第2話 腹が痛い
小窓を通して月明かりが流れ込んで来るが、辺りは暗い。
身を起こして周りを見やると、向かいの長椅子に、痩せた男が俯いて座っている。
ガタゴトと車輪が回る音がし、地面の振動が無造作に尻に伝わってくる。
「あ、あのう……」
俺は、恐る恐る話し掛ける。すると、痩せた男は、虚ろな目を俺に向けた。
「ここはどこでしょう?」
「……馬車の中ですよ」
「馬車? 何の馬車ですか?」
「奴隷を運ぶ馬車」
(は? 奴隷?)
意味が理解できず、俺は問いを続けた。
「あの、俺、何でここに?」
「知りませんよ、そんなの。さっき馬車が止まった時、あなたが運び込まれてきたんですよ。大方私のように借金が返せずに奴隷になったか、売られたか、攫われたかでしょうが、自分で覚えているでしょう」
と言われても、全く理解できない。
これは夢か?
そうに違いない。
「いやあー、それが、全く覚えてないんですよ」
「じゃあ、眠っている間にでも連れ出されたんですかね。お気の毒です」
向かいの痩せた男は、農家風の古びた服を着ている。
俺はというと、粗末な麻っぽい素材の上下だ。
昔のローマ時代の服装に似ている。
そうだな、これは良く出来た夢だ、夢ならそのうち覚めるだろう。
と高をくくって余裕ぶっていたのだが、その後何日経っても変わらないまま、気分がどんどん凹んでいった。
朝から夜までの間に何回か馬車が止まり、用を足すこと以外、馬車の後ろ側の鍵付きのドアから外に出ることは許されなかった。
時折投げ込まれるパンは固く黒い染みが点々として、とても食えたものではないのだが、命を繋ぐために無理やり胃袋に流し込む他なかった。
痩せた男との会話は弾まず、暗く濁った空気だけが馬車の中を支配していた。
俺は、リテラと名乗った女との会話を思い起こした。
―― あなたが作った物語と似た世界を旅して頂いて
確かに、今のところかなり似てはいる。
俺が小説投稿サイトに投稿した物語は、主人公の少年が、人間や魔物や、獣人、竜族、エルフ等々様々な種族が住む、剣と魔法が支配する世界を旅するものだ。
その世界はかつて神々を巻き込む大乱に見舞われていて、今もその火種が残っている。
主人公は錬金術や魔道具作成のスキルを活かして、色々な事件を解決していく。
まあ、特に真新しい設定とは思わない。
ただ、主人公の出発点は、奴隷からなのだ。
両親から奴隷商人へ売られ、そこで一人の少女と出会う。
その少女は神への生贄として目の前で殺されてしまうのだが、自分は何とか逃げ延び、一流魔道具職人に拾われ、底辺からの這い上がりと理不尽な社会への復讐を誓う。
だが、その後に出会う人々との触れ合いの中で、だんだんと前向きに変わっていく、そんな流れだ。
この話を思いついたきっかけは、ある日見た夢だ。
自分は異世界の住人の奴隷で、目の前で少女が惨殺されるのをただ見ているだけで助けることもできず、大怪我を負いながら命からがら逃げだして魔道具職人に拾われた、そんなとこまでで目が覚めた。
よほど悲しかったのか、気づくと枕が濡れていて、妙に心に引っかかった。
だからって今、奴隷から出発なのか?
どうせならそこは似せなくても良くて、もっと楽しいシチュエーションでいさせてくれた方が良かったのだが。
それもこれもリテラという女の言うプランの一環なのだろうか?
そうこうしていると馬車は見知らぬ町の廃墟の、崩れかけた石造りの建物の前に着いた。そこで試しに逃走を図ると、「売り物の分際で逃げんじゃねえ!」と、屈強な護衛に捕まって、拳で顔面をぶん殴られたのだった。
そうして、今いる牢屋に入れられたのだった。
同じ牢獄で隣に腰を下ろした、痩せこけて白い髭が伸び放題の老人に、「これからどうなるんでしょう?」と喋りかけると、
「さあてな、若いの。買われて労働者になるか、どこかの屋敷の召使になるか、どこぞの宗派に買われて邪神への生贄になるか」
いや、最後のは何? 怖いこと言わないで欲しいな。
確かに自分の物語には、そんな事も書いたけれども。
それに、俺はもうアラサーだぞ。
お若いのと言われるような年でもないのだが。
休息時間以外、座ったまま動かなくても腹は減る。
陰湿な目つきのガタイがでかい男が食事を持って来るが、味がほとんどしない粗末なものだけで、全く満たされない。
あー、ギトギトのローストンカツが食いたいなあ。
もし本当に異世界へ来たのだとしたら、あの時のリテラと名乗る女との会話は何だったのだ?
