第18話 地球へ
俺はマジックボードを手に取ると、神様通信を立ち上げて、チャットを始めた。
『こんばんは、ライラさん。お聞きしたいことがあるんですけど。ログオフで地球へ戻れるっ事だったと思うんですが、再びこっちに戻ってきたら、どこからのスタートになりますか?』
睡魔と戦いながらしばしぼーっとしていると、返信が返ってきた。
『ユウヤさん今晩は。久々に連絡が入って、ちょっとびっくりしました。元気されてましたか? 地球から再びログインして頂いたら、ログオフされた、その場所、その時間に戻りますね』
『年も同じですか?』
『はい、同じです』
そうか、ゲームでセーブしたとこからスタートするのと、似ているな。
『一旦帰っても、またここへ返ってこれますよね?』
『はい、リテラ様の大逆鱗に触れない限りは、大丈夫かと』
え、そうなのか。
あの人結構怖いんだな。
あ、ついでにこれも聞いとこうか。
『俺がこっちの世界へ来た時、何で最初は奴隷だったんですか?』
『えー、そうでしたっけ? 今度リテラ様にお伺いしておきますので』
何だ知らないのか、それともはぐらかされたのだろうか。
『ところで、ライラさんは、こっちの世界の人なんですか?』
『そうです、この世界で、リテラ様にお仕えしています』
『そうですか、なら、どこかでお会いできるかも知れませんね。どの辺りにおられるのですか?』
『それは、また今度までのお楽しみ、ということで♡』
はい、ありがとう。
とりあえず一度、ログオフしてみるかな。
でも、また絶対戻っては来たい。
まだまだ冒険はしたいし、ティアとももっと仲良くなりたいしな。
マジックボードのログオフの欄に触れると『ログオフしますか?』と聞いてきたので、YESを選択した。
すると意識が朦朧となって、深い眠りに落ちるような感覚に見舞われた。
ーー 再び気が付くと、
俺は見慣れた部屋でパソコンに向かっていた。
そう、ここは俺の部屋、地球の。
はっきり覚えている。
今日はプレゼンの仕事から帰ってきて、ビール片手にパソコンを立ち上げて、検索していたらリテラのサイトを見つけて…… 何だ、しっかりと覚えている。
とても2年半のブランクがあるようには思えない。
と同時に、会社で行き詰まり感があるのも、ひしひしと蘇ってくる。
パソコンではリテラのサイトが立ち上がったままだ。
ログインボタンがある、ここを押せば、また向こうの世界に戻れるのだろう。
とりあえず、夜が明けたら会社へ行ってみようか。
そう決めて、傍らに置いてあったビールをグイっと飲み干した。
翌日、俺はいつもの時間に目が覚め、いつも通り顔を洗う。
鏡で見た感じでは、年格好も変わった風には見えない。
朝飯はそこそこで会社に向かった。
いつもの駅へ向かう道、何だか体が軽い。
普段はもっと重たい感じで、少し急ぐと息切れがするのだが、今日はそんな感じが全くない。
両の足が軽快に前に伸びて、先に行く人に追いつき、追い越していく。
(あれ、しばらくこっちを離れていた間に、体力がついた?)
と思ってしまう。
電車に揺られて30分、最寄り駅から徒歩10分で、職場のある『株式会社セイレイ』のビルへとたどり着く。
ここまでは、本当に2年半前の普段通りだな。
ビルのエレベーターで、職場のあるフロアに向かう。
このフロアは製品を開発するセクションのオフィスが集められており、1つ下のフロアには、たくさんの実験室がある。
上の方のフロアには役員室、企画、マーケティング、営業、人事、経理等。製造工場以外の機能は、このビルに一通り揃った感じだ。
俺は生活用品を開発するセクションにいて、新しい浄水器の開発に、日夜取り組んでいる。
昨日のプレセンは、顧客の仕様に合った製品コンセプトの提案だった。
上司に挨拶してから、席に着く。
これも、いつも通りの日常。
向こうの世界の日常とは、やっぱり違うな。
いつも通り仕事をこなし、同じセクションのメンバーと昼飯を食べて、午後の時間に入る。
いつもならこの辺りでぐったり来るのだが、やはり今日は体が軽い。
仕事もよくはかどって、早く帰宅できそうだ。
もうじき定時で、そろそろ帰り支度をしようとした矢先に、上司から会議室に呼ばれた。
そこには直属の上司とともに、普段ほとんど話さない部長も一緒に座っていた。
「まあ、早乙女君、座りたまえ」
「はい、失礼します」
「実は、昨日のプレセンの事なんだがね、先方さんがえらく気に入られたみたいで、上の役員へのプレセンもお願いしたい、との事なんだ」
「え、そうですか。それは、良かったです」
「それでだね、来月、ブルジア共和国へ飛んでもらって、そこでプレセンをしてきて欲しいんだ」
はあ?
