正体不明の異邦人 3
「まさかあなた……オリバー子息を王位につけるために、わざと?」
デメトリア姫は私の問いに答えなかった。だけど、それが何よりの答えだ。
「で、でも、大勢の人々に誤解されたままでいいのですか?」
我慢できなかったのだろう。エミリアが勢い込んで問い詰める。デメトリア姫は小さく頷いた。
「そうすることが国のためになるなら、悪名は甘んじて受ける。わたくしは、この騒ぎが落ち着いたらどこかの領地でひっそりと暮らせばそれでいい。オリバーとはそういう約束になっている」
(なるほど。二人で示し合わせてたから、晩餐会場でああもオリバー子息が強気でいられたのね)
わたしは彼女の未来を知っている。この二日後の建国祭で、オリバーは正式に後継者に指名される。そして王位継承権をはく奪された姫はとある領地を与えられ、ほどなく移住することになるのだ。
(すべては彼女の望み通り。だとしたら、納得がいかなくてもわたしの出る幕はないわ)
ふいに部屋の外がバタバタと騒がしくなったと思うと、バンと扉が開いた。
「デメトリア姫様! いったいこれはどういうことです!?」
やってきたのは数人のメイドたち。背後のデメトリア姫のビクリとした気配が伝わる。一団の最前列にいた、でっぷりとした体格の、中年女性が大きく目を吊り上げて開いた。
「まったく、晩餐会の途中に退出だなんて! また私の教育がなってないと叱られるというのに、そんなこと姫様はどうでもいいのでしょうねえ」
「じ、侍女長……」
確かに主催国の姫が途中退席するのはあまり外聞のよいものではない。しかしそれにしたって、自国の姫君に対しあまりにも無礼ではないだろうか。
「……第一、この者たちは誰なのですか。少なくともネス国の使用人ではないようですが」
ギロリと睨まれ、姫がさらに縮こまる気配を感じた。どうやら彼女が苦手らしい。まあ、この終始高圧的な態度で叱られ、いい気分の人間もいないだろうが。
わたしは出来るだけ控えめな態度で挨拶した。
「初めてお目にかかります。わたし共はラウチェス王国から参りましたメイドでございます」
「ラウチェス王国の……? ああ、バルテリンク辺境伯の連れてきた使用人ですか」
わずかに動揺した様子が見て取れた。
ネス国にとっては大切な同盟相手であると同時に、敵対すれば恐ろしい大国でもある。使用人とはいえ、無下には出来ないと思ったのだろう。
しかしすぐに居住まいを直し、ギロリと睨み返してきた。さすがに腐っても長と呼ばれる立場まで上りつめただけあって、ラウチェス王国の名前だけで引き下がるつもりはないようだ。
「それは大変失礼致しました。それで一体バルテリンクのメイドが、我が国の大切なデメトリア姫様に何の御用でしょうか」
(ついさっきまで怒鳴りつけておいて、『大切なデメトリア姫』ですって?)
彼女の言葉が上辺だけであることを示すように、後に控えていたメイド達が忍び笑いを漏らす。感じが悪い!
「大したことではない。明日の空き時間に、離宮を見せてやる約束をしたのだ」
「まあ、姫様! 勝手なことを」
「いいではないか。オリバーと違い、わたくしは特に予定は入っていないのだから」
「それでも了承もなく決めないで下さいませ。こちらにも都合というものがあるのですから」
なんだか旗色が悪くなってきた。
「大切な外国のお客様ならともかく、ただの使用人にわざわざ離宮の案内を? そのような軽々しい行い、我が国が笑われてしまいます」
「そ、それは事情があって……。彼女達にはとても助けられたのだ」
「他国とはいえ、使用人が貴い身分の方をお助けするのは、ある意味で当然の行為です。のちほど彼女達の主人であるバルテリンク辺境伯様にはお礼を申し上げますので、それで十分でしょう」
侍女長の威圧的な態度に鼻白みながらも、困ったことになったと思った。ネス離宮の見学はこの旅行で最も重要視していたイベントであり、外すことは考えられない。わたしが正体を明かせば話は早いが、それはリュークには釘をさされている。
(そんな、ここまで来て……!!)
どうすることも出来ずに歯がみしていると、後に控えていたエミリアが堂々と前に出た。
(エミリア……?)
彼女はわたしを安心させるようニコリと微笑むとさらに一歩前に出た。
「侍女長様。一つ、訂正させてくださいませ」
「なにがでしょう?」
ドキドキと見守る中、エミリアはツンと鼻を高くして言った。
「私どもはリューク様のメイドではありません。第四王女殿下……ユスティネ王女様のメイドでございます!」
ザワッ!!