いきなり世界最強とはいかずとも、加護ありとかぬかしてなかったか?
約束が違うじゃないか。
出会い系サイトで知り合った女にウキウキ気分で会いにいったら、後ろから怖いお兄さんがついてきて、変なところに連れ込まれて無理やり高額な寄付をさせられた、そんな展開に似てないか?
いや、牢屋に入れられて奴隷になるなんて、それ以下だな、あのクソ女~~。
心の中の俺はどんどんガラが悪くなり、やさぐれた気分になってきている。
でもただ1つ、心の救いがある。
休息の僅かな時間の間だけ、会って話ができる少女だ。
その子の名前は、マーガレットと言う。
休息時間に歩いていてたまたま肩がぶつかって、会話を交わすようになった。
マーガレットも両親から、奴隷商人に売られたようだった。
中学生くらいの年齢だろうか、ほぼ無表情で、自分の事はあまり話さない。
どうせ奴隷なのだからと、自分のことを他人に分ってもらう事を放棄しているようだ。
何だか気になった俺は、それからちょくちょく声を掛けた。
最初は挨拶以外全く会話にならなかったが、それでも少しづつ交わす言葉が増えていって、休息時間には並んで座って話せるようになった。
この世界の事を何も知らない俺は、地球での記憶、ラーメンという見た事のない食べ物の話や、高速で空を飛ぶ乗り物の事や、お気に入りのアーティストの魅力とかの話をすると、聞いた事が無いお伽噺みたいだと興味を示し、微かだか笑顔を覗かせ、美少女としての片鱗を覗かせる。
「ある世界では、携帯電話、というものがあるんだ。手のひらに乗るほどの大きさで、離れていても、顔を見ながら話ができるんだ。他にも、自分が見たことの無い場所の写真や、会った事の無い人の動画が見えたりするんだ」
「え…… しゃしん、どうが?」
「ああ、写真は、風景や人の姿をそのまま絵にしたような物で、動画はそれが動いて見えるものなんだよ」
「へえ、それって、何かの魔法?」
「まあ、魔法に良く似たとこもあるけど、技術って呼ばれる物なんだ」
「ぎじゅつ?」
「うん。勉強して知識があれば、誰でも使えるものさ」
「へえ。誰でもそんなのが作れるなんて、凄いなあ」
マーガレットは俺の話に興味を示し、おっとりとした口調で喋りながら、澄んだ瞳を輝かせ、
「いいなあ。自由になって、どこか遠くへ行きたいなあ」
と静かに呟く。
そう、俺の見立てでは、彼女は絶対に美少女のはずなのだ。
整った小顔で琥珀色の瞳は大きく、体は細めで足が長い。 背中まで伸びる黒髪や素肌も美麗なはずなのだが、何日も風呂にも入れてないからだろう、残念ながら髪はべったりと重く肌は黒くくすんでいる。
そんなマーガレットに、少ない時間でどんな楽しい話をしようかと、牢屋の冷たい床で寝転びながら考えるのが、いつしか日課になっていた。
何だか、年の離れた妹でもできたような気分だ。
――ある日
遠くで話し声が聞こえた。
その声はだんだん近づいてきて、俺のいる牢屋の前で止まった。
「こいつなんか若くて活がいいですぜ、旦那」
「どこで手に入れた?」
「こっから東に何日か行った辺りでさあ。原っぱで寝てたのを、拾って来たんですわ」
旦那と呼ばれた男は黒いフードを被っていて、よく顔が見えない。
鉄格子越しに、じっと俺の方を凝視している。
「分かった、こいつを貰おう。金はすぐに払う」
「へっへー、毎度!」
これってもしかして、俺の売買が成立したってことなのか?