何ということだ。てっきり不発に終わったと思ってたが、急転直下だな。
「こういうのはスピードも大事だからね、是非よろしく頼む。それと、事前準備と現地でのサポートということで、マーケ部門から応援に来てもらうことにしたから。しっかり話をつめて、頑張ってきて欲しい」
部長の横に座る、田山課長も口を挟む。
「早乙女君がこつこつやってきた事が、ようやく実を結ぶかも知れないね。現地には僕も同行するから、一緒に頑張ろう」
「はい、分かりました。頑張ります」
「早速明日マーケの方と打ち合わせをするから、9時にこの会議室へ来てくれ」
会議室から出て、少し憂鬱になった。
海外だと、英語のプレゼンだよな、全く自身がない。
まあできる範囲でやるしかないかな。
とりま、今日はサクッと帰ろう。
―― 翌日朝9時前、
俺は会社のオフィスにいる。
本当はちょっとだけ様子を見てムーンガイアに帰るつもりが、急展開もあり気になって来てしまった。
予定時間になったので会議室へ出向くと、他のメンバーは既に揃っていた。
俺の目の前には、マーケティング部門の課長さんと、どこかで見た覚のある女性が座っている。
会議開始後に、マーケの課長さんが、
「この件は、うちの課からは、姫宮さんに参画してもらいます」
「どうも、姫宮です。皆さんの足を引っ張らないよう頑張りますので、よろしくお願いします」
こちらの田山さんも、それに答える。
「ご尽力ありがとうございます。海外周りはマーケさんの土俵なので、とても心強いです。こちらが早乙女君、この件の開発担当です」
「あ、早乙女です。どうぞよろしくお願いします」
「では早速ですが、今後の進め方について――」
その後の打ち合わせの合間に思い出したが、この姫宮さんは確か、入社3年目で、入社早々からいくつかの案件に参画して、実績を上げている。
特に、去年大型案件に入って成功させた逸話は、しばらく社内の語り草になった。
そんな人が来たということは、会社としてもそこそこ本気だな。
「あの、私は、もっと事前準備の時間をとった方がいいと思います」
さすが姫宮さん、発言も積極的だ。
でも、見た目はそんなにバリバリには見えないな。
どっちかっていうと、癒し系でネコのような感じだ。
柔らかい話し方と女性らしい仕草が、何とも和む。
多分胸元は、意識しなくても協調されてしまう大きさなのだろう、つい目が行ってしまう。
男子社員からは絶大な人気があって、先輩や同僚たちが、よく噂していたなあ。
実際に間近で見ると、完全に納得してしまう。
髪の毛もシルクのようにサラサラで、艶やかに光沢を放っている。
いかん、仕事に集中できない。
2時間ほどの会議が終わって外へ出ると、姫宮さんが駆け寄ってきた。
「あの、早乙女さん、よろしくお願いします。機械のこととかよく分かってないので、ご迷惑をかけないように気を付けますので」
花が綻ぶような笑顔で喋られると、どんなことでも許してしまいそうになる。
「いえ、こちらこそ、よろしくお願いします。海外のことって、俺あまり得意じゃないので」
「はい、一緒に頑張りましょう!」
これでひとまず自由の身かと思い、その場を離れようとすると、
「早速なんですけど、今日の夕方から時間ありませんか? 市場調査について、ちょっとすり合わせをさせて頂きたくて」
なるほど、やっぱり仕事熱心なのね。
昼休み、姫宮さんと仕事することになったと同僚たちに伝えたら、口から食べ物を吹き出さんとする勢いで驚かれた。
「お前、マジかよ。あの姫宮さんと一緒に、海外出張?」
「ああ、事前準備があるんで、今日の夕方からも一緒だ」
「何だよ~、変わってくれよう、頼むからさあ」
そうか、やっぱり他からしたら、羨ましいんだろうな。
「でも姫宮って、技術企画の高野と付き合ってるって噂だぜ」
「え、マジ? それじゃあ、絶対にだめじゃんよう」
高野という名前は、俺も聞いたことがある。
確か俺の同期だが、姫宮さんが去年参加してた大型案件に入っていて、一時姫宮と共に噂の的だったな。
元々顔がいいので、入社当時から女子受けは良かった。
「去年の件以来、そうらしいぜ。今でもよく、一緒に帰ってるらしい」
「何だよう~、この世の中、不公平だよなあ」
まあ、美男美女がずっと一緒にいると、自然な流れでそういう事もあるんだろうな。