(……うん? ザワッ?)
途端にどよめいた空気を不思議に思うより早く、エミリアは更に一歩前に出る。あれほど尊大な態度をとっていた侍女長が、初めて後ずさった。
(……いや、だからなんでよ???)
「ユスティネ王女殿下はこの国の文化にとても興味を持たれ、特に名高いネス離宮について関心をお持ちです。しっかり実物を見学し、その内容をつぶさに報告するようお命じになりました。デメトリア姫様も私たちの主の名前を聞いて、快く案内をお引き受け下さったのです。そうですよね、デメトリア姫様?」
「え……ああ、そうだとも!」
「ふふっ。もしお断りをされるというのでしたら、その経緯も全てお話しなければなりませんね」
メイドたちは途端に狼狽え、顔を見合わせる。
「バルテリンクの暴く……いえ、第四王女殿下が?」
侍女長はぶるぶると悔し気に身を震わせ……って。なんなのよ、その暴君ってのは! ちゃんと聞こえたわよ!?
「ネス国の侍女長様が、デメトリア姫様のご厚意を独断でお断りした、と報告させていただいても?」
「お待ち下さい!!」
侍女長の顔色は真っ青だ。
真っ青になる理由がわからない。
「……そ、そういう事情だとは知らず失礼いたしました。どうぞこの国の文化を堪能くださいませ」
エミリアは満足げに頷いた。
すごい。この子のこの自信はどこから来るのかしら。まさか、わたしの評判の悪さに自信をもってるわけじゃないわよね?
「私たちがいる間は、デメトリア姫様のことはお任せください。もちろん異存はありませんよね?」
「くっ……こ、こんな正体不明の異邦人に王宮を出入りされるなんて……」
「なにか?」
「い、いえ。かしこまりました」
「うふふ。ユスティネ王女様もきっとお喜びになりますわ!」
侍女長たちは悔し気に、しかしすみやかに身をひるがえし退出していった。やがて完全に姿が見えなくなると、エミリアがドヤ顔で振り返る。
「どうですか!? 無事あいつらを追い返しましたよ!」
「追い返しましたよ、じゃないわ!? なによあれ、人を悪魔かなにかみたいに……!!」
納得いかないわたしを、デメトリア姫が笑いを堪えながらなだめる。
「ふふっ、仕方あるまい。あのユスティネ王女の傲慢さと傍若無人ぶりは、わが国でも非常に有名だからな。理性的で公正なバルテリンク辺境伯と違い、機嫌を損ねればなにをされるかわからない。いわば悪魔のような相手だ」
その理性的じゃなくて公正じゃない悪魔とやらはこの場にいるのだけど。心情的には言ってしまいたいが、収拾がつかなくなるだけなので口を閉じた。本当は誇らしげに胸を逸らしているエミリアの頬を引っ張ってやりたいが、それは後にしよう。
「それにしても、あの人たちの態度はなんなの? 仮にも一国の姫君なのに!!」
デメトリア姫は力なく呟く。
「仕方ない。これまでほとんど役に立たない、嫌われた存在だからな」
「…………」
すべてはオリバー子息を王位につけるために。説明はされても、わたしの気持ちはどこか納得がいかなかった。
ふと、エミリアが顔を上げる。
「ところでご当主様はどうされているでしょう。私たちですらこんなに責め立てられているのに、急に姫を擁護するような形になって、妙な勘繰りを受けていなければいいのですが」
「ああ……。嫌われ者のわたくしをかばうような真似をして、窮地に追い込まれていなければいいが」
わたしは、すっかり抜け落ちていた婚約者のことを思い出した。
「わからないけど大丈夫じゃない。リュークって結構、面の皮が厚いし」
へらへらと笑っていると、二人がギロリと睨んでくる。
「もとはといえば、ティーネを助けるために行動してくれたのだぞ! 恩知らずな!」
「そうですよ、もしかしたら今頃困った立場に追い込まれているかもしれません!」
二人のあまりの剣幕に、思わず黙り込む。いつものリュークなら問題ないだろうと高をくくっていたが、言われてみればここは彼の領地ではなく、味方も少ない。
(思っていたより深刻な状況……だったかも?)
それに気になることは、もう一つ。
ここ数日の様子が少しおかしい。彼がもし普段の冷静さを失って、なにかとんでもない失敗をしたとしたら。そう思うと急速に不安な気持ちがわきそうになる。
しかしただのメイドを演じているわたしに、今さら何ができるだろう。
「だ……大丈夫よ、きっと! 平和に歓談でもしてるわよ」
背中に流れる冷汗を隠し、希望的観測で断言するよりほかになかった。




