招かれざる招待客 4 (※辺境伯視点)
春を告げる祝祭が無事に終わった。
少しずつ寒さが緩み、一番長い夜が終わったせいか皆の顔は明るい。しかし大きな行事がひと段落したというのに、私は執務室で物思いにふけっていた。
考えているのは、目の前で救貧院での奉仕を命じられたと憤っているヘルト子爵のことではない。
ユスティネ王女が言い出したネス国への同行の件でもない。
(あれは一体なんだったのだろうか)
複雑な気持ちでバルテリンクの祝祭の夜を思い返していた。
◆
祭の宴を挨拶もそこそこに切り上げて、急ぎ城に戻る。予定より遅くなってしまったがユスティネ王女の部屋に向かった。
「リューク! お祭りに出席しているんじゃなかったの?」
王女は部屋にポツンと取り残されていた。
いや、自ら希望していたという話だから「取り残される」というのは正確ではないかもしれない。せめてメイドの一人でも残しておけばいいのに、祭りを待ち望んでいた彼女たちのために気にせず楽しんでくるようにと主張したらしい。
ユスティネ王女は自分の感情にとても素直だが、同じくらい他人の気持ちも尊重している。それは彼女の数ある美点のうちの一つだと思うが、だからといって祝いの日に取り残されている姿を前にするといたたまれない気持ちになった。
「大事なのは最初の挨拶ぐらいですから。後のことは任せて戻って来たんです」
「えっ、大丈夫なの?」
「はい。貴方だっていってたじゃないですか。なんでも自分で済ませようとするなと」
「それは確かに言ったけど……」
そんなことを言っているが、誰かが来たことにホッとしたような顔をする。
ああ、やっぱり無理に戻ってきてよかった。
ふと過去の自分に苦笑する。家族の体調不良を理由に早退しようとする者に対して、許可を出しつつも理解出来ないと思っていた。危篤や重症ならともかく、ただ体調を崩した程度でなんだというのだろう。きちんと医者に見せて問題がないのなら、意味のない行動だと考えていたくせに。
「人に任せるのは少し勇気がいりましたが、こうでもしないと戻ってこれませんからね」
隣に座って小さな体を抱き寄せる。熱っぽさはなく体温は問題なさそうだった。
だが普段はベタベタするなと文句を言ってくるのに、今日はずいぶんとしおらしい。やはり具合が悪いのではないのか。心配して顔を覗き込むと潤んだ瞳と目が合った。
いつもはどこまでも強気で迷いがない瞳が、今だけは不安げに揺れている。大きく膨らんだ雫が零れ落ちる直前のような儚げな色を宿していた。
ぞわっとした、不快感にも似たなにかが胸にわき上がった。
気がつけば思わず、彼女の頬にキスをしていた。
向こうは驚いたように一瞬身じろぎしたが、もっと驚いていたのは他ならない自分自身だった。
(…………?)
そんなことをするつもりはなかったのに。
冷静さを装いながら、内心では動揺した。
こんなことは初めてだ。
「あっ、今何時!?」
突然花火が打ちあがり、ユスティネ王女は元気さを取り戻す。彼女の笑顔を見ていると先ほどまでの不安定な気持ちが落ち着いてきた。
「内緒にしてリュークを驚かそうと思ったのよ」
本当はお祭り会場の特等席で見てもらうつもりだったんだけど、と悔しそうに続ける。しかし自分に見せるためにこんな大がかりな花火を用意していたというだけで十分に驚いたし、なにより嬉しかった。
彼女は時折こんな風に、鮮やかな驚きを与えてくる。
「……ここでも十分すぎるくらいよく見えますよ。それに二人で一緒に見るほうがずっと綺麗です」
王女はそんな私の心情など理解できないようだったが構わない。それでもいつか同じように、時間を共有できる喜びを味わってくれる時がくるのだろうか。
まだあどけなさの残る彼女が、大人の女性になる頃には。
「やっぱり、一緒に見れてよかったわ」
「ええ。これからもずっと、私の隣にいて下さい」
その言葉がどれほど切実なものなのか、きっと彼女は知らないだろうけれど。
◆
その日は幸せな気持ちで終わることが出来たけれど、時間が経つにつれ意図せず彼女に触れてしまった出来事が棘のようにひっかかった。
あれは一体なんだったのだろうか、と何度目かわからない自問自答を繰り返す。
これまでは自分を完全にコントロール出来ている自負があった。もともと感情を抑えることは得意だったし、必要ならば気持ちとは正反対な態度をとることだってやってきた。
なのに何かを考えるより先に体が動いてしまうだなんてどうかしている。不可解な行動をとった自分にゾッとした。
婚約者の頬にキスをした行為そのものが問題なのではない。意図せず『気がついたらしていた』という部分が、自分にとっては大問題だった。
