傍若無人な新米メイド 1
かつての旧魔法帝国時代の遺産、ネス離宮で式典が開かれる。
わたしは紆余曲折の末、悪口を言いふらしていた不届き者たちを騙し……もとい、心からの反省により味方を得た。そして完璧な計画、実行により王女の身分を隠し、新米メイドの「ティーネ」として一行にまぎれ込むことに成功したのだった。
その後は中継地で転移魔法を使用し、出発までの大騒ぎが嘘みたいなほどあっさりとネス国に到着した。目的地であるネス国王宮はもう目前。もちろん王女だからと言って身分に甘えたりせず、メイドの一員として精一杯、慣れない仕事にも全力で取り組んでいた。
「本当に天幕の中は最高ね! 風も陽射しも避けてくれるうえに、魔石で快適な温度が保たれているんだもの」
天幕に用意されていた贅沢な手触りのクッションの上に寝ころび、ネス国の高級菓子を口に頬り込む。独特の芳香が広がり、とたんに幸せな甘さが広がる。喉が渇いたなら果実ジュースを手に取ればいい。爽やかな酸味がほのかに舌をくすぐり、いくら飲んでも飲み飽きなかった。
「あ~、極楽極楽。メイドの仕事って案外楽ちんなものなのねえ」
その土地の味を楽しむのは、まさに旅の醍醐味だ。それだけでなく、部屋に敷かれている敷物や生けられている花々も異国情緒をことさらに盛り上げている。こんなに快適なら時々ならまた手伝ってあげてもいいぐらい……。
「いやいやいや!! メイドの仕事を舐めないで下さい! 普通は寒い中でも水仕事は多いし、重いもので腰は痛めるし、汚い場所の掃除もしなければいけないし、本当に大変なんですから!」
「だってこの旅に参加してから、そんな仕事を任されたことないもの」
「今回は特別の特別ですよ!」
この旅で唯一ティーネの正体を知る、本物メイドのエミリアがいきり立った。
二人一組で天幕の中を片づける係をまかされているので他に誰もいない。だからしてこんなにのんびりと羽を伸ばすことが出来るってわけ。
「たまたま一番快適な天幕の清掃係になれたから、こんな馬鹿みたいに生易しい職場環境になっているだけです! 他のメイド達を見てくださいよ。この寒空の下でとっても苦労してるんですから!」
「言われてみればそうね」
天幕の中で行う仕事は快適だし、残っている食べ物は好きに飲み食いしていいと言われている。残っているといっても今回のメンバーはよほど間食に興味がないのか、毎回手つかずだった。よって仕事の時間になる度に、気がすむまでご当地グルメを堪能させてもらっている。
「というか楽ちんなのは王女様、じゃなくてティーネだけでしょう? 外から見えないからって、仕事は全部私に押しつけてゴロゴロしてばかり……いえ、やっぱりなんでもありません」
エミリアは渋い顔で目をそらす。どうやら最初の頃に仕事を手伝った結果、まとめて食器を割ったり、高価なじゅうたんにシミを作ったり、うっかり天幕を燃やしそうになったりして『お願いですからティーネは何もしないで横になっていて下さい』と自分から頼み込んできた事を思い出したようだ。
本気で手伝う気はあったのよ?
「そう考えると、わたし達ってとてもラッキーよね」
「ここまでなにも出来ない方ですから、外の仕事だったらフォローしきれなかったでしょうね。そういう意味では本当に運がいいというか……もしかしたらご当主様は……。い、いえまさか! 本当に運が良かったんですよ、うん」
さらりとなにも出来ないと言われてしまったが、わたしは単に経験が足りないだけ。今まで自分で服の脱ぎ着ですら手伝ってもらう生活だったのだからこんなものだろう。むしろ体調も崩さずに隊列についていって、それだけでも十二分に偉いと思う。
「それも具合が悪いフリをして荷台で休んでばかりじゃないですか」
「体調は、本格的に悪くなる前から休むことが重要なのよ」
「くっ……! 本当にああいえばこういう……!」
エミリアが呆れたような視線を向けてくるが、正体をばらせない現状で体調を崩せば、一番の被害を被るのは彼女自身。これもわたしなりの気遣いなのだがあまり通じてはいないようだった。
(この分だと、リュークが自分は使わないからと馬車を使わせてくれている件は、やっぱり黙っていた方がよさそうね)
他の人には内緒にする条件でこっそり馬車を使わせてもらっているが、座り心地抜群で暖かいし際限なくくつろげる。なんとなく自分だけ特別扱いを受けているような気がしなくもないが、普通のメイドというのがどこまで優遇してもらえるものなのかを知らず、よくわからない。
考えてもわからないことは脇に置き、まあまあとエミリアをなだめた。
「この天幕を片づけたら、いよいよ夕方までにはネス国の王宮に到着するんでしょう? 向こうに着いてしまえば、大抵のことはネス国のメイド達がしてくれるはず。それまでの辛抱よ」
ネス国の離宮が開放されるのは最終日。
その日まではわたしも自由に過ごそう。
「そういえば今夜の晩餐会はネス国の姫君も参加されるとか。無事に終わるといいんですが……」
「え?」
「メイド仲間の間では有名な話ですよ。ネス国王の一人娘、デメトリア様はひどい癇癪持ちで、性根が腐った最低な悪女だって。おまけにいつでも深くベールを被っていてなんとも不気味な姫なんだそうです」
なんと。ネス国は外交上あまり重要な国ではなく深い付き合いは無かった。デメトリア姫がそんなおかしな人物なのだとしたら、これまで疎遠でいられたのは運が良かったのだろう。
「そんな時バルテリンクのメイド達は言い返すんです。最低というならこっちだって負けてない、横暴を絵にかいたような王女殿下が神出鬼没にあらわれては好き勝手に暴れてる……って、あの! 今のは冗談ですから!!」
冗談ならもっと冗談っぽく言うべきだ。どこからどうみてもうっかり本音を喋ってしまって取り繕っているようにしか見えない。
(……まあ、噂なんて全然当てにならないものだものね。姫も実際に会ってみたらびっくりするようないい子に違いないわ!)