隣の老人に「あれ、俺が買われたってことなるんですかね?」と話し掛けると、老人は無表情に「そうじゃな」と声を出したきり、俺とは目を合わせなくなった。
え、なんか雰囲気が重い。
これってまずいの?
不安が腹の底から湧いてくるのを何とか抑えながら佇んでいると、石床の廊下の向こうから再び声と足音がこだまし、先ほどの二人が鉄格子の前にヌッと現れた。
「そこの坊主、出な。お前はこの旦那のものだ」
断る術はない。
周りを見やっても、誰も俺の方に目を向けず、目の前で何も起こっていない風を装っている。
言われるまま外へ出ると、旦那と呼ばれた男は「付いてこい」と一言だけ冷めた声を発し、出口の方に向けて歩き出した。
黒光りするローブとフードで全身を包み、どう見ても陽気な感じは伝わってこない。
地下牢には俺のいた牢獄以外にも同じような区画が並び、老若男女、頭に耳や角があって人かどうかが良く分からない者まで、数人ずつがひと塊で押し込まれている。
廊下を歩く俺の方を、年端もいかない少女が、じっと目で追っていた。
(ここでは、奴隷や人身売買がまかり通っているのだな――)
旦那を追って石の階段を踏みしめて外へ出ると1台の馬車が止まっていて、旦那がそちらへ向かって進む。
ここに連れてこられた馬車よりも一回り大きく、濃い灰色の車体に豪華な金の装飾が施され、冷たい光沢を放っている。
小さな窓からは、中を伺い知ことはできない。
(どこかの貴族か何かか? いや、それにしては雰囲気が暗いな)
旦那と呼ばれた男以外にも2,3人が周りに立っているが、全員が同じ装束に身を包んでいて、何か冷たく陰惨で、近寄りがたい空気感を醸している。
「おい、これに乗るんだ。さっさとしろ」
言われるまま横の乗車ドアから乗り込むと、後から他の者たちも続く。
暗い色調の壁紙の前に併設された長椅子には赤いカーペットのようなものが敷かれ、先の奴隷用馬車よりは、乗り心地は良さそうだ。
だが、俺のすぐ横には謎の男がどっしり腰かけるので、リラックスできる感じでは全くない。
正面に目をやると、少女が一人座っていた。
中学生くらいの年恰好、背中まで伸びる黒髪はべったりと重たく、枝毛がぱらぱらと目立つ。
目は大きくて鼻筋も通っていて、それなりに美形なのだろうと思われる。
ただ、白い肌はくすんでして、目の下には黒い隈が目立つ。
そう、目の前にいるのはマーガレット。
こちらと目を合わせず、黙って俯いて座っている。
全員が乗り終わるとドアが閉められ、外からガチャリと鍵がかけられた。
馬の嘶きと共に馬車が進みだす。
車内の誰も口を利かず、小窓から差し込む陽光の明るさにもかかわらず、空気が深い水の底のように暗く重い。
(一体、どこに連れて行かれるんだ……?)
とても気になるが、気軽に伺える雰囲気ではないし、なんだか答えを知るのも怖い気がする。
1時間程進んだだろうか。
馬車が止まり、黒のローブを着た連中が車外へと出て行って、俺はマーガレットと二人きりになった。
(ここで話さないと、次のチャンスはいつになるか分からないな)
「あの、マーガレット?」
「……」
マーガレットは目を上に動かして俺を視界にとらえたが、無反応だ。
「この馬車、どこに行くんだろうね?」
「……知らないの?」
「うん、全然。よく分からないまんま、連れてこられたんだ」
「そう」
「どこへ行くんだろう?」
「多分神様のところ」
「へ? 神様?」
「そう」
「それって遠いのかな? 一体何しに?」
マーガレットは顔を上げて、
「多分生贄だよ」
「…… 今、何て?」
「生贄。神様への生贄になるの」
「え、何でそんなことが分かるのさ?」
「噂で聞いたことがある。黒い死神が灰色の馬車に乗ってやって来て、北の神様のところに連れて行かれて、誰も帰って来れないって」
何を言っている?