(……少々、疲れていたのかもしれないな)
ここしばらく祝祭のために予定が立て込んでいたし、それをさらに早退するために無理をした自覚はある。それらしい理由を見つけることが出来て、少しだけ安心した。ならば意識的に休息を取り、あまり過密なスケジュールにならないよう気をつけよう。
その数日後に突然王女が急にネス国に行きたいと騒いだ時も、事態は予測した通りに進み、狙い通り王女の同行は取り下げることが出来た。いつもどおりに事が進んだことで、少しだけ自信を取り戻す。
やはり、あの時は疲れていただけに違いない。
だから今、目の前にある不快な事態についても冷静に対処できるはずだと自分に言い聞かせる。
ヘルト子爵は先ほどから聞くにも堪えない批判を主張し続けていた。
「まったく、なんて王女なのか! 秩序もなにもない、腹立たしいことですよ。こんな横暴なことがあるでしょうか。私は貴族なのですよ!?」
「ヘルト子爵。自分が何を言っているのか、理解しているのか?」
私なりの温情で一言釘を刺すが、彼はその意図を読み取れないようだった。
「もちろんですとも! ですから王女の横暴を……」
「ユスティネ王女は国王陛下からお預かりしている大切な姫君だ。そして私と婚約しているとはいえ、今はまだれっきとした王家の一員。その彼女を悪く言うということは国家反逆罪に抵触することを、本当に理解しての発言だろうか」
「……え?」
国家反逆罪、という頭の隅にもなかった言葉に動揺しているようだ。
だがなにも大げさな事は言っていない。
「忠誠を誓うべき王族に対して何と無礼な振る舞いだ。面と向かってそんなことを言われたからには、臣下として捨て置くことは出来ないな」
「な……なんですと……?」
子爵の顔が面白いように青ざめていく。
「とはいえ大っぴらに処罰すれば王女は気が咎めるだろう。私とは違い、心根は暖かい方だ」
子爵は安心したように息をついた。
そして私は用意しておいた台詞で追い打ちをかける。
「ならばお前とそのメイドの二人にはイベリアの地での任務を頼みたいと思う。知っての通りこの寒冷なバルテリンクの領地の中でも特に寒さが厳しく、毎年何人も死者がでている極寒の地。……これならば王女が気に病まれることもないだろう」
「イ……イベリア!? それは死刑とほぼ同じ……いえ、いっそ死刑よりも残酷です!! そ、それは王女殿下が自分に逆らった貴族を追いやっていたのでは……い、いえ、お待ちください!!」
なるほど。彼はかつて自分と同じように王女を貶めていた人間たちがイベリアに送られたことを知って、彼女が怒りに任せて追いやったものだと考えていたらしい。
残念ながらそれは間違いで、手配をしたのは私だ。
それでも国王陛下に直接知られたよりはずっと軽い処罰になっただろう。
「も……申し訳ございませんでした!!」
子爵が勢いよく頭を下げる。
それを合図にヒリスが、前もって打ち合わせていた通り進言してきた。
「リューク様。失礼ながら王女は罰として一年間の奉仕活動を課せられました。イベリア行きにしてしまえば、王女の命令に反してしまいます」
「そうか、それは残念だ」
私は心底残念に思っていた。
貴族でありながら王女に敬意を払っていない時点で、十分処罰の対象でいいと思うのだが。
王女が何故そんな命令をしたのかは明白だ。彼女に反抗的だった貴族の何人かをイベリア送りにして以来、警戒されてしまっている。もっとも彼らが厳重に処罰されたのはその他にもいくつかの背信行為を犯したせいもあるが。
今回の茶番はそれを逆手にとったものだ。
「仕方ないな。それでは一年は王女の罰を優先し、命じられた奉仕活動に勤しむがいい。ただし、先ほどの話が完全になくなったわけではない。王女の罰が終わる一年後までに態度が改まっていなければその時は……言わずともわかっているな?」
相手にどんな圧力を与えるか理解したうえで冷たく一睨みする。
視線、しぐさ、声のトーン。
それらは理性の管理下にあるべきで、必要な場面に必要な印象を与えるための道具にすぎない。
「は……、そ、それはもう、よく肝に銘じておきます……!」
子爵はギクシャクと手足を動かし、なんとか部屋を退出する。
ドアの閉まる音のあと、思わず息を漏らした。
子爵は王女を侮ったり腹の立つような言葉を述べて非常に不快だったが、だからといって私は感情的に怒鳴りつけたり、気がついたらいきなり暴力をふるったりなどということはしていない。当然だ。
……全部が退屈なほど予定通りだ。
大丈夫、いつも通り問題ない。