一応、話聞いといて良かったな。
午後からは、実験室でデータ採りの仕事の後、オフィスへ戻り、解析作業だ。
定時時間少し前になって、大きなファイルとパソコンを抱えた彼女が現れた。
「早乙女さん、ごめんなさい。前の会議が長引いて、遅くなってしまって」
「いや、いいですよ。これからやりますか?」
「はい、お願いします!」
2人で、フロア隅の会議室へと移動する。
「ここ静かだから、仕事しやすいんですよ」
「そうなんだ、よく使ってるの?」
「ええ、前のプロジェクトの時とか、結構使ってました」
姫宮さんは俺と並んで座ると、パソコン画面を開いて、俺の方へにじり寄った。
肩と肩が当たりそうだ。
「今、こんな資料作ろうとしてるんです。ブルジア共和国とその周辺地域の、需要予測なんですけど」
「ブルジアだけじゃなく、周辺地域も調べるの?」
「はい、今度のプレゼン先は、この地域のヘッドクウォーターで、周辺国にも輸出しています。トータルでどれだけの売り上げが見込めるかを出したいんですけど、浄水器にも色々あって、当社がどこを攻められるのかとか、よく分かってなくて」
「置き換えか、新規参入かとかもありますしね。分かりました、一緒に考えましょう」
「はい!」
姫宮さんはまた柔らかな笑顔で頷く。
それ、反則級だなあ。
あれやこれやと真面目に考えているうちに、すっかり時間が経ってしまった。
気づくと外は真っ暗で、時計は7時を回っている。
「ごめんなさい、早乙女さん。話に夢中で、すっかり遅くなっちゃいました」
「いや、お陰で少し見えてきましたよね。今日はこのあたりにしましょうか?」
「はい」
会議室を出ると、フロアの人影はまばらになっていた。
「早乙女さんは、もう帰られるんですか?」
「ええ、そのつもりです」
「私もです。良かったら、そこまで一緒に帰りませんか?」
「え、ああ、はい」
ちょっと意外な展開だ。
しかし、断る理由もないよな。
1階の吹き抜けのフロアで待ち合わせして、俺たちは社屋から退出し、駅の方角へと向かう。
「早乙女さんは、お一人暮らしなんですか?」
「ええ、そうです。姫宮さんもですか?」
「はい、こっちの学校を出て、今の会社に就職して、そのまんまかなあ」
「ご飯とか、自分で作ったりするんですか?」
「ええ、結構しますよ。でも仕事で疲れた時なんかは、コンビニのお弁当とかです」
「はは、俺もそれだな」
会社から10分ほど歩くと、最寄り駅が見えてくる。
姫宮さんから、じゃあこの辺で、と言われるかと思っていたのだが、
「早乙女さん、お腹空きませんか? 私、今日このまま帰ってもコンビニ直行だから、良かったらどこかでご一緒に」
全く予想外の言葉だ。
こんなお誘い断る奴は多分いないが、今日高野の話を聞いたばかりだしな。
でもあれは単なる噂だし、仕事の仲間としてはありだよな、うん。
「ええ、そうしましょうか。俺も腹が減りました」
「よかったあ、じゃあ、どこ行くか調べますね。何食べたいですか?」
別に何でもいい。
二人だと、緊張してあまり喉を通らないかも知れないし。
どうせなら普段行かないところにしましょうかと、電車で少し移動した所にある、新規オープンの居酒屋をチョイスした。
平日なので大丈夫だろうと思っていたが、人気店なのか人が多く、何とか滑り込みセーフで二人分の席を確保できた。
「ここ、海鮮とか焼きが美味しいみたいですよ。何か飲みますか?」
「えーとじゃあ、ビールで」
俺は店員に声をかけ、とりあえず生中を2つ注文する。
彼女はメニューと睨めっこしてから、「これとこれと、これにしませんか?」と、お薦めを選んでくれた。
生中が2つ運ばれてきたので、お疲れ様の乾杯の後、俺は一気に冷えた泡と液体を煽る。
仕事上がりのこの一杯はたまんないな~、と痛切に感じつつ彼女の方を見やると、コクコクと俺が負けそうな量を喉に流していた。
「へえ、姫宮さん、結構いけるんですね」
「あ、いえ、そうでもないですよ。でも、うちは両親ともお酒が強いから、そこは少し似てるかも」
「いーじゃない。お酒飲める人、俺は好きだな」
「そうですか、じゃあ、今日はばんばんいっちゃおうかなあ」
料理が来るのを待たず、俺は生中2つのおかわりをオーダーした。
刺身に焼き盛りに特製サラダ、彼女が選んでくれた料理はどれも美味しい。