そんな馬鹿な話があるか、どこの世界の話だと思いながら、どこかで聞いた話だということが頭を過った。
ちょっと待て、まさか、これって……
「生贄…… それって、もしかして、死んじゃうって、こと……?」
「多分。帰って来た人いないみたいだから」
「そんな。生贄なんて、何のために?」
「血がお好みな神様もいるんだって。だから、たまに生贄を捧げて、お鎮するのよ」
いかん、頭がくらくらしてきた。
「なんか全然信じられないけど、それが何で君なんだ?」
「親に売られて、買われたから」
「馬鹿な、そんなことって……」
「あなたは、そうじゃないの?」
え、俺か?
そうだ、俺は誰かに売られたわけじゃないが、何のために連れて行かれるんだ?
考えたくない未来が脳裏をかすめると、胃の辺りにムカムカが込み上げてきて吐きそうになる。
俺が書いた物語の中では、その少女は神への生贄として目の前で殺されるが、主人公は何とか逃げ延びることになっている。
もしかして、ここもその通りなのか?
とすれば、このまま目的地まで行ってしまうと、マーガレットは――
話を衝撃的に盛り上げるための設定なのだが、ここでも本当にそうなるか?
分らない。しかし、もし最悪の場合……
実際に目の前にいる薄幸の少女が、そんな運命を辿って良いのだろうか……
そんな事、許されるはずがない!!!
こみ上げる罪悪感を噛みしめながら、俺はたまらず、「マーガレット、逃げよう」と口にした。
「駄目よ。ここに売られたんだし」
「そんなの、ぶっちしちゃえよ。従う必要ないよ」
「駄目よ。そんなことすると、他の誰かが困るもの」
「……困るってことは、君自身だって困ってるってことだろ?」
「……」
「そんなの、喜んで行きたいはずないだろ?」
「……」
「誰に文句いていいか知らないけど、何で望んでもいないのに勝手に売られて、生贄になんなきゃいけないだ」
「だって、だって……」
今まで人形のように無表情だったマーガレットは、自分の置かれた状況を直視したためか、両の拳を握りしめて涙をこぼし、ガタガタと震え始めた。
「俺はこの世界のルールやしきたりなんかは知らないけど、やっぱり間違ってる。だから一緒逃げよう。機会を伺って、俺が合図するから」
「でも……」
「迷ってる場合じゃないし、多分チャンスはそんなに無い。覚悟を決めてくれ」
マーガレットはまだ逡巡しているようだ。
正直、俺もどうしていいか分からない。
けど、目の前にいる殺されるかも知れない少女を放って、一人だけで逃げるほどドライにはなれそうにない。
全く、もしこれが夢じゃないとしたら、一体どうなっているのだリテラよ、全然シャレになってないぞ。
これが異世界を旅するってことなのか?
今は決断するしかなさ気だが、こんなもの一発しくじったらいきなりゲームオーバーじゃないか。
馬車のドアが開いて、男たちが乗り込んでくる。
今一説得しきれていないが、一旦離れるしかない。
マーガレットは微かに嗚咽しながら、また無表情に戻って下を向く。
馬車が進む中で、どうしたものかと頭を捻る。
外に出られるとすれば用足しの時くらいだが、下手に逃げてもすぐに追いつかれるな。
ましてやマーガレットと一緒に逃げ切れる確率は、天文学的に低いだろう。
中々良い知恵が浮かばないが、馬車は容赦なく毎日毎日進んでいく。
あまり時間が経つと、例え逃げても戻るのに苦労するだろう。
だんだんと焦りが募る。
悶々としていると、突然馬車が減速してゆっくりと止まり、外から声が聞こえてくる。
隣に座る男が、「ちっ!」と舌打ちする。
「検問だ!」
と聞こえる。
何の検問だ?
馬車の前方から話声が流れて来る。
俺は神経を尖らせて、聞き耳を立てる。
「ここから先は山道、その先はグルセイトとの国境だ。この馬車はどこへ行くのか?」
「この先にあるお屋敷でさあ」
「どこの屋敷か知らんが、荷を検める」
「旦那あ、何もありやしませんよ。私ら、単なる運送屋でさあ。急いでるんで、見逃しちゃあくれませんか?」
「ならん、ドアを開けろ」
「今日中に運ばなきゃならねえんでさあ、旦那」
押し問答が続いている。
外にいるのは、この国の警備兵か?
