第1話 始まりの話し
新参門ですが、どうぞよろしくお願い致します。
これ、あの電子メールから始まった。
……のか?
俺は今、ごつごつした石造りの冷たい床の上に寝ている。
壁に窓はなく、狭く薄暗い。空気が淀んでいて息がしづらい。
俺の他にも、周りに何人かいる。華奢な老人、汚れた服を着た子供、大柄な男――
別の方向に首を振ると、黒光りする細い棒が、等間隔に立ち並んでいるのが目に入る。
ここは牢屋だ。
見ず知らずの町…… と言うか、廃墟に近い場所の。
僅かな休憩時間に外に出て見渡した範囲では、鬱蒼と茂る木々の合間に顔を覗かせる建物はどれも古く朽ち果て、この地下牢の上階の建物も同様で、一部が崩れていた。
小学校のグラウンド程の広さの広場の周りは柵で囲まれ、出入りが許されない。
俺たちと、それを見張る屈強で目つきの悪い、腰に剣をさして武装した連中の他は、行き交う人の姿も無い。
この廃墟は奴隷キャンプ、俺たち奴隷を閉じ込めておくための。
もう3週間程ここにいる。
この場所に到着した際、「これは夢だ」と自分に言い聞かせて逃げ出そうとしたら、護衛の男にあっさり捕まってぶん殴られ、口の中からしばらく血が止まらなかった。
(夢にしては中々覚めないし妙にリアルだ。あの女の言う事は、やはり本当だったのか――?)
―――――――
この俺、早乙女優也は、都内の中堅機械メーカーに勤める技術者だ。
入社してから早5年ほどになるが、目立った実績も上げられず、同期の入社組連中には水を空けられている。
今日は入社以来初めて、自分が開発した製品を、顧客メーカーにプレゼンした。
かなり気合をいれて資料を準備し、慣れない笑顔で目いっぱい虚飾をはってアピールしたが、返ってきたのは、
「ありがとう、検討します」
との、通り一遍の乾いた返事だけだった。
日が傾いても、夏の暑さはまだまだ堪える。
街の喧騒に交じって、遠くから蝉しぐれの音が響き渡る。
「お疲れさん、飲みに行くか? 奢るよ」
その場に同席していた上司は俺に気を使い、帰り際に居酒屋に誘ってくれた。
その上司には入社以来お世話になっていて、今回の準備にも深夜まで付き合ってくれた。
2時間ほど上司と他愛のない雑談をしてから、コンビニでビールと唐揚げを買って、自宅に戻った。
俺は地方の2流大学を卒業後、都内に越してきて、築20年の安アパートで一人暮らしをしている。
大学を出てからは彼女もおらず、たまに旧友や会社の同僚とつるむ以外は、大した趣味もない。
でも昔から、小説を読むのは好きだ。
特に、何と言ってもファンタジー小説!