2杯、3杯と酒が進んでいくうちに、すこしだけ彼女の頬が赤くなった。
ひとしきり学生時代のことや仕事の武勇伝の話題に花を咲かせた後、彼女からまた意外な突っ込みがあった。
「ところでユウヤさんは、仕事と恋愛とだったら、どっちとる派ですか?」
一応、真面目に答えようか。
「えーそうだなあ。どっちも選べないかなあ。どっちも大事なものだったら、1つには絞れないかな」
「ふうん、そうなんだ」
「姫宮さんは?」
「私もそうかなあ。やりがいのある仕事ができると幸せだけど、それだけだと中身が空からになりそうだし。やっぱ癒してくれる存在は、いて欲しいかな」
「誰か、現在進行形の人とか、いるの?」
「えっ… いないいない、いませんよお! 今は」
そうか、本当かどうかは分からないが、同僚が聞いたら喜ぶだろうなあ。
「でも姫宮さん人気あるから、色々とアプローチとかあるんじゃない?」
「……あの、無くはないです。でも全部断ってるので。今はホントに全然何も無いです!」
と、両手の平をブンブン振り回す。
別にそんなに、ムキにならなくてもいいのに。
「そういうユウヤさんは、どうなんですか?」
「え? 俺も、何もないよ」
と言いながら、ぼんやりと一人の少女の姿が、脳裏に浮かんだ。
この世界じゃない、異世界にいるティアの姿が。
そんな風に宴もたけなわではあったが、明日もあるので、速めに店を出ることにした。
店を出てすぐ、三人組の男子とすれ違いざま、姫宮さんの肩がその内の一人にぶつかった。
すぐさま彼女は頭を下げる。
「あ、ごめんなさい」
「ちょっと待ってえ彼女、肩がとっても痛いのお。かまって欲しいなあ~」
「えと、ごめんなさい。失礼します」
「待てやあ! 人にぶつかっといて、ごめんだけで済むと思うんかい!」
(うわっ、何だこいつら。ちょっと軽そうななりしてるが、もしかしてヤバ系か?)
「へえー、彼女、すげえ可愛いじゃん。俺たちと付き合ってよ。朝まで一緒にいてくれたら、許してあげるからさあ」
(あー、何だ、またお約束のような絡みか? ついこの前、ティアと一緒の時にあったじゃないか)
俺は「あの、本当にすみません。ちょっと急いでるので、これで」と言ってはみたが、多分これでは済まないんだろうな。
「あ? お前はいいんだよ。どっか消えな」
「いえ、そういう訳にもいかないんですよね」
姫宮さんは怯えながら、俺の背中に身を隠す。
何発かは覚悟かな、その間に、誰か助けてくれるといいがな。
「ざけんなよおっ!」
肩が当たった男が、拳をふりあげて向かってくる。
痛いのはやだなと念じながら凝視していると……
あれ?
避けられそうだ。
男の動きがゆっくりに感じられて、どっちに避けたらいいかイメージが沸く。
その通りに体を動かすと、男の拳は空を切って、前につんのめって路上へ倒れこんだ。
「てめえ!」
他の2人が襲いかかってくるが、やっぱり同じだ。
右ストレートと左からのタックル、俺は一発も入れられることなくさっと躱す。
最初に倒れこんだ男も交じって3人から攻撃を受けるが、手さばきと足運びでどれも跳ね除け続ける。
「警察だ!」
野次馬の中から叫び声が上がる。
それを耳にして3人組は、「チッ!」と吐き捨てから、その場を去っていった。
そのあと警察から軽く事情を聞かれたが、「ユウヤさんは、一つも手を出してないんです!」と姫宮さんが強烈にアピールしてくれたこともあって、すぐに無罪放免となった。
「大丈夫だった?」
「ごめんなさい、私のせいで。でも、怖かったです。え~ん」
「気にすることはないよ。きっと向こうも、わざとぶつかって来たんだ」
「え~ん……」
まだ彼女が動揺しているみたいなので、家の前まで送って行くことにした。
実は俺の家とかなり近く、乗る電車の方向も同じだった。
彼女の部屋があるマンションの前まで来ると、大分落ち着いたようだ。
「ごめんなさい、ユウヤさん。わざわざここまで、ありがとうございます」
「いや、気にしないで。俺も帰る方向、こっち側だし」
「ユウヤさん、凄かったです。あの3人相手に一回も手を出さないで、怪我一つしないなんて」
「そうだね、必死だったけど、運がよかったね。じゃあ、また明日ね」
そう言って、俺は家路に着いた。
そういえば俺、いつの間にかユウヤさんと呼ばれていたなあ。
今回も、お読み頂きありがとうございます。