会があると思うが、私の家は、古の戦士リテラの末裔なのだよ。その方が夢に出て、お告げ通りに君に会えた。これが単なる偶然とは思えないのだ。それに……」
リカルドは何かを言いかけて、はたと口を噤んだ。
「お兄ちゃん、リテラ様は、すごく立派な神様だよ、私もよくお祈りしてたから」
そうなのか、マーガレット。今一話が繋がらないが、古の戦士が神様なのか?
「すいません、俺、実は昔の記憶があまりなくて、神様だの何だのと言われても、よく分からないんです」
咄嗟に、自分を記憶喪失ということにして、辻褄を合わせようとしてみる。
「そうか、君にも事情があるのだな。だが、悪いようにするつもりは無いんだ。もし他に行く所がないのなら、私の所へ来てもらえないか?」
う~ん、どうしたものか。
この世界の常識が全く分からないので、何が良くて何が悪いのかも分からない。
けど、あのリテラが絡んでいるのだとしたら、その流れに乗る方が、ゲーム的には正解に思える。
それにこのままでいても、ずっと路頭に迷ったままだのだ。
この人は見た感じ悪いようには見えないし、多分生贄にされるようなことは無いだろう。
「あの、1つ条件があります」
「何かな?」
「妹も一緒に連れて行っていいですか? 俺たち、二人きりの兄弟なんです」
マーガレットが澄んだ琥珀色の瞳で俺を見る。
リカルドはマーガレットに目を向け、静かに言葉をかける。
「マーガレットさん、君はどうしたいかな? 私の家は妻と二人きりで子供がいない。娘もできたということなら、妻も喜ぶだろう」
「……本当にいいんですか?」
マーガレットがおずおずとリカルドに問い返すと、リカルドは口角を上げて大きく頷く。
「お兄ちゃん、私も、一緒に行く」
「そうか、マーガレットがそう言うなら、俺もそれでいい」
「決まりだな。二人ともありがとう。とりあえず宿に寄ってから、服でも見に行こう」
レストランを出て、リカルドが泊っている宿へと向かう。
そこで追加の2部屋をリザーブして、風呂にでも入ってから一階ロビーへ集合しよう、とのことになった。
部屋に入った俺は、真っ裸になって浴室へ向かい、蛇口を捻って熱いシャワーを浴びる。何時ぶりの風呂だろうな、肌を打ち付ける湯の温かさが染み入る。
浴室にある鏡に目をやると、そこには若い頃の俺、そう、中学校低学年くらいの頃の俺が、今の俺の方をじっと凝視していた。
(これが今の俺か? 確かにこれなら、若いだの坊主だのと言われても納得だな)
生乾きの髪のままロビーに降りて、リカルドと共に待っていると、階段から小柄な少女が降りて来た。
一瞬誰だこれと目を奪われてしまったが、この子はやはり、俺が思った通りの逸材だ。
まるで蛹から蝶が生まれたようだ。
二重で大きな眼を持つ痩身の美少女は、背中まで伸びたふさふさの黒髪から艶やかな光沢を放ち、きめ細やかな白い肌が神々しい。
俺の前で立ち止まり、はにかみながら口元を綻ばせる。
「お待たせ。リカルドさん、お兄ちゃん」
俺の横でリカルドが、ぽかんと口を開けている。
どうだ、この美少女が、あなたの娘になるのだと、何の脈絡もないが誇らしい。
宿を出て、俺たちはまず洋服屋へと向かう。
俺は店員に言われるまま、適当に白シャツとズボン、それに丈の長い上着を選んだが、マーガレットは別の店員に纏わりつかれて、あれやこれやと勧められて逡巡しているようだ。
「お嬢様は、何を着てもお似合いですよ。でもこちらなんかも、おススメですよ」
「でもそれって、大人っぽすぎるんじゃ?」
「いえいえ、お嬢様なら十分着こなせます。洋服も着る方を選びますが、お嬢様なら洋服も大喜びです。ご試着なさいますか?」
マーガレットがリカルドに目配せすると、リカルドは目尻をたるませて軽く頷いた。
マーガレットは3、4着試着してから、白地に黒の紋様が入ったシャツ、赤と黒のタータンチェックのスカートと濃紺の上着を選び、その場で着替えた。
それと…… 下着をいくつか選んで、レジへと向かった。
「似合う? お兄ちゃん」
「うん。俺の妹にしとくのは、勿体ないよ」
「じゃあ次は靴だな。それと―― 」
リカルドに連れられて身の回りのものを整えた俺たちは宿に戻った。
明日、アイナ村に向けて出発だ。
お読み頂きありがとうございます。