わたしは頭の中で不当に虐げられている可哀想な姫君を想像し、大いに同情した。
「ああ疲れた。あら、アンタたちもちゃんと片づけを終えたようね」
ゴロゴロするのにも飽きて背筋を伸ばそうと起きあがると、ちょうど他の仕事を終えたらしいメイドのリーダーが中の様子を確認して満足げに頷いた。
わたしは何もしていないのに、エミリアはちゃんと二人分の働きをみせてくれたらしい。口も態度も悪いが、どうやら仕事ぶりに関しては申し分なさそうだ。
「後は外の男連中に任せて天幕を畳んでもらうだけね。今日は目的地に到着したら、その後は自由時間にしていいそうよ」
「本当ですか!?」
エミリアは飛び上がらんばかりに喜んだ。
もちろんわたしだってとても嬉しい。
「やった、久しぶりにゆっくりお風呂に入って仕事の疲れを癒しましょう。ああ、本当に最高だわ! この数日間、どれだけ待ち望んでいた事か! ティーネだって、もう部屋に案内されたら一歩も出たくありませんよね?」
「わたしは城下町に行きたいわ」
ガッツポーズをとっていたエミリアは、途端に眉を下げた。
「あ、あの、お言葉ですが私には思いっきりリフレッシュをする権利があると思います。これは怠慢ではありません、人間には休養が必要なんです!」
うんうん、その通りよね。
「そ、そりゃあ以前、失言したことは謝りますが。それにしたってこの数日は本当に大変で、それはあなただって認めざるを得ないはずです。毎日二人分のメイドの仕事をこなしながら、わずかな休憩時間は朝昼晩あなたのお世話をしているんですよ!? あなたは私を功労者として労わなくてはいけないし、そのためには私を十二分に休ませなくてはいけない。……ねえ、そうでしょう!?」
◇
その日の午後。予定よりもかなり早く王宮に到着し、荷ほどきが終われば待ちに待った自由時間。
王宮のすぐ近くの中央通りを少し外れ、市民が集うバザールを覗くと多くの露天商が軒をつらねていた。取り扱いは食品から装飾品、小さな日用雑貨など多種多様だ。周辺国と交流が活発でないぶん、独自の食文化や手工芸がとても興味深い。
「へえ、小さいけど綺麗な織物ね。不思議な模様だわ」
わたしは織物を取り扱っている店でぶら下がっていた、ひと際小さな織物に興味を引かれた。手のひらサイズで壁掛けにするには小さすぎる。コップの下敷き程度にはなりそうだけれど、ちょっとした日常使いにするには使われている糸が上等すぎる気がした。
「ああ、それは安全祈願のお守りだね。それは売り物として特別に複雑な模様を入れているけれど、単純な図案ならやさしいよ。年頃の娘がいる家ならどこでも木枠と糸を用意しているもんさ」
「年頃の女性?」
「そう。想いを込めて編んで恋人に贈るんだよ」
「まあ! ロマンチックね」
今回の旅の目的は古代遺産の離宮だから、こんな風に市場を見れるなんて思いもよらなかった。ほくほくしていると背後から地の底を這うような声が聞こえてきた。
「まだお戻りにならないんですか~。私は一刻も早く休みたいのですが~」
「エミリア、なんだかちょっとやつれてない?」
「ええ、ええ! やつれましたとも! これほど忠実なメイドがほんのわずかな休息も認められないんですから! ああ、なんて素晴らしい散策日和なんでしょうね!!」
よかった、まだまだ元気そうだ。
「あなたがいてくれて本当に助かってるわ。ありがとう」
「…………」
エミリアは何かを言おうと口をパクパクさせた後、じわりと頬を染め、結局口を閉ざした。
さて。一通り街並みを見ることが出来たし、少し早いけど彼女のためにも戻ろうか……と考え始めた矢先。
ドンッ!!
「きゃあっ!?」
背後から突然衝撃が走り、思わずたたらを踏む。
振り向くと、同じくらいの背丈の女性の背中が間近にあった。どうやら彼女がぶつかって来たらしい。
「ちょっとあなた……!」
「ふざけるな!! 足元を見るにもほどがある!!」
えっ……ぶつかられたのはこっちなのに、と思ったが彼女の背中越しに、困り顔をした露天商の商人が見えた。どうやらこちらではなく、その相手に向かって怒鳴っているらしい。
わたしとエミリアは顔を見合わせた。