子供の頃にはまったロールプレイングゲームの影響もあって、色んな物語を読むようになった。
部屋の隅には数百冊の本が山積みにされ、WEBで公開される新作には常にチェックを入れ、本屋にも足しげく通っている。
魔法使いが「ヘルファイアーー!!」とか叫んで魔物に炎を放つようなシーンに接すると、劇的にスカッとする。
知らない世界を旅するワクワク感は、現実でのイライラやストレスを一時忘れさせてくれて、また頑張ろう、といった気にさせてくれる。
作家さんはある意味、文字を操る魔法使いなのかも知れないと思う。
文字の組み合わせであらゆる世界を作り上げ、読む者を楽しくも悲しくもできる。
読者の想像力を最大限に掻き立て、頭の中で見知らぬ世界を鮮やかに実体化させる。
本を開けば、スマホを覗けば、ゆったりとした読者自身の時間の中で、主人公や周りの魅力的な人々と経験や共感を共にし、恋愛をし、時に悲しい思いをし、読者自身が主人公や悪役やヒロインになることもできる。
豊かな自然、紺碧の空と緑の大地、山間の古い町並み、見た事のない生き物、そこに暮らす人々の笑顔、若くて清楚な乙女との熱い触れ合い……
いや、まあ最後のはどうでもいい、アラサー男の妄想だ。
とにかく、いつでもどこでも、読者は時空を超えた旅人になれる。
作家さんたちには、本当に感謝だ。
俺自身もそんな風になれたらなといつしか思い、たまたま夢の中で見た冒険話をきっかけに、隙間時間を見つけてコツコツ物語を書き、小説投稿サイトに掲載してみた。
しかし現実はそう甘くなく、閲覧数は全く伸びない。
今日も部屋に戻ってからシャワーを浴び、いつものように缶ビールを片手にパソコンを立ち上げ、検索サイトのニューストピックを斜め読みする。
世界環境会議、共同声明
メジャーリーグ大友、105球完封勝利
アフリカの農村で集団自殺か
人気漫才師、コンビ解散
部屋にいながらにして、大小有象無象の情報に触れられるのは便利だな。
けど、この国に住んで黙々と日々の生活をこなす俺にとって、対岸の火事と感じてしまうことの方が多い。
日課になっているメールチェックをすべくメーラーを立ち上げると、ジャンクメールに交じって、1件の新着メールが目に留まった。
『ファンタジー小説家を目指す貴方、剣や魔法の世界を実際に旅してみませんか? 特典多数!』
とあった。
新しいロールプレイングゲームのモニター募集とかのダイレクトメールだろうか。
それはそれで面白いな。
記載されていたURLをクリックするとページが立ち上がり、女神のコスプレっぽい白い服を着た、金髪でサファイアブルーの瞳をもつ女性がウインクしてほほ笑む写真とともに、ユーザ登録へと案内する画面が映し出された。
『こんにちは! このサイトが見られるのは、選ばれた方だけです。ご自身が作った物語とよく似た世界を、実際に自由に旅をしてみませんか? ご希望でしたら、いつでもこちらの世界に戻ってくることもできますよ。事前に面談させて頂きたいので、是非お気軽にご登録を 英知と慈愛の神 リテラ♡』
(かなりの美人だ。中々本格的になりきっているな)
と感心しながら、興味が沸いた俺は、登録フォームに名前やメアド(これって、既に割れてるんじゃないか?)、趣味や、旅してみたいシチュエーションとかを記入して、送信してみる。
10分くらいして、リテラと名乗る差出人から、メールが入った。
『ご応募ありがとう、リテラ感激です。良かったら、今からお顔を見ながら、お話しませんか? 以下をクリックして下さい!』
(何だか積極的だな。もしかして、新手のデート商法か?)
少し警戒感を抱いた俺は、しばらく放置してみることにした。
するとまた10分くらいしてから、
『何で来てくれないの? リテラ寂しいなあ~。 善は急げともいうから、こっちからつなげちゃいますね』
とのこと。
(そんなことできるのか? できるものならやってもらおうか)
若干面白がりながら唐揚げを頬張って待っていると、突如画面が揺らいで、先ほどの写真の美人女性が登場した。
「こんばんはー、リテラです。早乙女優也さんですね?」
「あ、はい。今晩は。何ではれ★? ふぐふぐ」
意表を突かれて、唐揚げを喉に詰まらせながら、間抜けな返しをしてしまう。
「ごめんなさい、急に。お邪魔でしたか?」