なら、一か八か――
「いてててて! 腹が痛い! 駄目だ漏れそうだ!!!☆」
俺は腹の底から、精いっぱいの大声を上げた。
周りの男たちがぎょっとして俺を見る。
「いてててててて! さっき食ったパンが悪かったのかも! 開けてくれえ、でないと、ここでやっちまうよう!!」
「お、おい、貴様、黙れ!」
隣の男はがつっと俺の肩を握り、黙らせようとする。
俺はちらっとマーガレットの方を見やり、二回ほどウインクをして合図を送る。
意表を突かれたらしく、大きな目をパチクリさせて、俺を凝視している。
(頑張れ。今がチャンスだ。もうここしか無いかも知れないぞ)
祈るような気持ちで、俺は絶叫し続ける。
「うおおおおお、もう駄目だ、死ぬう~~~!!!」
「あ、駄目。私もお腹が痛い、わあああああ!!」
何かを察したか、マーガレットも俺と同じように大声を上げる。
(よし、その調子だ)
「おい、今のは何だ。早くドアを開けろ!」
警備兵らしい男の怒鳴り声が響く。
程なくして、外からガチャガチャと音がして、ドアが開いた。
俺はすかさず、
「うおおおお洩れそうだあああ!」と叫びながら、マーガレットへ目線を送った。
「もう駄目、ああああ!」と絶叫しながら、マーガレットは開いたドアの方へ駆け出す。俺もその後に続いて走り出す。
「おい待て貴様ら!」
黒い男どもが俺を掴んで押し留めようとするが、強引に振り払って転がるように外へ出る。
外には何人かの鎧姿の男たちがいて、急に飛び出して来た俺たち見て驚いているようだ。
俺はさっと兵士に駆け寄り、耳元で「こいつら人攫いです、助けて下さい」と伝えた。
兵士は何も言わずに馬車の中を覗き込む。
「これは何のための馬車か?」
「だから、荷物を運ぶためでさあ」
「この子供たちも荷物なのか?」
「そいつらは、金を払って奴隷商から買い取った正規品でさあ」
兵士が俺の方に目線を送るので、俺は思いっきり首を横にブンブンと振った。
兵士が俺の方に近づいてくる。
「お前らは、金で売られたのか?」
「俺たち兄弟は、一銭ももらってませんし、奴隷になるって言った覚えもありません。無理やりこの馬車に乗せられたんです」
「な、何を貴様! 奴隷商の牢屋にいたのを買われたんだろうが!」
「でも、奴隷になって牢屋に入るなんて、一言も話してません。親もいない俺たち兄弟は、攫われて無理やり牢屋に入れられたんです!」
半分嘘も混ぜ込みながら、兵士の気を引く言葉を並べる。 マーガレットがぽかんとした目で俺を見ているが、今だけ兄弟になってもらった方が、多分ややこしくなくていい。
「成程、奴隷の商売が一部黙認されているとはいえ、攫われた子供達を金で売買することまでは、認められていないな」
「えー、そりゃねえですぜ、旦那」
兵士と押し問答していた男はにやにやといやらしい笑みを浮かべながら、すうっと右手を兵士に向けて突き出した。その時、
「待て!」
と馬車の中から声がして、ドアから黒いローブの男が一人降りてくる。
「兵士さん、おたくらも仕事だろうが、我々も仕事だ。ここは、お互いの利益になることを考えないか?」
「どういう意味だ?」
「我々の誠意をお示しする。それで納得してもらいたい」
おい、それってまさか、買収するってことか?
それは勘弁願いたい……
「最近我が領内から、子供がいなくなる事件が増えている。それもあり、領主アーデルシア・ソト公爵閣下から、国境へ続く道を厳重に警戒しろとのご命令が出ている。従って見過ごすことはできん」
兵士は毅然と言い放った。
「そうですか、それは残念ですな。では今日の所は引き上げるとしましょう」
男はそう言うと、卑しいものを見るような冷酷な眼差しを俺に向けてから、馬車へ乗り込んだ。
灰色と金色の馬車は、俺とマーガレットをその場に残して去っていく。
馬車が遠くに見えなくなってから、俺は全身の力が向けて、地面にへたり込んだ。
お読み頂きありがとうございます。