確かに急でお邪魔な感じはなくはない。が、金髪で青い瞳の清楚系美女に微笑みかけられて、悪い気はしないな。
金色の髪飾りが、とても眩しい。
「あ、いや、別にいいんですけど。でもどうやってつなげて?」
「それは、すみません。少しだけ、神の力を使わせて頂きまして」
神の力、そうか成程、世界最強のハッカーで、神と崇められている輩でも傍にいるのか。
「ご応募ありがとうございます。説明は読んで頂けましたか?」
と、キラキラと輝く笑顔を投げかけるリテラ。
確かに慈愛に満ちているかもと、つい見とれてしまう。
「はい、一応。異世界を旅するのですよね?」
「はい、そうです。あなたが作った物語と似た世界を旅して頂いて、創作活動に生かして頂くプランです」
「あれ? どうして俺が物語を作ってるのを、知ってるんですか?」
「某小説投稿サイトに掲載されていましたよね? それを見て、あ、似たような異世界があるな、と思いまして」
「……メアドとかは、公開してなかったはすですが?」
「あ、すいませんそれも、ちょっと神の力を……」
(一体何言ってるんだこの人。なんか、すごく胡散臭くなってきたな)
「まあまあ、細かいことは置いといて。実際に異世界を旅して頂くと実感が湧いて、より執筆活動にも熱が入るのかと」
「なんで、そんなプランがあるんですか?」
「優秀な新人作家さんに育って頂く為です。英知の神としては、文学の発展もまた、重要な使命まのです! 実際にこのプランの後、作家さんデビューをされた方もいらっしゃいますよ」
「にわかには信じられないですが、ゲームの話ではないんですか?」
「ゲームじゃなくて、本当に異世界を旅して頂きたいんです。それと出来たら、その異世界が変な方に行かないように、ご協力もお願いできればと…… あ、でも心配はいりません。ご希望でしたらいつでもこの世界に帰って来れますし、異世界で過ごした分は、この世界では年は取りません」
(は? ゲームすると、その分年は取るでしょ)
と心の中で呟くと、
「すぐには信じられませんか? でも、ゲームの話ではないんです」
と、リテラはやれやれといった表情で首を振る。
「これから標示されるログインボタンを押して頂くと、異世界へ転送されます。もちろん、お困りにならないように、出来るだけユウヤさんの物語に沿った加護はお渡ししちゃいますので」
「加護? チートスキルで世界最強、とかですか?」
「えっと、まあ、いきなり世界最強とまではいきませんが、そんな感じもあるかと…… ちなみに今回の募集は特別なもので、優也さん以外の候補者はまだおられませんので」
(なるほどー、あなただけ特別、早くしないと無くなるよ、的なものか。よくある詐欺の手口だな)
「詐欺じゃないです、信じて下さい! 異世界を旅したいというご希望があれば、それも叶えられると思いますし、今おられる世界でのご利益もお約束します!!」
とリテラに叫ばれて、俺は少なからずギョッとした。
まさか、俺の心の中を読めるのか?
リテラの表情からは、何となくだが切羽詰まった感じも伝わってくるのだが、ノルマとかでもあるのか?
とか考えると、画面上のリテラがふくれっ面をしている。
それもまた可愛くはあるが。
「これって、タダなんですか? 後から高額請求が来るとかじゃないですよね?」
「はい、もちろんです。出血無料奉仕大サービス中です!」
「世の中が変なことにならないように…… これが、ゲーム、あいや、旅の目的ですかね? 魔王なんかを倒すとか?」
「まあ、そうなんですけど、魔王を倒して終わるとかより、もうちょっと複雑でして……」
「ラスボスっぽいのが沢山いるとか?」
「えと、そんな感じもあるんですけど、戦えばいいってものでもなくて……」
(何だよ、煮え切らないな)
「ごめんなさい。一言では言い辛らくって」
もしかしてこの人、まだ仕事を覚えていない新人さんとかか?
まあ仕方がない。
「分かりました。少し考えさせて下さい」
そう答えると、リテラは「よろしくね、待ってますから!」と、名残惜しそうにしながら画面から消えた。
どうしようかなーと少し悩んだが、何かの勧誘にしては筋が通っていて面白そうだと感じた俺は、画面のログインボタンを押してみた。
すると急に気が遠くなり、気が付くと俺は、ゴトゴト揺れる小部屋の長椅子で寝ていたのだ。
お読み頂き、ありがとうございます。